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佐藤由香里







 手紙を書くのが好きだ。
 手紙に限らず文章を読んだり書いたりするのは好きなのだけど、手紙はもうそれらとは比べ物にならないくらい私の中では高く位置付けされている。字はあまり上手くないし、長い文章を書くのは苦手なので、便箋を何枚も使うようなことはあまりないけど、短くて良いのだ。何を書こうかと考える時間や、投函してから相手の元に届くまでの経路、届いた手紙を読んでいる相手の反応を想像するのが楽しいのだから。
 今日は、久美子に手紙を書こう。
 思い立って、私はブルーの便箋を取り出し、ペンを手に取った。


 久しぶり。仕事は最近どうですか?


 久美子は私が高校生の時、同じ部活で一緒に青春を謳歌した親友だ。今でも3ヶ月に1回くらいのペースで手紙のやり取りをしている程の繋がりがある。高校を卒業した後、私は地元の大学に進学するためこの地に残り、久美子は就職のため上京した。数年後、彼女は向こうで知り合った人と結婚して、今では仕事と育児を両立する立派な母親になっている。私は大学を卒業してもなかなか就職が決まらずアルバイトをして生活していたが、去年ようやく地元の小さな出版社に就職した。家に生活費を入れるくらいの余裕はできたが、金銭面はともかく、現在結婚を考えている相手どころか付き合っている人もいない。
 正直、こんなに差をつけられるとは思っていなかったなあ。
 溜息をつきながらペンを進めた。


 私はまあ、どうにかこうにかやってます。


 そこまで書いた時に気付いた。便箋と同色の封筒があるかどうか確認していなかったのだ。ペンを当てたまま手を止めてしまったので、ブルーの便箋にはインクが滲んで大きなシミができてしまった。確認してみるとブルーの封筒は既に使い切ってしまったようで、便箋と封筒の色がちぐはぐなのもなんだか恥ずかしいので、仕方なく私は途中まで書いていたブルーの便箋をくしゃくしゃに丸めてごみ箱に放り投げた。久美子は青い色が好きだから、本当はブルーの便箋で書きたかったんだけど。
 私は便箋と封筒をとても消費するので、いつも買うレターセット(と言えばいいのだろうか)は決まっている。近所で細々と営まれている文房具屋でひっそりと売られているそのレターセットは、封筒が20枚、便箋が50枚あって、色はプルー、ピンク、イエロー、グリーン、パープルの5色と非常に豊富なのに、それで550円。とてもリーズナブルなので、私は子供の頃からずっとそれを買っている。当時は550円だけを右手に握り締め、よくそこの文房具屋まで走って買いに行ったものだ。今では5%の消費税が加算されて575円になっているけれど、これだけの量があるのに値上がりしないのははっきり言って嬉しい。
 これ以外使おうと思わないんだよねえ。
 さっきまで書いていた手紙の内容を、今度はイエローの便箋に書き写した。イエローの封筒ならまだたくさんある。
 私は続きを書き始めた。


 そういえば、幸くん今年でもう3歳?
 今度また写真撮ったら送ってよ。


 久美子の子供は幸一くんといって、女の子みたいに目がパッチリしている。目元は久美子に似たのだと思う。久美子の持つふんわりとしたやさしい雰囲気は、私にはないからなのかもしれないけど、当時の私のささやかな嫉妬の対象であり、憧れでもあった。彼はその雰囲気を色濃く受け継いでいる。久美子が毎回送ってくれる年賀状や暑中見舞いにはいつも久美子と旦那さんの間で笑っている幸くんがいて、会ったことはないけれど、笑顔を見るだけで幸せな気分になれる不思議な子なのだ。
 久美子は今ものすごく幸せなんだろうなあ。
 過ぎてしまった過去の記憶の糸を手繰り寄せながら、私は続けた。


 本当に時間の流れは早いよね。


 懐かしい記憶がだんだん甦ってくる。高校生の頃、仲の良かった女の子同士で誰が一番最初に結婚するかという予想を立てたことがあって、その時一番早く結婚しそうな人は私だと久美子に言われた。私は「まさか」とか言いながら笑ったけど、当時から結婚願望を持っていた私は満更でもなかった。
 それが今ではこんな有様なんだけどさ。
 当時の思い出に浸りながら、私はペンを走らせた。


 ねえ久美子、あの日の言葉憶えてる?
 いつだっけ。高校2年の3学期?
 よく晴れた期末テストの最終日、
 放課後の、みんなが帰った教室で、
 こっそりと誰にも内緒でした話。


 実は私は丁度その頃ひどく悩んでいた。
 付き合って数ヶ月になる恋人と上手くいかなくなってきていて、そんな矢先に生理が遅れた。3ヶ月。あり得ないと思った。本当に誰にも言い出せなくて、毎日が苦しかった。でも久美子は気付いていたんだろう。誰もいない教室で二人して残っている時に言われた。
「最近元気ないね」
 その一言が引き金になり、私は号泣した。彼女に全てを話し、彼女は私を励ましてくれて、それで私は恋人に打ち明けることを決めたのだ。彼に相談すると彼は露骨に嫌な顔をし、それが原因で別れることになった。皮肉にも、彼と別れて数日して、生理はきた。
 でも今は、それで良かったんだとはっきり言える。そんな男とは終わって正解だったのだと自分に言い聞かせることで、結果的に彼を忘れることが出来たのだから。
 あの時は、本当に久美子に助けられたなあ。
 当時のことを今でも鮮明に思い出せる自分に驚きながら、私は溢れる思いを一気に文字に変換した。


 本当にとってもとっても苦しくて、
 泣きながら久美子に聞いてもらったね。
 あの時さ、久美子が言ってくれたこと。
「いつだって私はあなたの味方だよ」
 あの言葉、私はすごく救われた。

 今でもね、悲しいことがあった時、
 あの言葉、時々思い出すんだよ。
 そうしたら不思議と元気が出てくるの。
 なんとなく久美子が隣にいるようで。
 だから今、頑張れてるのかもしれない。


 そこまで書いて私はペンを止めた。何だか恥ずかしくなってきたのだ。面と向かって久美子にそんなことを言ったことはもちろん無い。今、あの頃のことを思い出しながら頭に浮かんだことをそのまま書いたら、こんな文章になってしまったのだ。
 さすがにこれはちょっとクサイよなあ。
 顔を赤くしながら、私は最後に一言付け加えた。


 思いきり恥ずかしいこと書いたけど、
 今回は、もう出掛けるのでこの辺で。


 私は、恥ずかしくて出したくないと思ってしまう前に便箋を折りたたんで、買い置きしてあった80円切手を封筒に貼り、宛先を書いて封をした。折角書いた自分の正直な気持ちを、自分の手で葬りたくなかったのだ。今からすぐに投函しよう。
 財布の中を見ると小銭がたくさん入っていて、その中にちょうど575円があった。子供の頃にしていたように、このまま右手で握り締めて、新しいあのレターセットを買いに行ってみようか。そして次回はブルーの便箋で久美子に手紙を書くのだ。

 スニーカーの紐を結んで勢いよく玄関のドアを開けると、そこには眩しいほどに青く澄んだ空が広がっていて、まるでブルーの便箋のようだった。私は静かに吹く爽やかな秋風に背中を押されて小走りに駆け出した。左手には手紙を持ち、右手の中には575円を潜めて、この思いを久美子に届けるために、私は文房具屋の隣にあるポストまで走った。