アクアマリン



神田良輔







(前書き――
 
 この小説を書くにあたって、日本語を読める方すべてに楽しんでもらうことも考えました。でも、やっぱり限界がありました。最初に告白します。
 この小説は「作家村上春樹の読者」である方に向けて書かれています――)






 もともとそいつはマメに電話をしてくるタイプではない。学校が終わって毎日顔を合わせなくなった今では、なにか用件がないと、連絡をしあわなくなった。もしくは、なにか話したいことがある時、以外。
 だからそいつの名前が携帯の着信に現れたとき、すぐになんの用かわかってしまった。


「はい」

「もしもし。小川?」

「おう。久しぶり」

「今なにしてたの?」

「なにもしてないよ」

「ちょっといいかなあ」

「なに?」

「いやあ、話がしたいんだけどさ」

「ぜんぜんいいよ」

「『海辺のカフカ』読んだ?」


 予想通りだ。
 そいつは村上春樹の強烈なファンだ。
 いちばんいいエピソードで、「1972年のピンボール」と「ダンスダンスダンス」の2作品をテキストデータにしてしまった、というのがある。そいつは文庫本を傍らに置き、その文字を自分の手で一文字づつ、移し替える作業をした。「ピンボール」はともかく、「ダンス」の方は上下巻もある、大長編だ。1年ほどかかった、ということだった。

 どうしてそんなことをしたのか、僕にはわからなかった。まさか50年以上先の青空文庫を考えているわけではないだろうに。聞いてみると、こういうことらしい。
「ヒマだったから――それに、自分が小説書いてるから、文章のリズムみたいなものを身に覚え込ますのには、ちょうど良かったよ」
 そう、そいつは小説を書くのだ。村上春樹に影響された、村上春樹的な小説を。


「読んだよ」
 僕は言った。学生時代、そいつが熱心に勧めるので、僕も一通り村上春樹の本は読んでしまった。『海辺のカフカ』を買う程度には、僕も彼のファンだと言える。

「どうだった?」

「そうだな――まあ、おもしろかったよ」

「他に感想は?」

「うーん、特にない」

「やっぱりね」そいつは言った。「やっぱ春樹さん、パワーが落ちたよね」

「いや、最近あんまり小説に感想ないんだ。村上春樹のせいじゃない気もする」と僕は言った。「――最近小説よく読むんだ。旧いのも新しいのも。昔以上に本は読んでると思うんだ。でも、昔ほど――こう、影響されるっていうかそういうのはないね。これ読んだ、はい、次の本、ていう感じ。読み手のこっちに原因があるから、何とも言えない」

 僕は言った。

「あーはー」そいつは言った。「でもさ、それは『カフカ』読者全体に言えるわけじゃない?『カフカ』から読み始めたティーンズの読者なんて想像できねーよ……まあいてもどうでもいいんだけど。
 ていうか、ね、要は『カフカ』が全体として好評で受け取られてるように思えることが、おれの不満なんだ」

「『カフカ』評判いいの?」

「うん、まあ全体的に好意的。なにしろ売れたのは確かだからね。
 ダ・ヴィンチの特集も読んだけどさ、まあ好意的なんだよね。つーかおれあの雑誌すげえ嫌いなんだけどね。 でもそのダヴィンチも、春樹さん過去の作品に触れてるばっかで、まともに『カフカ』取り上げてないて感じだったんだけど。
 でもネットの個人サイトの感想みても、だいたいにおいて好感を持った感じだった。無記名掲示板でさえ批判――というか非難だけどさ、あそこだとね――でもとにかく、持ち上げる意見のほうが目立ってた」

「ふうん」

「『カフカ』は、つまらなかった。誰がなんていおうと、駄作だとおれは思うんだ」


+++++++


「ほう」
と僕は言った。そいつの口から、村上春樹の批判を聞いたのは初めてだった。

「春樹さんがいい仕事したのは、『アンダーグラウンド』までだよ。いや、次の『約束された場所』まで入れていい。この2つのノンフィクションまで。
 この『アンダーグラウンド』を書いたことによって、春樹さんは変わっちゃった。それはすごく、決定的なものだ、と思うんだ」

