俺の手




マサヒロ






 ○月×日、ハレ、時々… 覚えてねえや。急に「手」をテーマにして文章を書けって言われましてね、もう頭が大混乱ですよ。最近は文章なんて大学のレポートぐらいでしか書くことのない生活をしていますから。それに、俺はあまり頭の出来が良くないので、「その依頼」が来て早々に混乱してしまって俺の最初にとった行動と言えば、…描いたんですよ。描くも描いたり20枚、「手」の絵を。
 描き終わった後自分のその絵をじっくり観察していて、気が付いた事といえば「全部左手」っていう事だけでした。当たり前のことだ、右手で鉛筆を持ち自分の左手をモデルにして描いているのだから。ああ、こんなことしか気付かないとは、混乱の上での愚行とはいえ20枚も絵を描いた意味が全くありませんなぁ。俺の手に何か他人とは違った特徴でもあれば話は違ってくるのかもしれないが。例えば左手の甲にクマちゃんの形をしたホクロがあるとか、星形のアザがあるとか、もしくは手首にカミソリでこさえた無数の切り傷が…。おっと失言でした。こないだ見た「トゥナイト2」の特集が 〜何故!?リストカットする少女達〜 だったものですから。俺、基本的に楽観主義ですし、理由はうまく言えませんが、「自殺、良くない。」程度の哲学はありますんで、ひとつも有りませんね、それらしきモノは。まあ、自殺という題材を描くには知識が足りないもので簡単に良・悪は言えないのですが、「トゥナイト2」に出ていたモザイク顔の少女ときたら、「手首に傷あると友達みんな凄く心配してくれるしー。」とか言ってたものですから、テレビに向かって「こんべこのかわー!(この馬鹿者がー!)」と髄反射で叫んでしまいました。人心惑わすとは何事だ、しかも自分を傷つけながらとは。俺の理念である「自分が何よりも楽しむ、そして最低限自分の手の届く人は皆ハッピー」の真反対を行っているではないか。ああ、話が大幅にずれてしまった。この話題はこのへんでまとめてしまおう。「俺、そんな友達欲しく無ぇ。」以上です。

 さて、自分の手を観察してたら、他にも分かったことがありましたよ。俺の手って、左手には全く傷がないのに右手は何やら細かい傷で一杯だ。何故だろう。利き腕だからだろうか。普通の人もそうなのだろうか。
 とりあえず今俺の近くには晩飯を食べている両親がいるのだが、あまり普段コミュニケーションをとっていないもので、突拍子もなく、
「父さん、ちょっと手の平を見せてくれ。」
 などと言って、じっと父の手を見始める普段会話のない息子。
「ふーん、やっぱりあんまり傷とか無いんだね。」
 軽くため息をつき、再度パソコンに向かう息子。
 その後ろ姿を見て、父
「…お前、学校とかでイジメられてるのか!?」
 これでは心配かけてしまうこと請け合いだ。というわけで、他の人もそうなのかは知らないが、やたら右手に傷が多い。
 そういえば高校の体力測定の時、握力の数値が右手と左手が倍くらい違っていて(右50キロ、左25キロくらい?)「バランス悪いわねえ」と担任教師に言われた覚えがある。これには心当たりが有って、俺は生活のほとんどの事を右手でやってしまう。それは「利き腕だから」という理由以上に偏っているものだ。自転車や車を運転する時もほとんど右手しか使わない。左手はぶらぶらと垂らしている、人にはよく「だらしない」と言われるが、これがいつものスタイルだ。何故だかはさっぱりわからん。
 インドでは神の教えとして左手は汚れた手、右手は神聖な手。とされている。生活の中での汚れる仕事は左手に任せて(排便後のお尻掃除など)、だからこそインド人は食事等の神聖な事は素手で(右手で)するのだという。それに対し俺はきっと汚い部分も全て右手でこなしてきたのだろうな。左手が、いや体の受けるはずの痛みや汚物をその細かい傷にかえながら…。ありがとう、俺の右手。とはいえ綺麗なはずの左手を使わず、メシを食うとき右手を使う俺は神も糞もなく、やっぱりただの物ぐさ太郎か。

 手、手、手、そしてもう一度自分の「手」を見てみる。でかいなぁ。俺は体もでかいんで対比したらそうでもないんだろうけど、平の部分だけやたらでかい。言い直そう、指が短い。普通の身長160pくらいの女の子よりも指が短いのだ。しかし掌を合わせて比べてみると屈強な男子よりもでかいのだ。実はちょっと劣等感持ってるんですけどね。この間もお酒の場で大分アルコールも回ってきている後輩の女の子に
「先輩(とは呼ばれていないが)って手が大きいですねー。」
「そう?(まんざらでもない俺。)」
「はい。なんだかオトコって感じがします。」
「へー、そうなんだ。(まんざらでもないっ!)」
「私、ひょろひょろっとした男の人よりガッチリした人の方がタイプなんですよー。」
「!?」
 お互いの掌はまだ合わさったまま。そして酒の入った場面。時間は夜9時を回ったところ。
 えー!? 2年ぶりのメイク・ラブ!? ティーピーオーバッチリ、ってやつですか。
「あれ?」
「(あれ?)」
「なんか先輩の指、短くないですか?」
「そんなことないよ…(あれ?)」
「よく見せてくださいよ、あー! 凄く短い! なんかバランス悪くて変ですよ、アハハハハハハハハハハハ短―い! みんなも見てみてよ変だよこの手、アハハハハハハ…。」
「アハハハ、本当だー。へーん。」
 そうだね。ホントそうだね。あはははははは…。
 久しぶりに女の子の笑い声によって心をえぐられましたよ。首をもたげてくる劣等感。そしてトラウマにもなっている小学校時代の教室で起こった…。いや、あの話は今はやめておこう。とりあえずそんな心がきずついた時に思い出すのはあの言葉。
 「指が短くて手の平が大きい手はね。これから自分を通り抜けていく幸せをすくい上げてこぼさない素敵な手なんだよ。」
 ていうか今俺が作った言葉なんだけどね。はい、愛の自給自足でした。

 「手」を考えて、連想するのは「創」。そうであれば良いなということ。これは実際にはカッコつけすぎた意見かもしれないし、ありきたりなので書こうかどうかも迷いましたよ。でもやっぱりこれが俺の「理想」。だから本当は大好きですよ、「手」。
 俺はね、ひとつ豪語してる事が有りまして、「真っ白い紙と鉛筆、そしてギターさえあれば一人っきりでも生きていける。」って。いや、実際の所は無理だと思いますけど、何だかんだ言っても寂しいでしょうし。でも時々ね、そんな事を本気で感じる時があるんですよ。もしかしたらそれも実は俺の理想の生き方や哲学なのかもしれない。そう、だから無理だと思いながらも時々カッコつけて「豪語」してみたりするんでしょうね。

 急がせないで下さい。
 急がせないで下さい。
 まだなんです。まだなんですが、
 「創」るんです。
 「産」むんです。
 いやあ、約束は出来ません
 でも切り落とさないで下さい
 生活の不便さの話ではないんです。
 既に、きちんと形の定まってきたあの子の夢と違って
 いくつもやりたいことがあって
 でも実際何も出来ていないような
 駄目な俺にとっちゃ
 この「手」こそが
 唯一形のあるモノなんですから