+++ 東京文芸センター掲示板

 
 
 


掲示板変更します。 削除/引用
No.4-70 - 2002/11/24 (日) 00:57:25 - 東京文芸センター
運営者の切り替えなどの事情により、この掲示板は今月いっぱいで閉鎖します。
掲示板は新しく用意する予定です。ご了承ください。

(無題) 削除/引用
No.4-69 - 2002/11/18 (月) 22:09:52 - 高野
ああん自分の投稿意味わかんないくてはじかしい。

(無題) 削除/引用
No.4-68 - 2002/11/18 (月) 01:33:19 - 神田
多重だ。つーか恥ずかしいよ!

(無題) 削除/引用
No.4-67 - 2002/11/18 (月) 01:26:01 - 神田
経済と文壇て昔からそれほど密接なつながりなかったと思います。多くの文人は他に職持ってたし(――ええと、中島敦とか教師だったりしたと多分)、純粋に文人と言われてる人が、どう文学活動に影響したかって、比較して多作だったてだけな気がする、もちろん個人差あるけど。基本的に文人で寡作で長生きした人っていない、と思うたぶん。僕けっこう適当なんだけどね。

サンプリングとかもすでに90年代的な言葉なのかもしれない。多分フォロワー/オリジナルの概念はカウンターの行き来がどっかの定点超えちゃったように思います。
ポイントは誰に、何を言うか、ってことに尽きると思うんですよね。「日本国民」だったらプロ作家に近づくんだろうし、「SFコンベンションに来てるひとたち」だったらSF作家に近づくかな、と。それぞれいかにリアルにその相手を想像できるか(そんでてきとうに正確さも)が勝負で、相手によってしっかり見極めてもらえるんじゃないかと。

そういや2ちゃんねらーって言うけど、あれってなんであんな本とか売れてるのかけっこう不思議だったんですよね。ていうか自称2ちゃんねらーって、自嘲以外にどう使うんだ、と思ってたら、あれマジで文化的誇りとか芽生えてんのに気がつきました。2ちゃんねらーって結構強がれるみたいですよ。web以外の社会でも。そのこと自体に結構びっくりしてる僕はかなり奥手ですかね。
とにかくあのフラッシュ、AAは言うに及ばず、「ナリキリ」とかいう有名人詐称する板とか、極短い小説風テキストとか、スタイル的に新しい「文壇」の一派な気がする。とにかく勢いあるし人数がおそらく半端じゃないし。
エゴとリアル志向にあふれる僕(僕ら?)はコテハンでwebに常駐してるわけなんですが、もっとも絶対数の少ない、今後の見通しも悪い、流行ってない社会にいるのかもしれない。だいいちここ自体、どんな社会形成してんだか、どんなサイトと並存してるんだかよくわかんないし。テキストサイト?文芸系?って名前が文芸じゃん、って。とにかくもっとリンクとか協賛とかしないと!――とかいって困惑します。うわん。

(無題) 削除/引用
No.4-66 - 2002/11/18 (月) 01:11:21 - kanda
経済と文壇て昔からそれほど密接なつながりなかったと思います。多くの文人は他に職持ってたし(――ええと、中島敦とか教師だったりしたと多分)、純粋に文人と言われてる人が、どう文学活動に影響したかって、比較して多作だったてだけな気がする、もちろん個人差あるけど。基本的に文人で寡作で長生きした人っていないと思うし。

サンプリングとかもすでに90年代的な言葉なのかもしれない。
ポイントは誰に、何を言うか、ってことに尽きると思うんですよね。「日本国民」だったらプロ作家に近づくんだろうし、「SFコンベンションに来てるひとたち」だったらSF作家に近づくかな、と。それぞれいかにリアルにその相手を想像できるか(そんでてきとうに正確さも)が勝負で、相手によってしっかり見極めてもらえるんじゃないかと。

そういや2ちゃんねらーって言うけど、あれってなんであんな本とか売れてるのかけっこう不思議だったんですよね。ていうか自称2ちゃんねらーって、自嘲以外にどう使うんだ、と思ってたら、あれ結構マジで文化的誇りとか芽生えてる気がする。2ちゃんねらーって結構強がれるみたい、webだと。そのこと自体に結構びっくりしてる僕はかなり奥手ですかね。
とにかくあのフラッシュ、AAは言うに及ばず、「ナリキリ」とかいう有名人詐称する板とか、極短い小説風テキストとか、スタイル的にも新しい「文壇」の一派な気がする。エゴとリアル志向に(2chと比較して)あふれる僕(僕ら?)はコテハンでwebに常駐してるわけなんですが。

オリジナルとフォロワー 削除/引用
No.4-65 - 2002/11/17 (日) 14:41:03 - 高野
極端な話としては、お金が儲らなければ作家は本を書けない。
そのうち飢え死にをしてしまうと思われます。かなりひもじいです。
しかし本を買ってもらえなくても、本当に書きたいことがある作家は、
日雇いの重労働をしてでも書くでしょう。そう簡単には死にません。
たとえレコード業界がなくっても、いい歌がつくられるように。

書くという意志は、経済の外にも有るのではないでしょうか。
経済の世界では、それが自分にとって有用かどうか、
それをどこまで信用できるかで決まる様な気がします。
読者に有用だと騙して金を払わせるかという作家もいるかもですが、
本当に有用な作品を書く作家もいるはずです。
あとは出版社とかと、どう売るかの世界かと。

で、オリジナルとフォロワーですが、
フォロワーがいかん、というと、この世の中フォロワーだらけです。
じゃあ、オリジナルはどこにあるのか、自分で創るのだろうか。
ところが簡単には作れないようです。悲しいことにですが。
何かをつくれば、きっと以前に誰かがやってました、です。
で、誰もやってないとすると、すんごくマズイものだったりします。

で、オリジナルを知るためには、
まずはオリジナルを体験するしかないと思われます。
そのためには、昔の作品をとにかく読むしかないんですな。
これは絶対に読むしかないです。で、読んでみて絶句します。
こんなの自分に書けるのかと。もしも書けたらすごいです。

で、本当に昔のオリジナルを超える、素晴らしいオリジナルは、
これから出てくるんでしょうか。出てきてほしいです。
出てるかも知れないです。だとしたら、本当の天才か、
絶句しまくりながら、苦労して書き続けてきた人なのではないかと。
それほど、オリジナルを参考にしなければ、書けない状況があります。

ところで、本当のオリジナルって、なんですか。
どこにあるんでしょうか……。

更地よサラバ 削除/引用
No.4-64 - 2002/11/16 (土) 02:06:50 - 岩井市英知
まぁ、きっとわざと恣意的に書いたり読んだりしてるんだと思いたい。「誰か関係ない」てのは単に素性の話であって立ち位置は顔がなくたってそれが分からなきゃ話にもならない。いったい僕はどっちの暗闇に向かって話しかけたらいい?まぁ確かに僕に邪推が働いていることは明らかだ、だけど、その状況におかれ「誰か関係ない」と言っている。誰かによって態度変えてたら何にもならないし、面倒臭いから。
価値だって一義的なものじゃないし、文章によって書かれていることだってひとつじゃない。ひとつ定義をすればそこから外れる見解だって当たり前のこととして生まれるし、それらは全部不正解か。立ち位置とはその定義に他ならないわけだし、僕が問題視するのはそこに普遍的な正解があるかのような考えそのものだ。正解はあるんだけど、自分にしか分からない。「実体のないものに無理におもねることをしなくていい」ってのと「自分で価値を決める」ってのは同じ意味で使ってるけどそれは罪深いのか。
ねぇ、あなたの言ってるそれは本当に恣意的な屁理屈じゃないの?そして本当に僕が頭悪くて思考能力や作文能力に乏しいだけで僕の言ってることはまったく伝わらないの?だとしたら書くという意志だけじゃ何ともならんかもしらん。でも僕はスルーすることが正しいとはどうしても思えないし、いくら馬鹿だの頭悪いだの読解力ないねだの言われても結局は同じことしか言えない。技術云々だとかは僕が僕個人の問題として考えればいい話で他人がとやかく言うことじゃない。それをして反証的に展開することにも付き合わない。絵だって描いてみなきゃどうしようもないだろう。他人の絵を評する者もいるが、それはそういう生業だったりそういう立ち位置が存在してる。本当に意味は…僕がレスしなきゃいいのか?それは簡単だけどもね。要約すると意味同じって、確かに今回もそう。僕は結局、分かるのは個人で勝手に分かればいいから見せるのは分かってることじゃなくて作品だから、とそう言ってる。それに分かってることは作品に全部出るから。作品に対する評もいいけど作品と同じではないから。作者自身が作品にくだす評価なんて味覚と同じようなもので自分で作って味見して「うん、ウマイ!」って言ってるだけでしょう。それを食事として出したら自分とは違う反応もありましょう。本当に僕は自分が絵を描いているという事実にしか意味を見出せないしそれしか僕にとっての正解はない、今のところ。かといってそれだけが正解だとも思わないわけで、それを見たいと思っている。書き込みが文章じゃないってのはノートのきれはしに恣意的に描いた絵を絵じゃないって言ってるんで、それは絵だけど100号のカンバスに描こうとして描いている絵とは自分の中では違うということだ。そこに優劣はないしどっちを楽しんだっていいけど自分の中で何が分けてるかと言えばそれは「こういうものを描こうとしてる意志」に他ならないのだ、とそういう風に言っています。説明不足ではあった。とはいえ、じゃぁ僕がここでこういう風に書いてんのは意味があるのかと尋ねられれば意味はないかもしらん。同じことばっかで飽きたかもしらん。たまにはそこにおもねることをしてもいいと思うよ。頭悪くて読解力なくてごめんね。読む側が悪ぃってのは趣味じゃないし読解力なんて概念じたいどうかと思うけど。そんじゃ、またいつかどこかで。だいじょぶ金輪際書き込まないしもう文章書くのやめるから。けど嘘はつくと思います。いやー、なんかあっけないね。図らずも自分さえいればいいって冗談が当たってんのか?考えもんだ。

なんというか。 削除/引用
No.4-63 - 2002/11/16 (土) 01:18:59 - 潮なつみ
えーと。皆さん落ち着いて。というのもナンセンスでしょうが。。。

私は、死体さんがそもそもの言いたかったのは、単純に「桑村氏ね」みたいな感じのことだと思いました(これが誤読だったらどうしよう)。そして、私はそれに激しく同意なので、是非、反省とか言わないで頂きたい、と思いました。
私はね、桑村さんの書き込みは、表から見ても裏から見ても、もんのすごい不快でしたよ。もう不快だと口にするのも厭なくらいでした。そこを、口にするのがそれほど厭じゃない方法(それが、テキストサイト的なのだとしても、別に悪くない)でやってくれた死体さんに、感謝すらします。そうだよ、それだよ、って。

CLPさんにも言っておきたいのですが、岩井市さん=東京文芸センターではありませんので、単純に岩井市さんの意見は、一人のとある人の声として聞いてください。
死体さんみたいに「ご迷惑をおかけしました」などと謝る人や、飯島さんやCLPさんみたいに明らかな不快感を示す人には、(おそらく書き込まないだけで、そう思ってROMしている人も多いだろうと思うので、)掲示板を置いている立場として、本当に申し訳なく思います。
折角書いていただいたのに、ごめんなさい。読んでくれて、ありがとう。

なんかいい子ぶってるみたいですね、心から思ってるんですけどね。

アホか 削除/引用
No.4-62 - 2002/11/16 (土) 00:26:59 - CLP
だいたい誰も岩井市に文句言ってるわけじゃないのに、
何を一人で見当違いな事ばっか言って憤ってんだ?
お前のことなんか話題にしてないから落ち着けよ。
それとも単に掲示板汚されるのが嫌なのか。
だったら、掲示板なんか置くな、見るな。
お前一人で質を落としてることに早いとこ気付けよ。

ご迷惑おかけしました。 削除/引用
No.4-61 - 2002/11/15 (金) 19:11:52 - 死体
あー、僕は文章の価値を書く人間で決める方が罪深いと思いますけどね。僕が誰かなんて関係ないなら、立ち位置だって関係ないでしょう、遠くから石を投げてるように見えるのは、単にあなたがそう思うだけであって、誰が書いてるのかなんて一目瞭然なわけだし。名前死体だし、そんな事とは関係なく文章には意味があって、それを計るのも楽しみのひとつなわけだし。
あ、書き込みは文章じゃないんでしたっけ、すげえ発想ちから、思いつかないわ、その否定は、完敗。
 それにしたってそこまで要約したら意味が同じになるのは当たりまえでしょう、だから一行ではない文章を書いたので。
「ユリシーズ」主人公が、死にそうになりながら故郷に帰る話。
「遙かなる帰郷」主人公が、死にそうになりながら故郷に帰る話。
 これ同じ話なんですかそうなんですかすげえびっくりだ。