「ふうん」

「『アンダーグラウンド』は春樹さんの本が追いかけてきたものを、あまりにリアルに書きすぎた。当時のおれは思わなかったけど、今ならわかる。あのオウム真理教の起こした地下鉄サリン事件は、ものすごい事象だった。春樹さんが十数年抱え込んだ問題は、あれ一件に収束する、春樹さんの小説がすべてあの事件にこもってる、てほどすごい事件だったんだ。春樹さんは、この事件の前にはもう小説を書く気力がなくなった、と言っていいと思う。だって、ごちゃごちゃと長く、いろいろと推敲しながら書いてきた小説が、あの事件で一気に単純化されて、もっとわかりやすくなって読者の目の前に現れちゃったんだから」

「うーん」
 確かに村上春樹の作品の中では、『アンダーグラウンド』が際だって特別な仕事のように思える。

「で、春樹さんに残ってたのは、もう中途半端な抽象化しかなかった。恋愛とか、気持ち、とかそういうのをテーマにする、『詩情』だけ。もうエンターティメントに費やす努力がなくなっちゃったんだ。キャラクターは全部使っちゃったし、新しく作り出す気力も、サリン事件で萎えちゃったんだよね。小川も、それわかるでしょ?」

「まあ、なんとなく」

「だいたいね、春樹さんには文学趣味なんてないんだよ」

「文学趣味?」

「つまりね、日本の小説家たちは自分が『おもしろい』とか『すごい』『美しい』『苦しい』とか感じたことを、小説にした。夏目漱石、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫、太宰治……みんなそうだよね。そう感じたことを、自分の中の感受性が変形させるまま、自覚的に言えば、感じるままに『美しい』とか書く、それだけで作品になった。つまりこれは言われてきた『文学』だよ。春樹さんは自分が感じたことを、ちょっと変形させたり隠したりしないと喋れないような、そういうシャイな人なんだから。
 そんな形で『文学』やろうとしたのは、『ノルウェイの森』で終わり。『ノルウェイの森』で、自分が見聞きしたものを小説にするの、尽きちゃったんだよね。 『ノルウェイの森』は春樹さん自身の意図がどうであれ、結果的に『文学』のメソッドで作られたものなんだ。だからあれだけ売れたんだと思う。日本の土壌に合致してたからね。
 『ノルウェイの森』は、確かにおもしろかったよ。でも春樹さんの作品のメインじゃない。ファンなら他の作品をあげると思うし、おそらく春樹さんにしてもそうだと思う。
 春樹さんの作品はね、もっと『夢』とか『おとぎ話』とかね、そういうようなものがいちばん受け入れられてるはずなんだ。SFだったりミステリーだったり、ホームズのかっこ良さだったりファンタジーの爽快感だったり。『人間の本質』ていうものよりも『オチ』とか『文章の構成』とかにテクニックがあった、そんな作家なんだよ」

「うん。まあわかる」

「本質を探る、みたいな、哲学的な論理性みたいなの――これがつまり『ノルウェイの森』のおもしろさの成分なんだけどね、これはその物語テクニックに裏打ちされて滲んでくる、副次的なものでしかないんだ。『ノルウェイの森』の成功は、そんな『文学』精神が動機になったものに、培ってきたエンターティメントのテクニックが見事に融合したものだからなんだよね。
『カフカ』はそれとはまったく別に、失敗してるんだよ」



+++++++


 そいつの話を聞くのは楽しかった。話をすること自体も久しぶりだったし、なにより僕はヒマだった。
 もっと喋らせたいと思ったので、僕は相づちを探す。


「『カフカ』はそんなに失敗してるかな」

「そうだよ。なにはともあれ、すべて『アンダーグラウンド』が原因だと思う。あれ以降の春樹さんの小説は、まともに読めたもんじゃない」

「『アンダーグラウンド』……地下鉄サリン事件?どうしてあれがそんなに原因なの?」

そいつはまた勢いこむ。「あれはね――春樹さんの70年代の妄想がそのまま実際におこっちゃった事件なんだ。
 ちょっとテーマ的な分析になるけど、やってみていいかな?」

