ピザ





神田 良輔





 手を見ながら考える。


 けして他人と結ぶためにあるものではないということ。
 手とは他者的ではなく自己完結的な所産である。空間というより時間、連続性が備わった自己の歴史であり、どれだけ翻っても(グロテスクにしなやかに動作させても)まさしく個人的行為でしかなく、そこには一切他人(他者の視線)が入り込む隙はない。私たちは間接的に観察することしかできない。
 手と手を握り合った時――そこにあるのは「握る手」と「握られた手」であり、「握り合う手」は存在しないこと。その間に相互行為を見つけるとしたら、


 握る手−(対象)−握られる手=(主体)=握る手−(対象)−握られる手


 という無限の反復しか見つけられないであろう……


 ――


 ある友人がいる。一度しか会ったことはなく、今後も会うことは、たぶんないだろう。
 彼を友人とよぶのは難しいかもしれない。
 しかし私は彼を今までも友人と呼んできた。一つは私と対等に話すことをした初めての外国籍の人間だったため、私に与えた影響は大きく、並の友人に匹敵するものであったため。一つはその彼を友人と呼ぶことによって、国という一つのカテゴリを捨て去ることができるような幻想を、私が持っていたため――しかしこれらはきっかけにすぎないとも言える。一度彼のことを友人、と言ってしまうと後は惰性でついてまわった、と言ったほうが正確かもしれない。
 とにかく彼とは一度だけ話をした。


 私たちは飲み屋で顔を合わせた。
 私はその場に、みんなからは少し出遅れた形で加わった。その友人はその二人の男の一人だった。私が加わった時のそれぞれの自己紹介で、私は彼が外国で生まれ育ったヒトであることを知った。
 その場に私を呼んでくれた女性とはまだあまり親しかったわけではなかった。お互い興味は持ち始めていたが、期待をしあうほど私たちは焦っていたわけではなかった。ただ飲み友達は多い方がいい、と思い合っていただけの節もある。
 私はそのヒトとその友達の雰囲気をまだあまり知らなかった。場の雰囲気はすでに作られており、私はまず観察することから始めなければならなかった。
 その場は私を除いて、4人がいた。主に喋るのは2人の女の子で、男二人は相づちを打ったり、話題を展開させたりするだけで、あまり積極的に会話する感じではなかった。女の子二人の話題はとりとめがなく、二人の男はあまりのとりとめのなさに手に負えなくなったりもしているようだった。
 彼は日本語には不自由していないようだった。4人での会話にも慣れているようで落ち着き払っているようにも見え、そこには日本で生まれ育ったことを違えているようには見えなかった。話題がとぎれると話を展開させ、そして誰かが喋ってる時には黙った。楽しそうにも見えなかったが、帰りたいと思っているようにも見えなかった。ただお酒を飲むのが楽しいのかもしれない、と私は思っていた。

 私は状況を大まかにつかむと話に加わり始めた。二人の女性が交わすとりとめのなさに、私は加わることができた(これは私の特性だと思うが、私の言葉は話をとぎれさせることもないし強く意識されることもない)。二人の男性は私を扱うのに最初とまどったようだったが、割合早く私の扱いをつかみ、やはり相づちをうち黙ったところで話題をふった。
 そうして私たちはしばらく喋った。喋ることは楽しかった。私は相手が誰でも、楽しく喋ることができる。適度な好意があってくれれば、相手がどんな相手でも気にならない。


 次第に一人一人に、私は注目していった。
 私を誘ってくれた彼女は、確かに私に興味を抱いてくれているようだった。私の発話にうまく乗っかることもできたし、話題が私自身のことになると興に乗ったふうもあった。それでもなにかの折りにつけて卑屈さが見えたりして、そういうところに私は興味を失うことになった。卑屈さを隠せない女性との会話ほど、面白味のないものはない。話が展開できなくなるからだ。
 私の興味は次第に唯一の外国籍の彼に移っていった。
 彼は終始、自分で話をすることはなく、話の転回点になることに徹していた。徐々に、彼がなぜそうしているのか、わかってきた。彼は根本的に、私たちを嫌悪しているのだった。
 彼は私たちがどのような話題をしていようと、その話題に加わり自分の思うままのことを喋らない、と私は気がついた。合間合間に口を挟むことと、シニカルに時折ほほえむことでそれを隠しているように見えた。二人の女性は聞いてくれるだけで良いようだし、もう一人の男は一人の女性の反応しか気にならないようで、彼の嫌悪に気づく様子はなかった。でも私は気がついた。彼は私たちがどのような話題になろうと気にならない。必要以上に関わろうとはしない。
 それに気がつくと、私は彼に腹がたってきた。嫌悪の感情以外を彼からは感じ取れないため、私はその感情を抑えることが難しかった。彼の態度は「異人」であるためのやむを得ない手段だとは思えなかった。それは同国人同士ではなかなか感じとることがない種類の、純粋な敵意だった。だから私も、単純に敵意を思うことになった。
「あなたは自分のことを喋らないですね」
 私は彼に向かって言った。それはその空間の中で唐突なようだった。私の発言は数秒宙に浮<いた。
「なにを喋ればいいでしょう?」
 彼はまっすぐ私を見て言った。やはりその言葉も宙に浮いた。私以外の三人はなにも答えない。
 私は彼と目を合わせた。そしてすぐに言った。
「いや――いろんなことを聞きたいなと思いまして」
 彼から目をそらして。
 それは想像以上に真剣な眼差しを見たせいだった。
 それと同時に、彼の絶望的な思いが私に伝わったせいでもある、と私は後で考えた。彼は私たちと共通するものはなにもないと思っていることが、その時初めてわかった。私たちが共調できると思えることは、彼にとってはすべてとるにたらないこと、ただ偶然同じ気分である、というだけだった。
 私たちはなにも共有することができないじゃないですか。与え合うことはできず、奪い合うことになってしまうではないですか。
 そういう気分を、私は直に受け取った。
 それは私にとって、衝撃的だった。その絶望はそのまま私に伝わった。私も背負い込まずにはいられなかった。
 そうか、私とあなたは共感することができないんだった。
 と私は思った。確かに、あきらめるしかなかった。シニカルに笑うしかない、と私はその後思いこまずにはいられなかったのだ。



 ――

 私は今、一人いる。
 両手を目の前に広げ、指を一本づつ動くのを確かめる。私の両手は、完全に私の思ったように動く。動かないようには、思わない。
 左手を挙げ、透かすように仰ぎ見る。
 そして、考える。
 どのように動かすべきか?どのように働かせるべきか?

 けして、その手は同時に二つのことは出来ない。
 出来るとは、考えるべきではない。