ま、ともあれご迷惑をおかけしました、関係者だからって調子にのったらいかんね、反省します。

トンネルを抜けると行き違い 削除/引用
No.4-60 - 2002/11/15 (金) 14:24:42 - 岩井市英知
なんか長いの書いたりしてる間に行き違いがあったもよう。やっぱり逐一マジメに応対するしかないようす。ちょっと話が前後したな。
あのね。簡単に言って、文章の読み書きを能力のみで考えることが嫌いなのね。僕はそういうに考える人を何だかなぁと思ってしまうの、どうしてだか分からないけど。それはもしかしたら自分のコンプレックスかもはしれない、けれど読み書きの能力が優れた人のものや言うことが必ずしも面白かったり説得力があったり僕にはしないの。そういうことなのね。
で、「桑村さん=死体さん」なんて僕は言ってないよね。どうしてそう読めるかというと、あなたたちが別人でも同一人物でも関係ないっつうか同じだから。どっちでも同じなの。結局、斜にかまえたり誰か何かを揶揄したり他人の褌で相撲っていう風に見えるから。それを指して、十羽ひとからげにして「テキストサイト的」と呼んだの。それは自分の立ち位置をはっきりさせずに無責任に何か誰かに言及することをヨシとするまたは面白い、「笑い」だと、そう認識する風潮を指して呼んでいる。そうじゃない人もいるけど、そういう風潮があるように僕には感じる。それで結局、死体さんの立ち位置はどこなの?あんた誰?何者でどういう考えでどういうものを書いて、それでどういうものに憤ってんの?あなたが「一言で済ませた桑村さん」に対してどうして憤るのか、誰か分かるの?俺はぜんぜん分からない。横からいきなり割って入って桑村さんを面白おかしく題材にして言及している。そうしてただ笑って欲しかったのに失望したと言う。それも岩井市が白痴で読む力も書く力もなくそれに自分で気がつかないから、だと言う。すごく勝手だよ。僕は前述した「テキストサイト的」な無責任な言及劇が「これが表現であること」を忘れさせている要因のひとつだと考えている。だからフォロワーは駄目だ、とまで平たく言ったの。おおげさではあったな。
「書こうとする意志だけで書いてる人」って要するに僕のことでしょ?それはスキルがないということを言ってるんでしょ?なぁんだ、結局桑村さんと同じじゃん。結局僕のレスが頭悪かったり何だったりで面白いんでしょ?いいね楽で。結局言いたいのはそれじゃん。僕の頭が悪いことぐらい前提として認容できる度量はないのか?読み書きの能力のある人もない人とさほど変わらんね。
だいたい、死体さんが文章を書いてるのかどうかも分かりやしませんて。あなたのファンじゃないんだから。もしかして文章て書き込みのことですか?いや書き込みは書き込みだろう。意志も能力も関係ないだろう。お喋りと話芸ぐらい違うだろう。違いはスキルじゃないよ。それをやっていくかそうでないか、だ。喋って、何がしたい?そういうことじゃないの。ただ他人と他人事を題材に自由勝手に喋って笑って欲しかったのに…うーん、これは何だ?もし自分事なのだと言うのならそれが分からなさすぎる。世の中良くしたいとはかなり大仰にきたね。そういう大仰なのは好きですが。死んでしまう感性とは「俺は書く」という意志を決定する部分のことですよ。その意志決定なしにも書くことは出来ますが、それはそれだけのことでしかない、という風な意見をもって終りにしますが。分かんなくていいよ。毎回正論吐いてて疲れました。

萌えてるとグれてる 削除/引用
No.4-59 - 2002/11/15 (金) 12:49:03 - 岩井市英知
補足。文学=エライ テキストサイト=くだらない という図式を示すものではないことをあらかじめ言っておこう。どこにどんな粘着質が潜んでいるかは分からないからな。それによって 文学を殺す=権威の失墜 などと短絡的にややもすると「僕がそう発言した」ことになっていたりするからげに恐ろしきは掲示板なり。僕はそんなことにはこだわっていません。というか、誰かを何かをくさしたりする意図はまったくないどころか、誰ひとりとして興味をそそりません。この世界には最高に面白い僕さえ存在していれば十分なのです。文学が死んでも僕が蘇らせるし、生きて愚行を行えば僕が殺して戒める。この世界において唯一絶対の存在たる僕は、最高に僥倖に等しい面白い作品をいくつもまさに奇跡のごとく生み出し、倦んだ民要するに僕を楽しませるであろう。ゲフフ。文壇を変える?そんなスケール観といっしょにしてほしくもないし、愛はいりませんズー。その愛さえも僕が自ずから生み出すでしょう。(自己愛?)まさに世界を変えるまさに世を救う、まさに!僥倖と最高のあいだ、その存在は岩井市!岩井市!岩井市!アッバー!最高だぜ、岩井市!こんぐらい面白ければグウの音も出ないことと思います。論旨もなきゃ言いたいこともない。ただ書いてフェイドアウト。でもきっとこの声は届いてる。この板気になって気になって覗いてる。誰がキチガイとかもうどうでもいいから、書いて送ってきなよ。どんだけ目をつぶっても背けてもここが気になったし、どんな魂胆でもどんな目論みでもこの企画とかここがアンテナにひっかかっちゃったんでしょ?だったらすることはひとつなんじゃないの?そういうことを当たり前に考えられないからいつまでたっても面白くなれないんだよ。まぁ僕ほど面白くなれとは言いませんが。もし大勢とかの目が嫌なら岩井市に直接送ってきてもいいよ。もしそうならメアドを教えます。取りあえずこの板でまともに取り合う気があるのは僕だけのようなので、相手が僕なのは我慢してくれや。何が冗談なのかはまさか分かるだろう?素直になってみればこだわってることはすごく些細なことのはずだよ。と、何やら慈愛に満ち満ちて。この道を光明に向かい行き行きて。

(無題) 削除/引用
No.4-58 - 2002/11/15 (金) 12:09:03 - 死体
えーと、どういう読み違えかわかりません。「死体=桑村」ですか?アホか。
僕は頭痛くなるくらい本気だし、一言で済ませようとする「桑村さん」のような人間が一人でも減れば世の中良くなるんじゃないかと、思っています。
 とにかく、読む能力の欠如って音痴と一緒で本人は気付けないらしいので、はっきりと書きます。僕が書いた事は「ダジャレ考察」と同じですよ?
>要するに、本気なのが嫌なのだろう?
これ、自分に言ってるのですかね。あー、イラついて来た。

>死体さんの書き込みはすごくテキストサイト的ですよね。そこで「面白い」とされてる手法の焼き直し。でもあんまりうまくないね。オリジナルはそれなりに面白いと感じるものの、やっぱりフォロワーは駄目だ。どんなものでも、フォロワーがいけない。フォロワーに囲まれてヌクヌク育ってると感性が死にますよ。たかがテキストサイトしかも個人がバックボーンなしに無責任に発することで、今この瞬間を無為に過ごすようなことで、感性を殺してしまっていいのですか。
 長い文章、けれど実際的には何も語っていない。どこがどう「テキストサイト的」なのか?「手法の焼き直し」とは具体的に言うと?「フォロワーはダメ」なのは何故なのか?これこそ要約できる悪文の典型ではないのか?
 こういう言葉の羅列は、結局不快感しか人に伝えない。結果的に「桑村さん」と同じ「一行感想」なのは、意図したところが僕にビシビシ伝わるので、正解なんじゃないですか。不愉快だ。
「書こうとする意思」だけで文章を書く人に「ヌクヌクしてる」なんて言われたくはありませんよ。

自分の抱えている問題意識を他者に投影して笑ったり怒ったりするのはジョークとしては面白いかもしれませんが、本気ならやめた方がいいと思います。僕は笑ってほしかったんですが。
気に障ったのならごめんなさい。

こんな事書くつもりじゃなかった、もっと笑ったり、色々な言葉をやりとりしたかった、失望なんて、したくはなかった。
おやすみなさい、失礼します。

掲示板がぶっこわれるほど討論死体が 削除/引用
No.4-57 - 2002/11/15 (金) 09:10:02 - 岩井市英知
マジメに答えるのもほとほと馬鹿らしくなってきました。死体さんの書き込みはすごくテキストサイト的ですよね。そこで「面白い」とされてる手法の焼き直し。でもあんまりうまくないね。オリジナルはそれなりに面白いと感じるものの、やっぱりフォロワーは駄目だ。どんなものでも、フォロワーがいけない。フォロワーに囲まれてヌクヌク育ってると感性が死にますよ。たかがテキストサイトしかも個人がバックボーンなしに無責任に発することで、今この瞬間を無為に過ごすようなことで、感性を殺してしまっていいのですか。まぁ、とか言ってもすきずきですからね。それで感性が刺激されて最高ですとか言ってもとくに何も思うところはないので。僕には関係ないし。結局指向性の問題だって、もう幾度も何回も言ってるけど、個人がどこで満足するかの話だから。だから誰が合ってて誰が間違ってるなんか関係ないんだよ。取りあえずプロになりたい奴、ずっとアマで書いていたい奴、まぁ、色々。それを逆の立場から攻撃したって意味がない。「わたしはプロになりたい、金欲しい」と明言する人に対しては僕は何も言わない、言うはずがない。だけど「プロの金が云々」とぶつ輩には厳しく対したいと思う。それは反証的にあさましい魂胆で自身を高めようと目論むからだ。ものは言い方ひとつ、という部分がある。「俺は自分が1番納得できるようなものを書きたい。その結果金銭対価なしでもかまわない」という論旨であっても「金もらってる奴は守銭奴」と言えばただのなんくせである。僕の行使するあなたの行使するこの文章は芸である側面を持ちながら、これはある側面では表現であり、伝達である。手法は自由で構わない。だが、言いたいことのない者はこの文章を行使すべきではない。あくまで僕の意見だが、他人に対しても厳しく要求する。穿って見なくとも、伝わってくることはひとつだ。要するに、本気なのが嫌なのだろう?妬みや嘲笑、混じってはいるがその本気に対して畏怖にも似た感情を抱いていることは書き込みから察することができる。あるいは僕の読み違えかも分からないが。
そんなにこだわるなら東京文芸センターという名前を変えてもいいと僕は思ってる。「文学を殺す」、だって『文学をめぐる冒険』でもいいと考えていたほどだ。もし「文学を殺す」が『文学を殺す』でなくてはいけないのだとしたら、それはそれで不自由なことだ。僕は窮屈のあまり逃げ出すかもしれない。企画の上では改名は可能だったが、僕の他人には漏らさない目論みとしては改名の余地はなかったのだ。結果的にこの名前で行こうと思ったのはそういう個人的な理由である。派手な外面に惑わされる人のいることで結局はこの企画は成功したのかもしれないと思うのだが、それが成功してしまったことで僕は悲しいと思ってしまう。これでなくてはいけなかったもの、それは何だったろうか?

(無題) 削除/引用
No.4-56 - 2002/11/14 (木) 21:09:12 - 死体
#4-51
>文学を殺すとかいうわりには全然文学とむきあってないね。
 なぜ僕たちはこの言葉を不快と感じるのか、その辺りの原因を探ろう。
 僕達は要約されるのが嫌いだ。一言で語られるべき事などとっくに語られ尽くしている。だからこそ、僕達は言葉を紡ぐ方法を選んだ。言葉を並べるのではなく、叩き付けるのでもなく、一言では伝えられない何かを伝える為に、言葉を紡ぐのは最適な方法に思えた。
 悪辣な一言コメントとは、僕達が選んだ方法に対する最適な敵対方法であり、意味を探ろうとする読者への威嚇であり、自らの自我を守る強力な盾でもある。

ハロー ハロー どのくら いひど い?