「うん」

「春樹さんの小説は『自閉』的がキーワードだよね。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は最後、自分が作った「物語」――この物語は、「個人」とか「妄想」とかと同義だけどさ、この中に入り込む。それを主人公が望むんだ。
 ここまではっきりしたことじゃなくても、他人に理解を望まない、一人できちんと納得してやっていく、っていうのは春樹さんの提唱した『都会型』のライフスタイルでしょ?
 つまり、それをやってた人たちっていうのは、オウム真理教に入信した人たちなんだよね。
 春樹さんも『アンダーグラウンド』で言ってたけど、オウムの信者は「簡単に求めすぎた」ていうことだけを言ってるんだ。つまり「求める方向は間違ってない」ってことだよね。博士か大臣を目指すか、さもなければロックミュージシャンか革命家、っていうヒエラルキーを無視した「目標」、もちろん家族とかでもないよ、そんなわかりやすい「目標」に頼らない、誰にも理解できない到達点を持つことを村上春樹は薦めたんだ。アナーキーだよ」

「オウムはアナーキズムじゃないだろ」

「もちろんニヒリストじゃないよ。春樹さんは基本的に生活を愛し、既存文化を愛してる。もちろん春樹さんは革命という形の、社会を逆転することを望んでない。ただ、多様性を認めさせたかっただけ。
 革命っていうと、おれはいつもトランプを思い出すんだけどさ。ちょっと脱線するけど、話してみるよ。
 Aがいちばん強くて、2がいちばん弱い、でも最強のAは最弱の2に唯一負ける、ていうのあるよね。
 それであるゲームを想定する。このゲームはこのトランプのヒエラルキーを用兵的に配置することを、他人と競い合うゲームだとする――まあ『大貧民』だよ。それで、このゲームのシステムとして、やはり『大貧民』と同じように『革命』を導入する。これはこのトランプのヒエラルキーをまるで逆転させる。がいちばん弱くなる、てやつだよ。これを使うのは、現実社会の比喩としても、説得力がある、よね。
 そこで、この比喩に従って、自分を配置する。もし自分が2とか3とか4とか――抑圧された階級――だったら革命を望むか? こんな政治的なテーマが春樹さんが扱ってたことのひとつで、それには春樹さんは『革命は意味がない』て言うんだ。革命の全否定だよ。
 『ハードボイルドワンダーランド』を見てると、このゲームに対してとる態度がはっきり想像できる。自分はこの中の一枚のカード――クラブの7とかスペードの10とかね――であって、同時にトランプゲームをするプレイヤーでもある。そのとき、どんな戦略をとるか――これははっきり示唆されてる、『このゲーム自体を放棄する』という選択をするんだ。これはウラワザみたいだけど、そういうことなんだ。もとからSFってウラワザだから。
 このウラワザの優れたとこは、それでゲーム自体がなくなるわけじゃなくて、代わりのゲームがスタートする。それは『自分のカードが中心になるソリティア』だよ。ゲームを止めず、続ける、っていうのは小説の最低条件だから――この一時だけ考えても、天才的で画期的なモチーフだとおれは思うよ。
 で、これが『ダンスダンスダンス』になると、この一人遊びゲームが放棄されて――それだとあんまりにも理解しづらいからね、だいいち『クラブの3が中心になるソリティア』って存在しないから――また別のゲームが提唱される。スートとナンバーがただの記号でしかないゲームだね。これは『ページワン』とかそういうゲームだよ。『ページワン』においては、ある局面で手の中のハートのJとハートの2、どっち切るか、これには戦略的差異はほとんどなくて、それぞれのカードの間には、スートとナンバーで関連があるだけ。
 どうかなぁ」

「まあわかる気もする」

 「この『ハードボイルドワンダーランド』から『ダンスダンスダンス』の流れだけみても、革新的な作家だと思うよ、たぶん。
でもさ、これを根幹とした以外の、たとえば『ダンスダンスダンス』に見られるような社会視点的な、前時代からの教養的な意味で価値がある文章って、もうあんまり意味がなくなっちゃった。読者の側の、かなり知識のレベルがあがっちゃったし、それに世相が異なっちゃった、っていうのがあるんだよね。当時は啓発的だったのかもしれないけど、もう今は全然あたり前のことになってる。
 でもそこもおもしろがって読んでもいいと思う。いくらプレモダンなシステムを使ってたとしても、おもしろいものはおもしろいんだ。プレモダンなシステムていうのは普遍的に理解され続けるし、物語が存在できる唯一の楽園でもある、かもしれない」