「一生懸命やったんだよ!僕を馬鹿にするな!」なんて泣き言は、この暴君には一切通じない、どんな言葉も虚ろに響いて向こうに抜ける、桑村さんには悪意がない、桑村さんには恨みがない、桑村さんには命がない。
 なぜなら桑村さんは人間としての誇りを捨てたからだ。
 僕達は自分の発する言葉が好きだ、画面に表示された言葉の列を見て、うっとりとするキチガイだ、だから桑村さんの行動が理解できない、なぜ毎朝毎晩思い出して心地良くなれる言葉を書かないのか?感じた不快感を直接画面に残していられるのか?
>文学を殺すとかいうわりには全然文学とむきあってないね。
 この一文が多数の逃げ道を持った、不安定な言葉だからだ。
 例えばテレビで「カレーの大食い選手権」を見た人が
>カレー大食いというわりには全然カレーと向き合ってないね。
と言ったのなら、おそらく画面の中にはカレーの器から目をそむける選手の顔が映し出されているだろう。もし番組が「ドキッ女だらけの水着大会!」だったとすれば
>水着大会というわりには全然水着と向き合ってないね。
となり、ポロリもなくして何が女だらけか馬鹿者と怒鳴る頑固親父の顔が浮かぶ。
 ところが「文学」である、水着やカレーのように形の定まったものではない、当然向き合うにはどこに「文学」があるのかを見極めねばならず、向き合ってないと断言するには「文学」の居所を示さねばならぬ。
 それらの証明を放棄した点で、桑村さんは誇りを捨てたのだ。
 誇りを捨てた人間に何を期待しても無駄だ。桑村さんは走り去りながら脱糞した、もはや「文学」がどこにあるのか、どうすれば「文学」と向き合えるのか、教えてもらえる可能性は限りなく低い。
「すると君はこう言いたいのだね 『文学はどこだッ』」
「ふざけないでください!」
 僕たちは文学を探すように、桑村さんを探さなければならない。僕たちの心の中に潜む、闇の部分、欲望に忠実で、誠意に欠ける色情狂。誰の心にも桑村さんはいます。
 それが、桑村さんが命を賭して僕たちに伝えたかった事だと思うのです。
(No.4-53のコピペ桑村さんは右の頬にホクロがないので偽者です)


という訳で頭狂蚊鯨センター第2.1回テーマは桑村さん、廿名集まったら締め切りです。
文芸ファイト!レディィィィィィィィィごめんなさい。

マジメ自負 削除/引用
No.4-55 - 2002/11/12 (火) 10:27:34 - 岩井市英知
予想通りの手法できましたね。常套手段すぎます。ベタです。いつだって有効なのはおためごかしではなく直球ストレート。僕の経験則です。
いつでも正解があってそれを分かったり分からなかったり、そういうものだと勘違いしていませんか?だから、分かってることは全然重要じゃないんですよ?前にも言いましたね。
この企画についても完全に言える正解は「参加することでしか当事者にはなれない」ということだけです。いくらでも誰でも発言する権利はあり自由に発言することができます。ですが、当事者のように発言することはできないし、当事者はそれに対しての答弁義務はないんですよ。何を言ってもただのなんくせでしかないんですよ。評したりそれらで高められる自身の価値は結局その程度でしかなく、自ら面倒くさいフィールドに歩みをすすめることでしか得られないものがある。僕は無言のうちにそれを示したいと思ってこういう企画を考えました。そしてただ書くことと、そうでないことを分けることが大事だった。これが個人サイトであればどんな剣幕でもそれほどの重圧はない。プロのように…というと語弊がある。金銭対価がプロの印ではないと仮定したうえで僕は例えばプロ作家が被る面倒くさいことを擬似的につくりあげたかった。そうしたうえで書く重圧を仮想空間で再現したかった。それが『文学を殺す』という言葉の響きです。気楽に書けはしなかったでしょうし、仮に気楽に書けてもその気楽は重圧に対するカウンターでしかありません。「文学の死」はただの事象であり、「殺す」という能動的な意志決定のイメージが重要であったからです。書く限り逃げても逃げられないこと、そしてそのうえであえて書くことが決定的に質を分かつと僕は考えました。桑村さんが面白いと指したのはただそういう意志でしかないんですよ。これで何ら僕がトンデモででたらめで、結果、桑村さんが素晴らしいことにはなりはしないんですからね。僕は結局そういう重圧を当然のものとしては受け入れることが出来ない。そういうことです。書けば理解して欲しいと願うしくさされれば気分が悪くもなる。『文学を殺す』だから、が意味するのは、「プロだから」と便宜的には同じようなものであったと言えると思います。まぁ体験版というか。
トンデモ書き込みは全然オッケー。だけどそれに対して僕は作品でしか答えなくていいと思ってる。今回はサービスです。僕は面白いだけではなくさらに親切なんですよ。そうでしょ?シャランラーン!

こんにちは 削除/引用
No.4-54 - 2002/11/12 (火) 07:31:42 - 飯島
他人? の私が見ていても、なんだか、物凄く不快なので、
カキコむ内容、考えてから書いたほうがいいと思いますよ。
あなたがた自身が考えている事を見たいとも思っています。

引用なんかしなくってもいいんだから、討論、をしてください。
ごまかしなしに。文学について。文学を殺すという事について。
ここは、そういう掲示板だと思います。
私は、それらを見るのが楽しいんです。
私にとって、勉強になるとも思います。
私なんかは、文学について、何も分かってやしないんですから。

お願いします。

文学を殺す、にあたって、私みたいのが書いてもいいのかなって。
素直に思いました。
でも書いてしまいました。おこがましい事です。
でその書いたものについてアレコレ言われるの、
全然、構わないけれど。言われもしないけれど。
その、たとえば、文学を殺すを全否定するみたいな態度には。
全然、我慢ならないわけです。訳が分からない。
なにを否定したいのか、私などにはまるで分かってきません。

どのへんがいけないのか書いてください。
皆、それを知りたがっていると思います。
お願いします。

ええ 削除/引用
No.4-53 - 2002/11/11 (月) 05:27:48 - 桑村
岩井市さん

以下引用:
 僕は無償で作品を公開していますが、僕の作品は面白いです。十分に読む価値はあります。もちろん、そう感じない人もいます。これは自負がないわけでも努力がないわけでもなく、単純にただ金をとっている状況がないだけです。自力で製本して無断で店頭に並べたらボチボチ売れるでしょう。でなきゃ僕の作品をネットで読んだ方たちが僕に金を払ってくれても一向に構いませんヨ。簡単に言ってただ面倒くさいだけです。


君って面白いね。

ダジャレ考察 削除/引用
No.4-52 - 2002/11/11 (月) 04:35:25 - 岩井市英知
桑村さん、そうですか。そういうこともあったかもしれないし、なかったかもしれません。
それで僕も少し考えてみた。
(1)司令塔とかいうわりにはFWを活かしきれてないね
(2)魔球とかいうわりには消えたり分裂したりしないね
(3)中辛とかいうわりにはカライね
以上(1)のことから、視点が監督であるのかサポーターであるのかそれとも怒れるオヤジなのか、ラモスなのか。あ、重複してる。けど、そういうことが言えると思います。そして(2)のことから魔球といえば消えたり分裂したりするものという固定観念が言えると思います。中には飛んだり跳ねたりエビ反ったり回転したり全部足したり、はたまた東京ドームのライティングや空調設定まで利用したものもあります。そういう子供もいます。(3)のことからすきずきだ、ということが言えます。中辛としては辛すぎるきらいがあるもののそれは辛口派としてみればむしろ甘口である、という意見が割ときかれています。

問題はこの企画が司令塔なのか魔球なのかカレーなのか。我々はプレーヤーであり人の想像を絶したりする前に投手であり、そしてただのカレーである。…あ、うーんと。オチません。

ただ、ウチの父親が「外で食べるカレーは辛すぎる」と言ってウチの甘いカレーを食べてることはたしか。

ええ 削除/引用
No.4-51 - 2002/11/08 (金) 03:35:11 - 桑村
文学を殺すとかいうわりには全然文学とむきあってないね。

そういえば書いてなかったこと 削除/引用
No.4-50 - 2002/11/07 (木) 17:40:34 - ふじさわ
お邪魔します。
上松さんみたいに、どんな本も信じて読めたらいいなぁと思いました。
最近の私はちょっとケチです。

今日は、とある作家の処女作が、ようやっと本になっているのを見つけたのですが
1300円と800円のケーキを計りにかけて、ケーキを買ってきてしまいました。
その処女作は、一度雑誌に掲載されたものの、話のモデルになったひとが訴訟を起こしており、ずっと単行本化されてなかった作品で、今回は改訂版ということで雑誌掲載から8年ぶりに単行本化ということでした。

4年前の私だったら迷わず買ったと思います。
そのころはその作家の文章が好きで、コンプリートの勢いでした。
(もちろん件の作品も雑誌を全コピしています)
私は、本を買う=お金を払う=自分の財産を差し出している=その作家を養うための基金に一口乗っている=あなたの今回の作品は面白い、是非次作も書いて欲しいという意志の伝達、という意識があります。
作家が本を出すために抱えているあらゆる面倒なことを、乗り越えても本を出版・流通してくれるように、お金を払うのです。あぁもし、投資しなくてもその人が書いてくれ、私がそれを確かに読めるならお金を払わないでしょう。
しかし資本主義のつくりからいうと、作品で収入が得られなくなった作家は路頭に迷い、出版社は本を作らなくなり、私が住んでいるところまで流通しもしません。

そういうわけで私はミニ・パトロンになります。
保存用・読書用・回し読み用・お風呂用と4冊くらい買ったのもあります。
しかし財産には限りがあるので、おいそれと投資できません。
そうすると「買う本」というのは必然的に選ぶことになるのです。
今日ケーキに負けたその作家は、とある作品から、もうこの人の文章は読みたくない、と感じた作家でした。
ようするに投資することを辞めたわけです。

極端な話、文学に投資する人が全くいなくなったら、それは文学の死というのだろうな、と思ったのでした。
ええ、太宰が賞金の為に書いていたというアレと同じことです。

そうして投資しなくても読めるオンライン小説というのは、文学を殺すと同時に、全く別の意味で文学を生き返らせているのだと思ったのでした。
財産を切り分けなくても、その人の作品が読めるようにあるこのシステム。自分にかかる負荷は、それを読む「時間」程度で済みます。
ようやく最近は、それなりに面白い文章がオンラインも出るようになって、投資をする代わりに、掲示板に書込をしたりメールを送ってみたり投票をしてみたりしています。
それらは、是非次回も書いて欲しいという意志の伝達です。

追伸:この間、全く知りもしないひとから「私の作品を是非買って読んでください」という旨の、そして非常に失礼なメールが来たので、そんなことを書いておきたくなったのでした。

分かってないなぁ 削除/引用
No.4-49 - 2002/11/05 (火) 20:41:00 - 上松 弘庸
暇だから本を読むとか、暇を作って本を読むとか、全くどうでもいいんだよ。
兎に角、役に立つから。信じて本を読みなさい。
日本文学が駄目なら、外国文学があるじゃない。
現代文学が駄目なら、昔の名作があるじゃない。
名作が嫌になったら、駄作を読めば良いじゃない。
一生掛かったって理解しきれない位、世の中は思想で溢れ返っているじゃない。
もう、本を読むのが無意味とか、下らないとか、ナンセンスなんだよ。
義務教育でビート武とか読ませる時代、自分が選んで本を読もうとしないと。
でも映画HANABIは傑作だったけどね。映画も良いよ。
感受性を豊かにしないと、人生損するよ。
得るものを求めて読むから駄目だ、なんて俺には理解できない。
暇ったって、俺らの人生に暇な時間なんてあるのかい?

兎に角、グダグダ言ってないで本を読めば良いんだよ!
文学ったって騒いだぐらいじゃ死にゃしないんだから!
文学が死ぬなんて、ナンセンスだよ!文学に何を提議しているんだ!
思想は永遠だよ!

文学の対価とかよくわからんですが 削除/引用
No.4-48 - 2002/11/05 (火) 15:49:35 - 潮なつみ
本は、昔すごく暇だった学生時代には、貪るように読んでいました。別に、好みも質も関係なく、読める活字があれば、なんでもかんでも読みました。それは、暇だったからです。また、そこそこお金を持っていて使う場もなかったので、惜しまずにお金を払いました。しつこいようですが、それは単純に暇だったからです。つまり、自分の暇をつぶすためにお金を払っていた、というだけの話でした。

しかしまあ、そうやって読んできた中でも、面白いと思った作品、感じさせた作品、むしろ自分の価値観を変えるほどの名作、というものとの出会いも勿論あるわけです。で、そういう著作はどうするかというと、私の場合は大切にとっておいて何度も何度も読み返すのですよ。逆に、何も感じなかった作品は、1回読んだきりの状態で家の書棚の奥底に眠ってしまいます。
となると。
前者のほうが明らかにコストパフォーマンスが高くなるんですね。一回買えば、追加料金を払うことなく何度でも楽しめてしまうのだから。
つまり、感銘を受ける作品ならば金を払ってもいいというのに、一回あたり楽しめる単価が低くなるという矛盾!? なんだ、これは。

まあ、そんなことを言ってみましたが、それが全然矛盾ではないことは、読むのが好きな皆様にはお解りのことでしょう。いいんです、いいんです、それで。


ちなみに馬鹿で暇人とは、我ながら暴言だなあと思いました。私は仕事があり趣味もあり恋人もいますが、なぜだかそれだけの生活には満足できないので、無理やり暇を作ってその中にどっぷり浸かりたがる傾向があります。普通の人はそれを見て、無駄だの馬鹿だのと言います。けれど、私にとってはそれが必然だと思うし、多分ここに来てくださるほとんどの人は同じ傾向を持っている人だと思います。
私が言いたいのは、「馬鹿で悪いか、暇人で悪いか」ということでありました。

価値って何だ?(青春迷走編) 削除/引用
No.4-47 - 2002/11/05 (火) 02:39:35 - 岩井市英知
岩井市です。
この場において語り論じ合うことが無為かという問題はさておき、『文学を殺す』作品を書いたり読んだりしてそれで終りということもあるまいよ。金を払ってまで…というのは僕にはよく分からないのです。もしここに拳銃があってそれを作家につきつけてまで読みたい本もないし、本屋の店頭からパクッて読みたい本もないし、比較の対象がいまいち。読みたい本がない、でおおかた間違いがないですか?これが前置き。

よく考え違いをされていると思いますが、対価とは作品じたい(創造行為としての執筆)に対して払われているわけじゃありませんよ。印刷製本流通のコストそれは同人誌でも同じだと思いますが、そこでいう「プロ=対価」思想はまるで無為だと思います。果たして「金をとれる作品」というのは存在しているのでしょうか?僕には「金をとっている状況」が存在してるようにしか感じないのですが。僕は無償で作品を公開していますが、僕の作品は面白いです。十分に読む価値はあります。もちろん、そう感じない人もいます。これは自負がないわけでも努力がないわけでもなく、単純にただ金をとっている状況がないだけです。自力で製本して無断で店頭に並べたらボチボチ売れるでしょう。でなきゃ僕の作品をネットで読んだ方たちが僕に金を払ってくれても一向に構いませんヨ。簡単に言ってただ面倒くさいだけです。
じゃぁ何に対価を払ってんのか?というと、創造行為としての執筆に附随してるかのように見えるクイズやシンパシー、そういう形に残らない中で形に残るものが価値として成立しています。だからミステリーや村上春樹や恋愛小説は売れています。それは創造行為としての執筆じたいではありません。恋愛小説における共感は「恋愛」における共感であり、その創造行為に対する共感とは異なります。
じゃぁエロかったりすりゃいいのか?というと、まさにそうです。出版という資本投下回収機構においては間違いがありません。まぁ野放図に書いてりゃいいだけなら僕にだって今すぐにでも小説家はなれますが、出来ないのは要は色々と面倒くさいからです。そういうことが出来る人が対価を受け取るに相応しいのだろう。そういうかなり面倒でやってらんないことが面倒だからネットで小説とか書いてます。野放図なものの中にときたまヒットがあるのは当たり前。それだって店頭の本を野放図にかたぱしから読んでりゃヒットはあります。僕などはもはや自給自足ややもすると自家中毒に。つうことは…文学を殺したのはオレ?オレが文学殺したの?そしてその結果自分も…あわわ!卵?鶏?
じゃぁどんな話も同じかよ?といって、そんなわけがない。だから困ってんだ。トールキンとミヒャエルエンデと『針ぽっ太』の3つの中にひとつダウトがあるように、世もおしなべて、ダバディ。で、それは何よ?といって結局プロつうのは「対価が存在するように書くことが出来てなお、対価の中核でない創造行為の指向性に思慮深くなれること」なんじゃねぇの?つう話です。それは「大人が子供のように夢中になれるファンタジー」とかな、そういうの。だから僕は窪塚クンのように「児童文学のファンタジーを駄目にするな!」と叫んでたり叫んでなかったり。ジェネレーションネクスト?だけど金は欲しいよね。コマーシャル文学?かかってこいよJ文学?よく分からんね、じっさい。だけどもし僕の本が売れて僕のような奴に「守銭奴め!」と罵られても僕は全然平気です。愛は元気です。すわ、金持ちケンカせず?いやン主観ン。

レスになってませんが 削除/引用
No.4-46 - 2002/11/04 (月) 20:37:13 - 佐藤由香里
ふじさわさん、初めまして。

 私事になりますが、私は以前『一週間に一冊本を買って通勤電車で読む』ということを習慣にしていました。一冊500円以内のものから2000円以上するものまで様々でしたが、書籍にお金を費やすことを勿体無いと思ったことはありませんでした。でも、ある小説を買ったことにより、私は文学に絶望しました。理解しがたい世界観。味わったことの無い読後感。今思うとその小説は駄作だった訳ではなく、ただ単に私には合わなかっただけなのですが。

 その習慣をやめてしまってから本は滅多に買わなくなりました。その代わりにウェブ上にある小説を読み漁るようになりました。それまでもウェブ小説はちょくちょく読んではいましたが、本を読むことをやめてから極端に読むようになったと思います。

 お金を払ってまで読みたい活字というのがない。確かに今の私もそうかもしれません。でも私は、良い作品であれば少しぐらい高くてもお金を出して読みたいと思います。じゃあ、なぜそれをしないのか。私が週に一冊本を買っていた時は、どんな本なのかも解からずに、ただインスピレーションだけで買うことを決めていました。当たり外れはあったけれど、私にとってはどの本も学ぶことが多いものでした。でも、その『ある本』を買った時、私は身構えてしまったのです。「これからは、面白いかどうか判らないものにお金は出したくない」と。

 今でも本はたまに買っているんです。でもそれは、知り合いが面白いと言っていた、或いは、世間での評判が良いといったような情報がある作品だけ。以前はそんなこと聞かなくたって、自分が良さそうと思ったら躊躇いなく買っていたのに。私が持っていた文学に対する探究心は殺されてしまったのです。

 ただ最近、本当にここ最近、殺されたはずの探究心が蘇りつつあります。私がウェブ上で小説を読み漁り続けたのは、云わばリハビリテーションのようなものだったのかも知れないと思うのです。本屋に駆け込む日もそう遠くはないのではないかと。

 ああ、何だか訳の解からないことを言っています。レスとしては話が食い違っているし。でも、ふじさわさんの書き込みを読んで思い出したこと、感じたことなどを少々書き連ねてみたかったのです。ふじさわさんも、今後また何か思うことがあった時、いつでもここにきてください。

少しばかり気づいた文学のことについて 削除/引用
No.4-45 - 2002/11/03 (日) 16:18:57 - ふじさわ
はじめまして
ひさしぶりに書きたいという気分になったので書いていきます

最近、お金を払ってまで読みたい活字というのがないんですよ
文芸雑誌というのを買わなくなったし
単行本や文庫を買ってまで読みたいという作品(作家)に出会えない
新聞ですらネットで読んでいる(ネットはタダじゃないですけどね)

昔、同人誌をつくっていたときに、1冊の値段をいくらにするかで、
「実費回収の価格でいいじゃないか」という意見と
読んでももらえればそれでいいから「無料で」という意見と
金を払ってもらうだけの価値があるという自負で「1%でも利益を」という意見で話し合ったことがありました。

資本主義が、価値のあるもの=金になるものだと設定したとして
文学にお金を払いたくないっていうのが殺すっていうことかもしれないと
ここの作品群を読んだ時に思ったんですよ

お金を払わなくてもこんな面白い文章に出会える社会になってしまった、という意味で、
文学は殺されたと思ったのです
(別の意味では、同時に生き返ったのかもしれませんが)

私はむしろ夢中になれる社交性と主体性を持って なおかつ
こんな場所を覗いていける方が好ましいのです
ついでに、すごく忙しくて暇が無くても
何日もかけて文学について考えられる人になろうって思うのです
それは馬鹿げたことというよりもとてつもなく贅沢なことだと思うのです

どうか文学が殺され続けますように
願わくばそれが誰かの救い(せめて手助け)になりますように

(無題) 削除/引用
No.4-43 - 2002/11/03 (日) 03:43:30 - 岩井市英知
逆に。逆にですが。僕としては仕事があったり学業という本分があったりサークルに入ってたり恋人がいたり趣味があったり、夢中になれる社交性と主体性がありながらこんな場所は覗いているべきじゃないのは暇じゃなかったりバカじゃなければ分かるはずだと思う。
そんなことよりも大変なことが起きました。RUNDMCが射殺されました。僕は驚いて慌てふためいています。まぁ僕は黒人じゃないしアメリカ人じゃないので僕が分かることは出来ない問題だとは思いますが、果たして本当にそうなのだろうか?アフリカンアメリカンのプライドというものを自分のものとして捉えることは出来ないけれど、僕はアレスデッドディプロップメントの対訳歌詞を読んで泣いてしまうような仕方で勇気が湧くけどそれは何なのか。彼等の楽曲は英語圏外の者にもキャッチーとしてキャッチされるという評をよく見ました。それはそうだと思います。実際の口語のラップの歌詞と対訳。それは訳者の勝手な気持ち?あるいは自分の願望?よく分からないけど。取りあえず問題が大きいのみではないということは分かる。書いてあることはいわばアフリカンアメリカンのプライドを思い出せみたいな、そういうことに尽きるのだけど。それって日本人の僕にはあてはまらないの?絶対に?
注意深くなることや思慮深くなること。簡単に屈さないこと、諦めないこと。他者の押し付けた価値観(美、など)をよしとせず本当に自分にとって自分らしく価値あるものとは何か、そういうことが書いてあるんだよ。そういうことをラップ、言わば「自分の言葉で自由にしゃべる」と『文学を殺せ』という言葉になるんだって。もはや、パーティを盛り上げるためだけだったMCはマイクロフォンコントローラーとなって自分が仕切る空間の美意識を支配することになったんですよ。そしていつでもそうであったようにそれは他者に「呼び掛け」ていたんだ。
「社会が病んでいる」。それで君はどうするの?君はそれでおしまいか?ひどい事件が起きました。子供が泣いて、お婆さんは道端に座り込む。「なぜこんなひどいことが起きるのか?」お婆さんは嘆きました。それに気がつかない者さえいる。そこに通りかかった君は「ばぁさん、社会は病んでいるんだぜ」と得意そうに言いました。助け起すこともせず。大事なのは分かっていることじゃないんですよ。

お久しぶりですね。 削除/引用
No.4-42 - 2002/11/03 (日) 00:11:51 - 潮なつみ
なんだか私の名前を出されているようなので、レスしないといけないのかしら、と思ってレスします。

>一年前の書き込みについてまだ根に持っていたなんて

これは、何を受けてのお言葉でしょうか?
たぶん、根に持っている人なんていないと思いますが。それともcopy+twiceさんが根に持っている? ていうこともないですよね。誰かが根に持つようなことってありましたっけ? いや、素でわからないです。すみません。

>何日もかけて書いてたとしたらただのバカだ。そんな暇あったら寝る。
>もう最近は本をあまり読んでません。

そういう人は、こういう書き込みをしないで寝た方がいいと思いますよ。皮肉でもなんでもなく。
文学について真剣に考えたりしているのは、ものすげえ馬鹿で暇人だと思うんですよね、基本的に。はっきり言って狂気の沙汰ですよ。でも、そういうひとが文学史を作ってきてるんですよね、実際。それは仕方の無いことです。

>友達のライブに行ったり、田中フミヤのDJに行ったりしています。
>フットサルがマイブーム。のびのびと身体を動かすのって気持ちがいいですよ。

楽しそうですね。

>わざわざ殺さなくても、文学はとっくに死んでます。

それを前提としての企画です。
ええと、これに関しては発案者が私ではないので、他に語ってくれる人がいるといいなあと思って投げておきます。誰かが応えてくれるといいですね。

>今、定期的に読んでる文章は「犬嫁犬嫁」です。知る人ぞ知る日記サイトです。潮さんも好きでしょ? あれ読んでれば十分。

そう思うなら、それだけ見ていればいいのではないでしょうか。別にこれも皮肉ではなく、私にも実際そういう時期はありましたし。
今はいいと思うものもそうでないと思うものも、かなり色々なところを見るようにしています。だから何ということもありません。人それぞれですよね。ちなみに、「犬嫁犬嫁」も二年以上前から読んでます。好きでしょ、と言われると、まあ嫌いではないので読んでいるのだと思いますが、断定される謂れはありません。

というわけで、copy+twiceさんが何を言いたいのかがよく解らなかったので、よくわからないレスになってしまいました。すみません。もうすこし解りやすい書き方をしてくださると、ありがたいです。

お疲れ様です 削除/引用
No.4-41 - 2002/11/02 (土) 23:21:30 - copy+twice
いやいや、相当執念深いですね。
一年前の書き込みについてまだ根に持っていたなんて。

あれからも週一で覗いてましたよ。全部読んではいませんが。
せっかくだから久しぶりにリアクションを残していきます。
じゃないとわざわざこんな企画をがんばってやった苦労が報われないですもんね。ま、ちょちょいのちょいって書いたんなら苦労ってほどでもないか。何日もかけて書いてたとしたらただのバカだ。そんな暇あったら寝る。

1.海辺のカフカは駄作でした。前編の最初の10ページで飽きました。

2.もう最近は本をあまり読んでません。

3.友達のライブに行ったり、田中フミヤのDJに行ったりしています。Tくんのギターソロは最高にカッコ良かったです。田中フミヤのトレマバースデーパーティーはまあまあでした。detoxは今一番良いパーティのひとつです。石野卓球はもういいです。