「なんか話が飛ぶな」

「うん、ちょっと言い過ぎてるね」と言って、笑った。「うん、話を戻すよ。
 とにかく春樹さんが小説で言ってたことは、一度価値をゼロにして、そこから価値の秩序を作ることだったはずだよ。トランプゲームに新しいゲームを付け加える、とか、そういう種類の新しさを作ること。
 つまり人々に膾炙してる記号を使わなかった。『王』とか『モテる』とか『日本情緒』とかのわかりやすい言葉を使う代わりに、『羊男』とか『双子』とか、オリジナルな、個人的な言葉を使う。そんな独特なものすごくわかりにくいものでありながら、なんだかしらないけどとてもすごいものを作った。そういう多様性のアピールが、春樹さんの為しえたメッセージ性のなかで、いちばん優れたものだったんだ。
 オウムとはその点で異なった。既存の価値をゼロにする、までは共通だったんだけど、その後でやったことは、選挙活動だもんね。まるで『革命』だよ。もちろんそんなものは春樹さんには受け入れられるはずもない。でも、社会が閉塞してるから価値をゼロに、そこまでは春樹さんが薦めてたことだったんだ。だから、見当違いのグルイズムが入り込んだパターンを、見てとまどった。『おいおい、それかよ』ってつっこみたかったんだよ、春樹さんは」


+++++++


「うーん」
よく分かったような、わからないような話だった。
「じゃ結局、『アンダーグラウンド』はなんだったんだ?」

「普通のノンフィクション本と同じだよ。『みんなが噂してるこの人たちは、ほんとはこういう人たちだったんだよ』っていうのを伝えることが目的の、普通のノンフィクション本と同じ。
 オウムは結局、その行為で現代日本と致命的に敵対しちゃった。日本の内側の敵としては、赤軍以来の最大の敵だよね。あの『アンダーグラウンド』はオウムと日本社会を和解させるための本だよ。お互いの言い分を出来る限り聞いて、それからそれを乗り越えるためのアイディアを出そう、っていうさ。確かに、このやり方が和解の方法としては正しいよ。イスラエルとアラブでもっと啓蒙するべき手段だよ。しかも、この敵対する二つの団体の、戦争の最前線で戦う兵士たちが、つまりサリン被害者とオウム一般会員でしょ?最前線で倒れる兵士たちをルポして情緒に訴えるていう、ものすごくわかりやすい手法じゃん。これはこれで、評価できる仕事をしたんだよ、春樹さんは。ただ、小説家としての名声とはまったく関係ないところで、小説家としてやってきたこととは全く別でなんだけど。
 オウムの事件は社会を閉塞したもの、なにか問題あるものとして捉える人たちが、どのような形で社会に関わっていくか、ていうのをものすごく簡潔に現しちゃったんだ。春樹さんなら、グルイズムを使わない物語を作ることができた。でもそれはあまりに個人的で、メソッドとしてマニュアル化できるものじゃ、もちろんない。それについては、春樹さんはなにも言わないんだ。自分の小説のメソッドを正確に言葉で伝えようとすることは放棄してる。それがいちばん、オウム信者にはメッセージになると思うんだけどね。
  オウム信者に向けてっていうより、社会に向けてなんだよね、結局。社会に向けての言い訳なんだよ。自分の小説が中途半端に伝わっちゃった、ほんとは違うんですよ、っていう。
 オウム信者へのメッセージはまるでない。」


 少し理解しづらくなってきた。話を戻そうと、
「で、『カフカ』はどうなの?」
 僕は訊いてみた。

「訊きたいのはおれのほうだったんだけどね……」そいつは言った。「だいたいさっき言ったとおりだよ。『カフカ』は駄作。理由は、春樹さんの今までの仕事と断絶してるから。『アンダーグラウンド』によって」