4.フットサルがマイブーム。のびのびと身体を動かすのって気持ちがいいですよ。

5.わざわざ殺さなくても、文学はとっくに死んでます。

6.今、定期的に読んでる文章は「犬嫁犬嫁」です。知る人ぞ知る日記サイトです。潮さんも好きでしょ? あれ読んでれば十分。

(無題) 削除/引用
No.4-40 - 2002/06/20 (木) 01:24:47 - 神田
批評することは楽しいですが、ウェブで批評を公表することはやっぱり個人対個人、というわけにはいかないかなと思ってます。
ウェブの公共性って恐ろしいと思いませんか?時間も空間も飛び越えて残ってしまうんですよ。影響力は違えど、かつては「印刷」という形で必要に迫られた、職業的文章人たちのプロ意識を、僕らアマチュアから持たせることを強要されてると思ってます。
インターネットの匿名性(膨大な量による無名化)もたぶん過剰自意識で済まされることじゃないはず。僕は「神田」なんて名前もありますし、名前のないところには(それを引き受ける意識なしには)楽しいことも制限される。
とかいうことを匿名?さんに話すというのもなんだかですね。今度書くことあったらぜひ名前教えてください。個人的つきあいです。

なんとなく便乗 削除/引用
No.4-39 - 2002/06/19 (水) 16:53:41 - 潮
皆様、書き込みありがとうございます。せっかくなので、私もちょっと書き込んでみます。
匿名?さんに概ね同意かもしれないです。ただ、批評されるほうにとっても、その存在は割と重要かなと思います。私も今までに自分の転機すら呼んだ批評をいただいたことが、幾つかありました。

でも、個人的な好みの問題で言えば、私はあまり「評価される」という行為が好きじゃないみたいです。それが肯定的なものでも、否定的なものでも、あえて表明されるということに何か厭らしさを感じてしまいます。上手くいえませんが。
神田さんはそういうことを言おうとしていたのかな、と思ってみたり。

興味深く拝見しました。 削除/引用
No.4-38 - 2002/06/18 (火) 15:03:13 - 匿名?
他者を評価することはしないほうがいいと言いながら、それを始められたようですね。

私は逆にあまりに独善的な評価行為ですら存在するべきだと考えます。
だいいち評価と理解は同義なんでしょうか?評価って誰の為にあるんでしょうかね?評価する人?される人?第三者?多くの場面を見ていると、大抵が評価する人の自己満足という気がします。その次に評価を利用するのは第三者(何らかの参考や指標にする)で、評価される側は最後という気がします。評価する人とされる人の間に理解は必要でしょうか?
評価される側が知るべきなのは、評価する側が理解してくれたかどうかではなく、少なくとも一人以上の人間はこの評価のように見ている、ということで十分ではないかと思います。そしてそれは評価する人間の主観にほかならないと思います(主観の出し方はそれぞれに差があるかもしれない)。
権威という言葉がありましたが、すごい人が権威をもってあなたに素晴らしい評価を与えたら、全世界に認められた気分になりますか?もしくは酷い評価をされたとき、世界の全ての人から拒絶したように感じますか(そういう人もたまにい(それぞれに差はあるだろうが)るみたいですが)?感じるとしたら「この人にこう言われたから嬉しい/哀しい」という個人対個人の感情のような気がします。

>高野様 削除/引用
No.4-37 - 2002/05/31 (金) 17:43:34 - 神田
お久しぶりです。「20手」以来ですね。

駄文で申し訳ない。ちょっとした憤りがありまして。

他者を評価すること(積極的に彼はこうだよ、と言いふらすこと)はなるべくしないほうがいいと思います。ある人間が言ったことを他に伝えるだけの、第三者の仲介役(同時通訳者のような)でさえ、この点は避けられない、と個人的には思います。影に隠れること、なるべく目立つことのないようにすることが第一義にして、徹底することではないかと思います。

>それがあるなら、まだ良い。
ありがとう…というべきかな?(苦笑
次号は僕少し喋ってます。厳しいご意見待ってます。

おひさしぶりです。 削除/引用
No.4-36 - 2002/05/31 (金) 01:51:49 - 高野
> 感覚的に、他者評価をしようとするものに対しての嫌悪感がある。
> 貶すことはもちろん、持ち上げ高い評価を下したところで、その相手を理解している素振りをすること自体がまず汚らわしい。

ううむ汚らわしいときましたか。でも気持ちは良くわかる気がする。
評価するからには、良く論じあって評価してもらいたい。
独自に評価するなら、それは評価の対象を広く深く見ることができ、
その対象が示そうとするものと、それが示しえた度合いを判断できる、
優れた力量がないといけない。それがあるなら、まだ良い。
独善的な批評行為なら、街角の威勢の良いお兄さんもやっている。

(無題) 削除/引用
No.4-35 - 2002/05/19 (日) 15:55:50 - 神田
感覚的に、他者評価をしようとするものに対しての嫌悪感がある。
貶すことはもちろん、持ち上げ高い評価を下したところで、その相手を理解している素振りをすること自体がまず汚らわしい。評価者自体の、評価のバックボーンとはそれほど確立されたものか?せめて相対性理論くらいの理論的齟齬のなさを持っているな?自覚しているんだろうな?――あらためてその評価的な権威を持ち出してしまえば、代理をたてて(その評価に対する批判を)受け流し、自分が誠実であろうとすることすら放棄しているように見える。かといって、権威を持ち出さずに評価できる人間は、いない。他者評価することには宿命的に暗さが、みすぼらしさがアホらしさが染みついている。

他者を評価し、(いかなるレベルにおいても)なんらかの冠を他者に授けようとする行為は、自分のことを喋ることよりも公共性が低く、声が小さく頼りなげでなければならないと思う。表で人前で行えることではなく密室でこっそりと行う種類の物事である、という認識なしに、なされるものではない。

そしてまたこんばんは。 削除/引用
No.4-34 - 2001/12/17 (月) 00:38:59 - copy+twice
12月の新作、読ませてもらいました。
感想はもう少しまとまった時間ができたときに、感想版に書かせてもらおうかと思います。全体的におもしろかったです。

最近、僕の好きなスティーブンキングが文章作法の本を出しました。朝日の書評欄で川上弘美が褒めておりまして、気になったのでちょこちょこ立ち読みしたりしてます。副詞については、スティーブンであっても随分悩んだりしてるんだなー、と立ち読みながら一人で感心してました。

誰か読んだかたいます?

最近書き込みがないみたいなんで、話のキッカケになりそうなフリだけ。

大江さんのお話は御覧になった方、いなかったみたいですね。
余計気になる・・・。

ではまた。

もうそろそろ更新日ですか。 削除/引用
No.4-33 - 2001/11/23 (金) 09:40:00 - copy+twice
ひさしぶりに覗いてみました。
そろそろ12月1日ですけど、次はどんな作品が載るんでしょうか?
一ファンとして楽しみにしております。

話は変わりますが、昨夜のニュースステーションに大江健三郎さんが出演なさっていて、「書くこと」について良いお話を聞かせてくれました。大江さんが22、23の時に小説を書きはじめたのは、自分という人間(個)がどういう考えを持つものなのか知るためだった、といいます。そして最近になって大江さんは「ひらかれた個」という考えのもと、今度は若い人に向かってなにかを伝えるために小説を書いている、といった話をされました。

で、話の途中、七つのキーワードが出てきたんですが、全部御覧になったかたいませんか? 僕は途中でトイレに立ってしまったので、全部話を聞くことができませんでした。「さとる」「初造」「とりなす」「新しい人」「注意力」「元気を出す」は聞けたんですが、あと一個が気になります。「なぜ書くのか?」という、答えを出すのに長い時間がかかってしまいそうなこの問いに、自分なりの考えを悟るきっかけとなるやもしれません。もしどなたか、この番組を御覧になった方がいたら、教えてください。もしかしたら、このサイトに出入りしてる方々だったら御覧になってる方がいる気がするので・・・。

さようなら。

初めまして 削除/引用
No.4-32 - 2001/11/11 (日) 14:21:57 - 佐藤由香里
佐藤由香里と申します。失礼します。

数日に渡る一連の討論を拝読して、勉強させてもらいました。個々に自分の考えを持って文章を書いているのだなあと。私は小説に関しては全くの素人で、こんなところで自分の意見を言って良いものなのかどうか迷ったのですが、感じたことだけとりあえず。

私は皆さんほど文章力も理解力も無いので、書くことも読むことも、自分の感性に頼っていることが多いです。特に書くことに関しては全くの素人なので、もっと勉強しないといけないなあと思いました。

書き手としては、それぞれの手法、技法があると思います。
だから例えば「こうした方がもっと良くなるよ」とアドバイスをされることは快く思っても、「そんなんじゃ全然ダメだ」と言われる筋合いはないんじゃないのかなと。人それぞれの書き方、伝え方があるのだから、それを否定することは出来ないんじゃないかと思うのです。

私は今回「20本の手」に参加させて頂きましたが、小説自体は全くまとまりのない駄作です。つまらない!と言われても仕方ないですが、共感してくれる人が一人でもいる限り、書いた価値はあると私は考えています。
それは例えば音楽の世界。
インディーズの頃は好きな音楽をやっていたバンドも、売れ出すと急に売れ線の曲を作るようになるケースがあります。そうなると昔からのファンは「なんか最近違うよな」と言います。
文章も同じものなんだろうなと最近思います。読んでもらうために書きたいことを書けなくなるようでは、「自分」が書く意味はないんじゃないかと。自分の書きたいことを書いて、それで多くの共感が得られたら、それがベストなのでしょうけど。

小説同様、この書き込みも全くまとまりがありません。しかも「思う」って言葉が出てきすぎです。何が言いたかったのかも分からなくなってきました。生意気なことばかり言ってしまって申し訳ないです。素人の戯言だと思って聞き流してください。駄文、失礼しました。

とりあえず 削除/引用
No.4-31 - 2001/11/11 (日) 11:48:40 - 潮
カリカリして書いた憶えはまったくありません。もし不快な気分にさせてしまったのならば、申し訳ないです。
与えられた「理想の小説」と言うテーマに対する、自分なりに考えて答えを書き、他の人が沈黙している理由もそれに絡めて書いてあるだけですよ。
そういう前提でもう一度読み返してくださいね、カリカリしてるところはないはずなので。

あーすいません 削除/引用
No.4-30 - 2001/11/11 (日) 00:41:07 - copy+twice
JapaniseはJapaneseですね。
公の場に文章書くなら、最低一回は推敲・見直しくらいはすべきですね。

『檸檬』は僕も読んだことがあります。
友達にあげてしまったので今手元にないんですが、
清麗な文章で、読んでて心地よかった印象が残っています。
しかも読み終わった後、枚数が意外と少なかったので感心した憶えも。

一々許可は取らなくても良いと思いますよ 削除/引用
No.4-29 - 2001/11/11 (日) 00:13:25 - 上松 弘庸
まぁここは所謂仲良しグループの集まりではないので、若干討論がピリピリしていくのはご了承下さい。先ほども述べましたが、著者により考え方も随分異なっておりますので。
まぁ、理想についてここで討論しても良いと思いますが、理想についてはあまり他人が踏み込めない領域ですので、それほど書き込むメリットはないかな、とも思うのです。
僕などは書き手も読み手も素晴らしいと思える作品が理想です。
最近読んだ本で良いなと思ったのは梶井基次郎の檸檬です。
これだけ無駄のない文章が書けるようになれば、良い小説家だと思います。

こんばんは 削除/引用
No.4-28 - 2001/11/10 (土) 19:53:58 - copy+twice
なんだか潮さんまでカリカリとキテるみたいですね。
理想が語れないのであれば、
「この作品のこの部分は評価したい!」とかはどうですか。
ここに載ってる作品でもいいですし、
本屋で売ってる比較的みなさんが読んでそうな本を1冊取り上げて、
それについてみなさんで感想を述べ合うというのはどうでしょう?

まーここに載ってる作品で論じ合う時は、作者の方からの許可を頂いたりしながら。
書き手の方から自発的に「論じてください!」みたいな発言があってもいいと思うし。

人が書いた一言をつまみあげて、それほどカリカリすることもないじゃないですか。そんなんじゃ、みんなビビって何も言えなくなりますって。

そしたらこっちも細かいとこツッこんだりしちゃいますよ。
「ペンネームが潮なつみて(苦笑)」とか言ったりして。
「うるさいっ! お前こそなんやねん! copy twiceて!」
ゴギッ!(グーで思い切りツッコミ)
血まみれになりながら「はっ? 何言ってんだよ。意味わかんねーし(冷めた目)」
「お前の方が変な名前ゆうてるんやないかっ!」
「I am copy twice. I cannot realize Japanise」
「さっきまでバリバリ日本語しゃべってたやないかっ!」
バシッ!(左手の手の甲でツッコミ)

またそのうち覗かしてもらいに来ます。そろそろ名前変えよかな。

誰も書く人がいないみたいなので 削除/引用
No.4-27 - 2001/11/09 (金) 13:54:14 - 潮
 「理想の小説はこれです」ときっぱり語ることが可能ならば、私はきっと自分で小説を書きつづけることは無いだろうと思います。勿論、いち読者として、かつて多大なる影響を受けた大切な作品は沢山あります。だからと言って、それを私が書きたいわけではない。まさに「使い古された言葉をいかに磨きだして、自分なりの新しい表現をしていく」ために書いているわけですから。

 ぶっちゃけた言い方をしますと、自分の理想を語るという行為は書き手としてはナンセンスだと思います。んなことグダグダ言ってねえで、自分の小説で早く体現しろって感じです。あ、これは自分に向けての言葉ですよ。体現しようと思っても、たとえ一つの作品を書き終えたその時には体現した気になっても、次の日にはもう、ほかのことを体現したくなるし、ほかの体現方法を試してみたくなるんです。そう思う限り書きつづけるまでです。

 少なくとも私はそう思うので――そういう人は黙っていればいいですか? 皆さんの沈黙の理由もそこらへんではないかと思ったのですが?

おはようございます。 削除/引用
No.4-26 - 2001/11/07 (水) 05:11:46 - copy+twice
最近風邪を引いてしまいました。
ノドが赤く腫れあがって、ぬらぬらしています。
ツバを飲みこむたびに、ジクッと痛みます。
「そのまま死なねーかな」とか言われそうですが。

高野さんへ。
とても興味深いお話を聞かせていただいてありがとうございました。
「ある有名な作家〜」のくだりには共感を覚えました。行間を読ませる、というやつだと思います。

小説は娯楽、エンターテイメントだ、との主張も共感を覚えました。僕の考えだと、小説は娯楽です。だいたい本なんてのは消耗品ですし。僕なんかはスティーブンキングのホラーとかとても好きです。まーここで潮さんみたくプロのアドバイスを引用させてもらいますと、新潮社の編集者の方も「本は消耗品だよ」とおっしゃっておられたので、「あー、やっぱ本職の人もそう思ってたんだなー」と感じたのを憶えています。

あと、「あなたの小説を読んでみたい」とのこと。まーたしかに本好きがこうじて小説を書いたりしてみたこともあるんですが、あまりにできが悪く、とてもじゃないですけど人様に見せるものじゃありません。人に読んでもらえそうなのができたらどっかで載せます。

ていうか下の発言で書いたと思うんですけど、僕は文章を書く技術がないので、勉強させてもらおうと思ってこの掲示板に書きこみはじめました。とりあえず、自分が小説についてどう思ってるかを書きこんでみて、これについて他の文芸に詳しい人達はどう考えるだろうか、他の人達はどんな小説が理想だと思っているのか、を教えてもらおうと思って書きこんでいます。

>小説は言葉を使う芸術なので、ある意味で使い古された言葉をいかに磨きだして、自分なりの新しい表現をしていくかというのも、ひとつの問題意識なのかなと思いました。
この部分なんかはイイ事言うなーと思いました。「セックス」や「死ね」などの、言葉のもともと持っている刺刺しさは、せいぜい話の「つかみ」くらいにしかなりません(ホントはこんな言葉に頼らないほうがいいのかもしれませんが)。使い古された言葉を自分なりの新しい方法で解釈するのは、面白いことだと思います。「弱弱しい」なんて言葉も、使うタイミングやら話の流れによっちゃあ、「セックス」や「死ね」よりも読者に刺激を与える、あるいは震えるような感動を与える言葉になるやも知れません(笑)。

なんか討論ばっかりだと肩が凝るんで、もう少し軽い話題も話しませんか?
僕の興味ある話題は↓。
「私の理想の小説は〜〜」
岩井市さんのように自分のために小説を書いてる人もいるし、
僕のように「五感+α」を刺激されるのが好きな人もいる。
理想の小説ひとつとってみても千差万別だと思います。
というわけで、自分にとっての理想の小説はどんななのか?
というのを聞いてみたいなーと思います。

「最近読んだなかで心に残った本は〜〜」
本好きな僕としては興味深いです。
ちなみに、僕が最近読んで心に残ったのは阿部和重の「アブストラクトな誘惑」です。
読んでてゲラゲラと大笑いしてしまいました。
「喜劇役者は、あくまでマジメに行動し、自分のユーモアに笑ってはならない」という基本を意識してるに違いありません。

「板違いだ!」と言われれば、他の掲示板に移りますから、管理人の方、指示をください。 

これまでどおり討論したい人は、そういった意見も書きこんだらいいと思います。(といっても最近書きこまれた跡がないですけど)

お返事です 削除/引用
No.4-25 - 2001/11/06 (火) 01:29:32 - 高野
copy twiceさん、レスありがとうございます。

小説は言葉を使って書いていくものですから、確かに文章に魅力がなければ読んでいて嫌になるでしょうね。私自身も一般の文章を書くのに苦心していますから、小説となると大変だと思います。

ある有名な作家の小説は、読んでみると意外なことに平易な文章でした。余計なことは描写していません。食事のシーンでも、食欲をそそられるのにグルメの描写はしていない。あとは読者の想像にまかせています。そこが上手いところだと思いました。

先に「いかにして読者の五感+αを上手く刺激してやるか」というのは、文芸のセンスというより演芸のものではないかと書きました。ここで演芸と言ったのは、エンターテインメント、娯楽の意味で言ったつもりです。お金をだして楽しみにきたお客さんを、いかに気持ち良く満足させてあげられるか。娯楽はそれができれば良い。

小説の場合、実はそれだけでは済まないケースがある。時に読者に不快感を与えてしまう場合もあるわけです。作者のテーマに必要な表現である場合、そのようなケースもあるでしょう。あとは、その読者がその作品の表現するテーマに「五感+α」以上の興味を充分にそそられるかどうかで、その読者の満足度が決まると思います。

討論と批判についてですが、考えてみれば似たようなものですね。ただ、その作品のテーマがこの時代や状況の中でどんな意味を持っているのか、読者にどんな刺激を与え何について考えさせるのか、あくまで作品全体を見た上でこの表現はふさわしいのか、ほかに方法があるのかなど、批判をしていくのではないかと思います。まぁ素人の考えることですが。

批判する者は作品全体をみる力があるのだと思います。私があなたの小説を読んでみたいと書いたのは、以上の意味であなたの批判をすべてクリアした小説だと思うからです。

潮さん、レスありがとうございます。

小説は言葉を使う芸術なので、ある意味で使い古された言葉をいかに磨きだして、自分なりの新しい表現をしていくかというのも、ひとつの問題意識なのかなと思いました。素人考えですが。

週末の夜に時間があれば、また来てみたいと思います。ありがとうございました。

(無題) 削除/引用
No.4-24 - 2001/11/05 (月) 00:54:22 - 潮
 暫く(とはいえ数日ですが)インターネットを離れている間に、随分盛り上がっていたみたいですね。興味深く拝読させていただきました。

 copy twiceさん。今回の企画以外の私の掌編も読んでくださったようで、有難う御座います。
 「文章how to本」のようなものを一切読んだことが無かったもので、「そんな常識があるのか」と思い自分の文章を読み返してみましたが、成る程、確かに幾つかは要らない助詞があるものですね。今度気をつけてみようと思いました。

---

 海坂さんの書き込み、「らしい」と言うか何と言うか、流石だと思いました。
 海坂さんは、此処に居る人間の中で(copy twiceさんに関しては情報が少ないので、知っている限りで語っていますが)これまで最も多くの批評をしあっていらした方ですので、言う側のツボも聴く側のツボも押さえており、非常に学ぶことが多いです。

 上松さんは「どんな批判でも感謝」とおっしゃっていますが、読者の声には役立つものとそうでないものがあるのは事実です。私は海坂さんのように批評をし合うことは滅多にありませんが、作品を批評された経験で言えば二番手くらいに来ていると思います(無論、これも知っている限りの情報ですが)。そういった経験の中で、本当に役に立った批評を聞かせてくださったのは、思い出せる範囲でたった三名です。しかも悔しいことに、その三名はプロの方々でした。自分のスタンスとかプライドとかの問題では無く、的を射た批評というのはそれほど難しいものだと私は実感しています。だから自分では軽々しく人の作品に口を出すことはしません。が、批評に耳を傾けないつもりはありませんし、そう言った記憶もありません。
 上松さんは「批評」ではなく「批判」という単語を使っているので、その点では私の言う批評とは意味が違うのかもしれません。が、「その作品は妥協しているのか?」は、批判だから顰蹙を買ったのではないと思います(少なくとも私は)。その言葉は、一体どんな影響を与えうるのでしょう? それで火が着くという性格の人も居るのかもしれませんが、その程度の切っ掛けで直すことの出来る作品なら、恐らく人に見せる前に躊躇しています。
 何にせよ、「他の3人とはかなり違う考え方」という言葉が気にかかります。私は上記のような理由にて、内部で批評しあうことを好まないだけです。今回、読者の方から意見をいただけた事は、非常に喜ばしく思います。

 高野さん、初めまして。
 「ここは討論掲示板なので」とは、まさに私もそう思っていたところです。しかし、「批評論」に話がシフトし始めているので、ここから発展すれば面白くなるかもしれません。
 高野さんの読み方と私のそれは、ほぼ同じだと思いました。上記の「批評が役に立つ/立たない」の話は、こういった「読者の読む姿勢」を前提に考えています。

こんばんは 削除/引用
No.4-23 - 2001/11/05 (月) 00:50:38 - copy+twice
海坂さんへ。

初めまして。
大変興味深く読ませていただきました。
作家の作品を具体例として挙げなかったのは、先の「村上春樹論争」を意識したからです。
具体的な作家の名前を挙げると、岩井市さんからの反論みたく「村上春樹に沿わない作品はダメなのか!」とか言われて面倒になりそうだなーと思い、あまり引用するのは良くないか、と意識しました。
ていうか、具体例を挙げなくてもこれくらいなら分かるかと思ったもので。
今となっては海坂さんにわざわざよい例を探しだして頂いたので「手間が省けてラッキー」と思っています。「みなさん、これを読んでください!」 といった感じです。

三島由紀夫、倉橋由美子の文章はとても面白かったです。やはり先人の中にも小説と性行為を結び付けて考えている人がいたんだなー、と分かっただけでも大きな発見でした。やはり素人の考えそうなことはみんなすでにやっているなー、と思いました。まさに、日の下に新しきものなし、といったところ。

ですが、プロのライターはさすがに考察が深いようですね。挙げられた本は暇を見つけて全部読んでみます。あるいは僕の考えが変わるかもしれません。

今度は海坂さんご本人の意見も伺いたいものです。三島や倉橋や阿川もいいですがご自分はどういった考えを持っているんですか。これまで討論してきて不満に思ったことは、ほとんどの人が僕の意見の「否定」することばかりで、自分のアイデアというものを出さないことです。あんまり建設的じゃないと思います。たしかに名の知れた作家のうんちくを引用すれば、大抵の人は納得するかもしれません。それを使って人の言った意見に批判だけ述べるのは簡単だとは思います。それプラス、先の遠野さんのように、ご自身の考えを述べてみたらどうですか? あなたが僕の意見を否定したいのなら、三島の意見を数行引用されたところで無理です。その本を全部読んでみたら分かりませんが。権威がのたまう意見よりも、すぐそばの人の発した腹の底から出た言葉のほうが、人を説得することもあります。


高野さんへ
僕の書いた上手くなるとは「人に読んでもらえる文章を書くことができる」ようになることです。僕は岩井市さんと考えが異なり、小説は読んでもらわなければ存在しないのと同じことだと思っています。ですから、読者の存在を無視した、読ませようという努力の見られない作品は僕にとって批判の対象です。

この討論掲示板は今のところ誰でも書きこめるものです。書きこみを制限されたりしてません。ですから僕のような人間が書きこんでもいいんだろうと思ってこうして書きこんでいます。

「演芸」とだけ言われてもよくわかりません。「討論」と「批判」の違いについても説明不足です。あなたは文章を書く時、言葉の意味に頼りすぎています。私に何かを伝えようとして文章を書いているならば、もっと言葉を選ぶか、2、3文補って分かりやすく書いてください。意味の広すぎる単語を使いすぎです。あなたの思っていること全てを込めたのでしょうが、それは言葉の力に頼りすぎているからです。わざわざ『』をつけたりして、読者の方に解釈をゆだねすぎています。あなたの言いたいことが伝わり辛くなっています。そういう時は無理せずに、文章を増やして詳しく説明すればいいんです。

copy twice さんへ 削除/引用
No.4-21 - 2001/11/04 (日) 23:22:57 - 高野
はじめまして、高野と申します。

>上手くなるためには、第三者の批判が必要であろうと思います。

小説の何が上手くなるのでしょうか。
小説にとって批判の対象となるべきものはなんでしょうか。
教えてください。

批判と討論はニュアンスが異なると感じるのですが、
(ここは討論掲示板なので、私の疑問です)
批判するためには、良い面も悪い面も見る必要があります。
むしろ、それだけの力量がないと出来ないと思います。
討論は同じ立場の者同志で出来ますよね。