「断絶、っていうほどかけ離れてるかな」

「かけ離れてる。全然別だよ。
 客観的に見て、『アンダーグラウンド』以前は完璧なエンターティメント性を誇ってた。物語は伏線が貼られてたし、一つ一つのエピソードにそれぞれカタルシスがあった。エピソード自体が、ものすごく魅力的だった。でもアンダーグラウンド以降は全然魅力的じゃない。いかにも小手先っぽくて、ストーリーが着実に進んでいる実感がない。
 『アンダーグラウンド』のインパクト、いや、そのものズバリ『オウムインパクト』だね、このせいで、春樹さんから物語を練る、細やかさ、職人気質が薄れたんだ」

「なんかそこだけ飛躍してる気がする」

「そうかなぁ?――リアルタイムで追ってたおれには、すごく自然なんだけど」

「ともかくさ、『カフカ』はどう悪いんだ?」

「あーはー」とそいつは言った。「うん、ちょっとまとめて喋るよ。
 春樹さんは、エンターティメンティスムに基づく、ストーリーを読ませる作家なんだ。水戸黄門の脚本とか怪奇小説とかと一緒で、ある快楽原則を使って、それを下敷きにして読者を楽しませることに長けた作家なんだ――少なくとも、『カフカ』を書くまでは」

「今までの経歴を台無しにした、ってことか?」

「うん、そうだ。『カフカ』によって台無しになってしまった。それぐらいひどい作品なんだよ、この『海辺のカフカ』は」

「言い切るね」

「春樹さんのエンターティメンティスムの基本は推理小説だ。春樹さん自身もチャンドラーの影響を認めてる。それがうまく機能して、メッセージを苦痛なく読ませることに成功していた。
 この『カフカ』もその手法を踏襲した――。
 ミステリ作家は同じ筋立てで2本作らないんだ。わかるよね。先が読まれてしまうから。ぐんぐんページを開かずにはいられないパワーが『カフカ』にはない。どこかで見たようなキャラクター……おれには一人一人あげつらえるよ。ジョニーウォーカーは「ねじまき鳥」のワタヤノボルに非現実的なものをつけたそうとした、でも、「ジョニーウォーカー」というネーミングが失敗した。同じ非現実なら、どうしてカティーサークって名前で船に喋らせなかったんだろうね?大島さんは『ねじまき鳥』のシナモン。シナモンはすごく魅力的だったのに、下手に細々とした描写付け足して失敗してる。佐伯さんは――少女の姿を見せることはなかったよ、中年女性と少年の性交、くらいのキツさがあったほうが良かったんだ。エディプスやるならさ。カーネル・サンダースは「群衆の中の匿名性」自体がもうつまんない。ホシノくんは、まあ、楽しかったよ。この物語はカフカストーリーよりもホシノくんストーリーの方が良く出来てる、と思うくらい。ホシノくんにカフカくらいの量とテンションで物語で作れば、全然違った評価だったかもしれないとも思うよ。あとナカタさんも、おもしろかった、と思う。これも、物語に緊張感がなかったのが残念だった。
 キャラで総括すれば、あとカフカ少年がいる。彼はもとは「スプートニク」のにんじん、だけど「スプートニク」のキャラってだけで、もうリアルさがなくなってると思うんだよね。もうカフカの物語自体、アーヴィングの主人公か、ってくらいに魅力がなかった。そうだよ、まんまアーヴィングじゃん。別に、少年がリアルに成長していく様なんか、見たくないんだよね。「ものすごい」経験してもらいんだよ、主人公には」

「好き嫌いを言ってるだけにも聞こえる」

「キャラを好き嫌い以外で、どうやって喋れっていうんだよ――でも、この感覚は割に共有できるもんだと思うよ、ネットの匿名掲示板とか見てもさ。第一、こういう感覚は正しいと思うんだ、春樹さんに関しては。だって、かつては常に魅力的なキャラを用意してくれてたんだから、エンターティメントに属する作家なんだからさ。
 それにストーリーだって、未消化だった。ミステリが春樹さんのキモなんだけど、その部分がうまく作用しなかった。
 同じ筋で2本書いた、って言ったでしょ。実際、読者にそう思わせないような努力に欠けてる。新しいもの作らずに、今までの手法をバラすことによって作った小説だよ、この小説は。自己模倣を可能にさせて、しかも今までの小説の解体もさせちゃった」