あなたの力量を実際の小説で読んでみたいと思います。

>文芸のセンスは、「いかにして読者の五感+αを上手く刺激してやるか」ではないか、と私は思います。

私はむしろ、そのようなセンスは『演芸』のものではないかと思います。

>ところが小説は本当の心象描写が可能です。

ほんとうですか!小説はパーフェクトに嘘の世界だと思います。
写真も嘘。三次元の物を二次元に写した時点で、真っ赤な嘘です。
だから様々なことが出来て面白いんですが。

あと、思うんですが、
小説はもともと一定の形式から離れて自律したものだと思います。
古い物語の形式から自由になったものです。
何をどう描いてもいいのが小説だと思います。
(掌編・短編と長編の小説はまた異なるでしょうが)

たとえば、あなたの主張する理論で
描写や構成の批判を自由な形式の小説にむけた時に、
私が感じるのは、場違いな批判かなということ。

古典絵画の手法をもってして、
現代の抽象絵画の描写や構成を批判しても、
かなり的外れだと思うんです。

あと、文章教室については各自が研究すれば良いと思います。
作家のなかにも、面白い文章を書く人がいます。
それで作品の価値が貶されないのは、凄いことですが。
評価する人は、違う価値を見ているのでしょう。

ざっと書いてしまいました。
失礼などお許し下さい。

(私は小説を書いたことはありませんが、
感じたことを書かせていただきました)

思い出すことなど 削除/引用
No.4-20 - 2001/11/04 (日) 17:18:40 - 海坂
三島由紀夫『文章読本』(中公文庫)によると、
「性行為はスポーツと同じで、反復によって修熟し、反復のうちに快楽を見出す性質のものであって、共に内的特質を文章に表すのは不可能だ」
そうであります。まあこれはそれ自体を文章に描写する時の話ですからcopy twiceさんの喩えとはすこしずれるようですが。
いずれにせよ「文芸のセンスは、……セックスのセンスに近い」と一概に言ってよいかは相当疑問であります。倉橋由美子は『坂口安吾論』(『毒薬としての文学』講談社文芸文庫)で、
「安吾の文学は、太宰治のそれとはちがって、性的な構造をもっていないということにつきます。太宰の場合、文学(小説)とは他者との精神的媾合の関係そのものでした。かれのことばは精神の恥部をめざす愛撫の手であり、読者は恥――わたしにはそれは精神の性感であるように思われます――の火を燃やしながら太宰治を愛してしまうのです。……この本能をそなえている作家の文体にはあられもないいやらしさがあり、したがってまさにその理由でかれは確実に愛されるのです。」
と言っています。
それから、阿川弘之の随筆集『七十の手習ひ』(講談社文庫)の中には、
「食卓のそばに夫妻のあいだにいつもどおりに陣どると、医者にむかって患者の様子をたずね」
という『ボヴァリー夫人』(新潮文庫)の文章を引いて、「こんな日本語があるだろうか」「ににに文章」と呆れているくだりがあります。
人の書いたものに「文法の話」をするならこのくらい具体例を引かないと説得力は無いと思われます。

お返事を書いてませんでした 削除/引用
No.4-19 - 2001/11/04 (日) 11:51:56 - copy+twice
色んな方々から書きこみの中で呼びかけてもらってたんですが、
お返事を書いてませんでした。

潮なつみさんへ。
初めまして。
自分が最初だったので少し緊張しましたが、
面白そうなので書きこんでみました。
潮なつみの『ウソツキ』は読ませて頂いたので、
感想を書いてこうかと思います。
文法の話ですが。
潮さんの作品には「に」がちょっと多すぎると思いました。
これはいわゆる「文章how to本」の中でよく書かれていることですが、
頻繁に使われて、もっとも文章の座りを悪くするのは「に」です。
文章中で「に」をできる限り使わないよう工夫するだけで、
作品の印象はだいぶ違うものになると思います。
今よりもっと分かりやすくなるはずです。

上松弘庸さんへ
初めまして。
文章を褒めていただいたみたいで。
どうもありがとうございます。

>色々お教え下さい
とのことですが、
そんなふうに言われるといやいやいやいやーと尻ごみしてしまいます。
僕は文章の技術について大した知恵など持ってないです。
ていうか、この掲示板に書きこんだのもどっちかっていうと僕のほうが新しい発見をしようと思ってのことです。パクろうと思ってのことです。

なので、僕も気づいたことはそのつど書きこもうと思いますが、上松さんもどんどん手の内を明かしてください。僕がパクりますから。

掲示板は潰しません 削除/引用
No.4-18 - 2001/11/03 (土) 20:25:04 - 岩井市
それは誤解を招く発言でした。
掲示板の存続についてです。
僕はただ、「ただ作品を読むだけ」のサイトであるならば、この掲示板が意義をなくしてしまうので、そういった仮定で極論的に書いただけです。申し訳ない。

そもそも、僕には決定権はありません。他の、当座の常駐の執筆者(メンバーとは言いません。連載陣やら単発やら、自由意思により毎回提出する者ということです)が何人かいて、それは単にこの場に居ついただけの人間です。拘束もないです。誘ったり、誘われたり、そういう経緯はありましたが。
他の者にも、完全な決定権はありません。その代わり、提案する権利は絶対的に保障されています。民主主義とかいうとまた少し語弊が怖いですが、その場合場合に合わせて、決を採れて、実行が現実的である選択を決めてゆきます。だからものすごくグダグダ言い合うケースもあります。即決もあります。なるたけ事後承諾のないようにもしていきます。

なので、僕が「掲示板潰せ!」と言ったところで潰れません。その場合、僕がどうしても潰したい場合は、その旨と理由をちゃんと説明しなければなりません。それが賛成されれば潰れます。

しかし、僕は潰したいと思っていません。誤解を招く発言だったと思いました。まぁ、実際僕は進んでこの掲示板に書き込んでいますし、もしかしたら主要メンバー(実行・施行権のある人間)に思われたかも知れませんが、違います。

僕はこの一連のやりとりえを楽しんでいます。こう言っては「面白がられてはたまらない」という気持ちも想像できますが、掲示板はこうあるべきだと思います。せっかくこの掲示板上で様々な意見や見解の相違や同じくする部分が発見できたので、(もちろんですが)続けていきましょう。
幸い、この掲示板には「ただの足跡」を残す余地がありません。そういうある意味純粋な掲示板って希少ですよね?僕はそう思います。

この掲示板及びサイトにいる人間は基本として、みな文章が好きです。それだけは間違いがなく、そういうサイトを目指しています。だからどんな意見の相違があっても、それだけは疑いません。
そういったことが約束されることは理想郷のような考えとも言えますが、僕はそれが有り得ないとは思えません。
やはりこの一連のやりとりでも、僕は確信を強めるわけです。

面白く読むことができました 削除/引用
No.4-17 - 2001/11/03 (土) 19:15:22 - copy twice
小説を書く動機ひとつとって見ても、それぞれの個性があってとても面白いと思います。数多くの意見を楽しく読ませて頂きました。

そもそも表現について論じ合う時に、「善い」「悪い」、「白」「黒」、「適当」「不当」、「優れている」「劣っている」というような二元論で割りきれるとは最初から思っていません。知ってのとおり、世の中、そんな単純にできていないものです。

あと、討論の際に、誰かの意見を100%肯定できる人なんてのも、いないんじゃないかと思います。育った環境だって違うんですから、個人それぞれ考え方が違うなんてことは当たり前です。むしろ、まったく考え方の違う人が討論しあうから意味があるんじゃないでしょうか。自分ひとりでは到底思いつかないようなアイデアを他の人は持っているものです。事実、掲示板に書かれた意見の中には、新しい発見があった、というような記述もあります。討論しあうと新たな発見があるものです。加えて、議論しあうことによって、それぞれの人達が「自分にとって書くこととは何か」というようなことを深く考えるきっかけにもなったんじゃないかと思います。まーですから、あんまり「勝ち」「負け」にこだわることもないんじゃないかと僕は思います。

岩井市さんが言うように、基本的にはそれぞれのやりたいようにやればいいんだと思います。大事なことは、数ある意見の中から自分にとって必要なものはどれか、自分の得たものは何か、それらをふまえて自分には何ができるのか、といったことを考えることだと思います。あとは、自分に必要と思ったことをできることから実行する。議論のなかで自分に関係ないと思った意見は無視してしまえばいいんだと思います。

で、岩井市さんの書きこみの最後のほうで、今後掲示板を閉鎖すると受け取れるような文章がありますが、それは面白くないなーと思います。これから掲示板に書きこまれる意見の中には、岩井市さんの参考になるようなものも出てくるに違いありません。もう少し他の人の意見も幅広く募ってみませんか?

(無題) 削除/引用
No.4-16 - 2001/11/03 (土) 12:12:02 - 岩井市
「負け」ともっぱらの噂、岩井市です。いい加減しつこいとお思いでしょうが、今回は普通の書き込みなので安心。

どうも、僕(岩井市)が「伝える努力を放棄している」方向性に話が流れていっていて、僕はとても不思議な感慨を得ています。
僕は「貴重な意見に耳を貸さない」なんてことはついぞ言ったことがないんですが、何故かそう「発言したここと相違ない」ことになっているのは、まさに時に悪戯ですか。
ま、それはいいんですが。

僕は、誰も僕の書いたものを読まなくても、僕が読むので大丈夫です。それを「自慰」以外の言葉で「駄目な理由」を言える人は是非教えて下さい。「伝わらないとゼロ」というのは、小説をコミュニケーションツールとして見た場合であって、「伝達」が1番先に立つ場合です。広告なんかはそういうものでしょうけど、小説はそうだと思っていませんでした。むしろ僕は許されるフィールドだと。
伝わらない(読まれない)とゼロ。いいえ。あなたや君やお前や誰かに読まれなくても、きちんと僕の書いたものは存在しています。「大勢の人間に認知」されることを目的にすれば僕の言うことは破綻していますが、それが(今の)小説の存在意義だとは思いません。
僕の書くものは「ヘタな映画の脚本」です。その点copy twiceさんはとても鋭いと思いました。別にスネてるわけでなく、その通りなのです。ねぇ、こんなものをドフトエフスキーと比べて(同じくしようとして)どうするんですか。僕の書いたものが何年も後に誰かに読まれるとでも。まさか。僕は僕の書いた内容の範囲でより伝える努力は惜しんではいません。だから、僕は「自分の好みでものを言っている」と何度も言っているんですよ。僕よりあなたがたのほうが崇高に思えます。
オペラにしか感動できないというなら、何も無理に自主制作の映画に傾倒する必要はない。感動にも貴賎はありません。
僕は僕なりの高みを目指しているので、だからあなたがたの尺度には当てはまらないのですよ。逆もしかりです。当たり前のことしか書いていません。たとえ、僕があなたがたの好みの姿勢で書いていなくとも、咎められるいわれは一切ありません。逆もしかりです。不思議なことに、糞の役にも立たないはずのプライドが、今の僕の存在を支える大きな支柱になっているとはね。何も僕は悪意から「下らないもの」を書いているんじゃありませんよ。それでも作品自体にしか興味がなくて、それが全てで、それにしか意味がないのなら、仕方ありません。(アウトプットにしか意味がないなら)その時には全ての者から発言の権利を奪う方策しかないです。

的外れになったらすみません。 削除/引用
No.4-15 - 2001/11/03 (土) 03:55:23 - 遠井 未遥
 こんばんは、 そしてはじめまして。遠井と申します。よろしくお願いします。
 下のやり取りを見ていて、文学に対する確固たる信念があるわけじゃないから、傍観しようと思っていました。支離滅裂なこと書いてアホを露呈するのは恥ずかしいし。恥を覚悟でかいてみます。

 文学というか、物語が読まれないのは、やっぱり書き手(これはわたし自身という意味です)の責任だと思いました。面白くないと言われれば「あ〜そっか〜あわなかったか〜」となりますし、もしも、誉められたら「おや?まんざらでもなかったんやな〜」となります。で、しばらくして、なんでだろ?次はどうしようかな…と悩む。こんなに単純なのはわたしだけかもしれません。
 上松さんの書かれた中で、読者あっての文学…というのはわたし、同感です。客商売ではないんだろうけれど、結果読まれなければ意味がない。そして、作品はともかく、著者には興味がないなんていわれたらば負け…勝ち負けなんて?って思ったりもしましたが、同じことなんだなって思ったのです。食指がわくような盛り付け(提示)もせず、読め読めでは悲しい。だからといって、判るものだけでいいってのもヘンだしなぁ。
 読み手に触れてもらえない文章は可哀相。面白くないと捨てられたら、拾ってもらえるような工夫、振り向いてもらえる為の化粧直しの努力は惜しみません。と言いつつも、技術が稚拙なため、すぐに剥がれてしまいそうですが(苦笑)やっぱり、書いて書いてしかないのかな…とか。今更ながら、勉強不足だなぁって反省することしきりです。
 