「よくわかんないんだけど」

「少しは考えろって――『カフカ』はミステリ仕立てだろう?少年カフカとナカタさん、この二つの物語が、それぞれ謎をはらんで交錯し、それぞれがもつ謎を解決する。
 謎、っていうと矛盾が整合してる状況をさすんだと思う。カフカは『なぜ家出をしたのか?』、ナカタさんも『なぜ石を追いかけていくのか』というのが謎に値する。ここまでは異論ないよね。
 でもこの少年カフカの謎は、ただのエディプスコンプレックスだった。それに推理小説的な展開を、付け加えた。なにかを求め、偶然なにかに出会い、それの助けを借りて最後にたどり着く。このナラティヴがうまく機能していない。なにが見つかったか確信ができないから、物語にカタルシスがないんだよね。これは読者に「わからない」と思わせたら、終わり、という種類の物事なんだよ。何度も言ってるけど、春樹さんはずっとそういうものを書いてきたんだからね。
 さっき話したみたいな、テーマ的な新しいところはほとんどない。もうそれは『ダンスダンスダンス』で終わり。『カフカ』は単純な物語の力を使いたかったはず。もちろん、それはそれでいいんだ。常に新しいテーマを求めるなんて、どんな人にだって酷だ。
 でもそれは散々やり尽くしたものでしかない。その仕掛けは読者にはバレてる。悲しいけど。
 なんかさ、うまく仕掛けられなかったのを見てるとね、こう、ずっと読者だったおれは辛かったよ。『カフカ』のつまらなさを知った読者は、なにがつまらなかったかを考える、そんでさっきおれが言ったみたいなことを考える。それで、『ダンスダンスダンス』の仕組みにも気がついちゃうんじゃないか、ってね。小川は思わなかった?」

「特に思わなかったよ」
「でも」と僕は続けていった。「そういう仕組みみたいなものは、みんな気がついてるんじゃないかな。それでも誰も、村上春樹の真似が出来なかったてのに、凄さはあるんじゃないかな」

「――そんなこと言ってると頭悪そうに聞こえるよ」とそいつは言う。「でも反論ができない。確かに、もう、春樹さん自身でも、春樹さんで居続けることはできなかったんだ」


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 それで僕らは黙った。
 黙っているとどんどん相手の気配がなくなっていった。相づちのきっかけも失われていく。
 そのうちに、この件はケリがついたんだ、と気がついた。


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「おまえさ」僕は言った。

「ん?」

「今でも小説を書いてるの?」

「うん、書いてる」そいつは言った。「小川は?」

 驚いたため、反応が遅れた。
「書いてたことなんかないよ」
 と僕は言った。

「昔なら書け書けせかしたんだけどねー」と言ってそいつは笑う。
「でも、書いててもさ、もう小説に夢はない気がするんだ」そいつは言った。「物語を読んでいくおもしろさ、書いていくおもしろさは、おれの中で致命的に失われてしまったような、そういう気がする」

「じゃあ休めばいい」僕は言った。「しばらく休んでから、また書けばいいさ」

「うん」そいつは言った「恋でもしようかな」

「いいんじゃないの」

「でもさ、相手がここ半年くらいいないんだよね」

「まず言葉遣いから直せば」僕は言った。「『俺』っていうのは、普通の女の子じゃない」

「『陰陽師』見てない?――真葛みたいにキュートじゃないかなあ」そいつは言った。
「私さー……って感じ?なんか懐かしい」

「普通だよ」

「そういえばさ」と、そいつは言った。「小川って春樹さんに似てるよね」

 また一瞬返事が遅れた。
「は?」

「じっさい小川って、春樹さんの主人公みたいなところあるんだよ。影響されただけなのか、もとからそうだったのかわかんないけど、小川が小説書いたら、まんま春樹さんのコピーが出来るような気がする。いいじゃん、コピー作ってよ。あんたなら作れるって」

 なんて言ったらいいか考える間に、そいつは続けて言った。

「そんでさ、私とつきあわない?」

「はあ?」