 自信というほどでもないのですが、今までは、好いてくれる人がいる間は書いてもいいかな…くらいは思ってました。でも、こう感じた(ヘタな映画の脚本を読んでいるみたい)ってことは事実だから。人の数だけ好き嫌いはあったとしても、読み手側の声があがった事にたいして喜ぶべきなんだなぁって思います。こんな読み方をする人も、いるんだってことが判るのは大事だなぁって。同じ見せるなら、もっといいやり方ってあるかもしれない。残念ながらわたしは、未だ道の途中で、いい答えを持ち合わせてないです。
 今回、わたしは本当に軽い気持ちで書いてしまいました。滅多とないお祭りのように思い、自分なりに頑張ってはみたのですが…創作において、意図とか正しい解釈とか、あってないような気もしているんです。技術的に優れたとしても、好きになるかどうかはまた違う話だろうし。読んだその人にとってしか判らない、感情の部分じゃないかな?と思っています。
 けれど、作者の込めた意図が感じられなかった、作用しなかったとなれば、これは筆の未熟さゆえとたしなめられて当然だと思っています。わたしはあんまり素直ではないので、一喜一憂しながらですが、こうしたらいいのに〜とかここが〜ダメとか…普通はためらわれるところ、自分ではすぐには判らないことを知ることが出来て、書くことと読むことの大事さを改めて知ったような気がします。(勉強不足なわたしとして)

(無題) 削除/引用
No.4-13 - 2001/11/03 (土) 02:31:38 - 上松 弘庸
ところで貴方の書き込みは簡潔に、分かり易く書かれていて、感情の波を感じさせない、とても良い文章だと僕は思います。
その点だけでも十分に、貴方の批評を参考にするだけの価値はあると思います。

是非是非、色々とお教え下さい。

宜しく。 削除/引用
No.4-12 - 2001/11/03 (土) 02:22:40 - 上松 弘庸
こぴぃとわいすさん、初めまして。上松です。どうぞよろしく。貴方とは気が合いそうです。貴方の批評、楽しみに待ってます。どんな批判でも感謝します。やはり読者あっての文学だと僕は思います。自分の作品からは読者に近づかない、という事では凡人の僕は遥か彼方の偉大なる先人達の姿すら見ることは出来ないでしょうし。まぁ全力で読者に近づいても読者は逃げていきます。孤独ですね。

まぁ先の著者の書き込みに対して色々と反論もあるかと思います。彼に限らず、東京文芸センターは独特な考え方を持った人間がいます。文章が長いですが、結構僕らは長い文章で意見交換したりしているんです。気持ち悪いですね。まぁ、それなりに我の強い人達の多い所だとは思いますが、各自自分の考えがしっかりした人だと思いますので、ころころ意見が変わったりする事はないです。その点で僕達は素直です。

ただ、意外かもしれませんが、僕らの中でも意見の対立はあります。それもかなり頻繁に。僕は批判するのもされるのも大好きですので、現時点で毎回投稿している他の3人とはかなり違う考え方を持っているのですよ。ついこの間も「その作品は妥協しているのか?」なんて書き込みをして顰蹙を食らったばかりです。

僕はあまり貴方の事を知りませんが、どうやら貴方は文学作品に対して、自分なりの評価のし方をしっかり定義付けて入る方の様ですね。読解力がない、というのは謙遜でしょうか。そもそも読解力がなければ理解されないような作品自体に問題があるのかもしれませんね。ドストエフスキーや夏目漱石などの有名な著者の作品が優れている事は当時全く本を読まなかった僕にも分かりました。この2人に出会わなければ僕は読書に興味を持つ事はなかったでしょう。

ところで作品に興味があると著者にも興味が出てくるのではないでしょうか。その意味で20本の手の参加者のサイトへのリンクは必要だと思いませんか。貴方に興味はない、とそう言われた時点でコミュニュケーションは途絶えてしまいますよね。僕はそう言われた著者の負けだと思います。

「このサイトに掲載されている多くの文章を読んで思ったことは、
「物語の構成をもう少し丁寧に考えれば、もっと面白い話になるのになー」ということです。」(抜粋)
これは僕は誉め言葉だと思いました。そして、物語の構成についても意見を述べて頂きましが、その内容は至極尤もで、大変参考になりました。少なくてもそのような意見は正しい1つの意見だし、その意見に耳を傾けないのは愚かだと僕は思います。自分なりのスタンスを貫く事も重要かもしれませんが、何故皆様々な意見を盗もうとしないのだろう。プライドなんて糞の訳にも立ちゃしないのに。文章の構成を盗まないで一体何を盗むのだろう?それとも何も盗まないのかな?
僕の作品がこの「多くの文章」に含まれていたら嬉しいのですが、多分無理ですね。

言いたい事の半分は伝わったと思います。

その2 削除/引用
No.4-11 - 2001/11/02 (金) 23:37:51 - 岩井市
また岩井市です。
今度はもっとびっくりするぐらい長いです。
書き込もうとすると必ず長文過ぎるとエラーが出るので僕自身が1番びっくりしています。短く言うことができないのです。


http://shinjuku.cool.ne.jp/tbc01/dis02.html

すげーびっくりした 削除/引用
No.4-10 - 2001/11/02 (金) 20:03:30 - copy+twice
長々と書かれたのでびっくりしました。

岩井市さんの言いたいことの半分も分かりませんでした。

もって回った言い方で、
>「バーカ、お前のほうがセンス悪ぃよ。実はお前童貞だろ?」
>僕は批判(評論)を好みません。
>僕は本の虫ではありません。
>「クリストフ・バタイユ」「ボーイ・ジョージ」といった難しい名前の作家を知っている。
>あなたにコレっぽっちも読解力がない
というようなことを言いたいんだなぁーとしか伝わりませんでした。
これだけのことをもって回った言い方しかできないのだから、やっぱり僕にはあなたの文章を面白いとは思えません。

僕が村上春樹を例に挙げたのは、有名な作家なのでいちばん話がわかりやすそうだと思ったからです。あなたはそういう有名な作家は好みではないみたいだから、僕の意見には反対なのだと思います。岩井市さんの読書歴をさりげなく示されても、僕の方としては「あーそれ知りません」というような感想しかでてこないです。僕はあなたの人間性になんか興味ありません。あなたがどんなことを考えようが知ったこっちゃありませんし、そんなことを考えてる暇は僕にはありません。あなた自身ではなくて、あなたの作品に興味があるんです。あなたの作品を読んで、作品についてだけ喋ってるのです。こういう場では、目の前の作品についてだけ論じればいいのではないのでしょうか? 

あなたが僕の想像することのできない崇高な考えに基づいて創作に取り組んでいるようなら、
そのまま続けてください、と言うより他ありません。
なんだかんだ言って岩井市さんは読者を選んでいるようですし、
岩井市さんの作品を読んでどこが面白いのかさっぱり分からない僕は、
きっと選ばれていない読者なんだと思います。
(ヘタな映画の脚本を読んでいるみたいです)

僕の意見は、僕のように、よく知れた作家の本しか読んでいない人間の意見です。あたりまえの読書体験をしてきた僕のような人間がこのサイトの作品を読んだときにどんな感想を持つか、といった内容のものです。大層なことは言ってません。
だからこの僕の意見を岩井市さん本人へ向けられたものとして受け取ったのであれば、その際に岩井市は「本の虫、って言っても当たり前の読書しかしてこなかったやつの意見か」程度のものと思ってください。

これは総意でも排除でもなく 削除/引用
No.4-4 - 2001/11/02 (金) 15:58:44 - 岩井市
僕は岩井市です。

http://shinjuku.cool.ne.jp/tbc01/dis.html


言いたいことを書いたら、とても長くて書き込めないのでHTMLファイルでアップしました。
copy twice さんへ。(または他の人へ。)

とりあえず 削除/引用
No.4-3 - 2001/11/02 (金) 00:28:15 - 潮
初めまして。潮なつみと申します。
まず、何も書き込みがなかった掲示板に勇気ある書き込み、有難う御座います。
私たちは、読者の方が語りかけてくれるのを、ずっと待っておりました。
大変感謝いたします。

さて、ご批判とのこと、仰る事は解るのですが、「この作品のこの部分」等
名指ししていただけますと、尚一層著者の血となり肉となるかと思います。
或いは、「ここの作品は全部ダメだ!」と仰って頂いても構いません。
なにしろ自分の書いた文章を人に見せる程度には自信のある人間達です。
「このサイトに掲載されている多くの文章」だと、『多くはそうだけれど
自分のことではないだろう』とでも言い出しかねません。

また、東京文芸センターは団体ではありません。単に個人個人が同じ場所に
居合わせた状態です。
文章が上手くなりたくて寄稿している人もそうでない人も居ます。
基本的には他で活動しており、此処は単なる作品置き場という人も居ます。
もし具体的に名指ししていただけますと、仰っていただいた事を血肉として
成長していく者もあり、新たな切り口で文芸論を投げてくる者もありで、
そういった状態もまた楽しい。
そして、何らかの具体性により、傍観している人も意見を持つことが出来、
討論に参加して下さるようになるかもしれません。

とりあえず自分の事を棚に上げて客観的な事ばかり、申し訳ありませんが、
他の人の声も聴きたいので、この辺で留めて話題が発展するのを待ちます。

誰も書いていないので 削除/引用
No.4-2 - 2001/11/01 (木) 18:48:48 - copy twice
初めてきました。初めまして。
書きこんでいこうと思います。

どんなことでも当てはまることですが、
上手くなるためには、第三者の批判が必要であろうと思います。
ところがこの『討論掲示板』にまったく書きこみがないのでびっくりしました。
こうして定期的に活動しているきちんとしたサイトであるなら、
もっとお互いの意見を活発に交換したほうが、
今以上にサイトの雰囲気が盛り上がると思います。

僕も高校生の頃から本の虫でして、
自分なりの「文芸」に対する考えをもっておりますから、
このサイトの文章を読んでみて、少し批判したい気持ちがあります。
なので「初めまして記念」として、気づいたことをいくつか書いていきます。

このサイトに掲載されている多くの文章を読んで思ったことは、
「物語の構成をもう少し丁寧に考えれば、もっと面白い話になるのになー」ということです。

文芸のセンスは、「いかにして読者の五感+αを上手く刺激してやるか」ではないか、と私は思います。これは、まあなんというかセックスのセンスに近いものがあります。文芸もセックスも、ある種の快楽を与えるものですから、やっぱりこの辺のセンスはどこか共通しているものなのではないでしょうか。

たとえば、食事の描写で味覚を刺激する。「」会話文等で聴覚を刺激する。視覚・嗅覚・触覚なども、多種多様な方法で刺激することができます。いわゆる「具体的な描写」です。僕の好きな短編集のひとつに村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」が挙げられますが、これを読み解いてみると良くわかります。地の文では物語の伏線を張りつつ、話を先に進めつつ、同時に読者の五感を優しく刺激しています。プロらしい、巧みな構成力です。これがいわゆる前戯。

そしてもう一つは「抽象的な描写」。主に心象描写です。小説のいちばん肝要な部分です。映画やドラマでは、登場人物の心象描写をダイレクトに伝えることはできません。セリフには時に嘘も混じるもの。ところが小説は本当の心象描写が可能です。ダイレクトに、言いたいことをズバッと訴えられる。これがいわゆる挿入。

話がだいぶそれたので元に戻します。構成についてです。私が多くの作品を読んで思うのは、「なんで渇いてるのにいきなり挿入しやがるんだ!」ということなのです。いきなり冒頭から「世界は希望に満ち溢れていた」的なことを書かれても渇いてるこっちとしてはどうにもできません。だから物語の序盤には、いかにしてさりげなく五感を刺激するか、に腐心すべきだと思うのです。ここの多くの作品は状況説明だけなので、読んでいてあまり気持ちよくありません。

長くなったので、続きはまた今度書きに来ます。
構成さえ変えれば、もっと良くなる作品はたくさんあります。

【討論専用掲示板】 削除/引用
No.4-1 - 2001/05/31 (木) 21:25:40 - tbc
このサイトとは関係なく、広義における『文芸』というものや、
『Web小説』というものについて、深く語り合いたい人向けの
掲示板です。

基本的に、語り合う事は面白いです。色々な意見を聴きたいし、
色々な意見を言いたい。死ぬほど語り合いたい。
といったスタンスで、この掲示板を設置しました。
どうぞ、どうぞ。

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