恋する街 -夜明け前-




岩井市 英知








 ゆっくりとゆっくりと太陽が沈んでいく。斜陽が網膜にひりりと染みて痛い。彼の目は強い光に対してとても弱かったので、大きめの鞄からサングラスを取り出した。サングラスは主にファッションの用途で用いられるものと比べると大分その光の遮り方に強みがあった。高い鼻筋にちょこんと乗った遮光レンズの向こうは少しも伺い知れない。それもまた彼の意図することだった。たとえ誰にだって自分の細かな表情の変化や目線の動きを悟られることを好まない。立派な鼻柱からなぞるように眼鏡の楕円の縁へ指を滑らせ、くいと眼鏡全体を持ち上げると座りの良い位置へとかけ直した。
 街は日入りに際して凋落の一途をたどるのではなかった。男はそれを少しも不思議には思わず、受け入れていた。また街のほうでも彼を受け入れていたのかも知れない。大きな通りに面したビルのひとつからサラリーマンが数人連れ立って出てくると奥まったこじんまりとした飲み屋が並ぶほうへと迷わず向かっていった。何か食指の動く匂いがして、それにつられたのかも知れない。みな、明るいグレーの背広を着ていた。

 男は日頃から何気なく持ち歩くには大き過ぎる鞄を歩道脇に装飾のある車道と歩道の仕切の上に下ろすと、そこから五○○ミリリットルのペットボトルを取り出した。それは半分ほど減っていた。中身は生野菜を摂取したときと同じものが得られる飲料水だった。蓋を捻り、今また生野菜を摂取するときに得られるものと同じものを少しだけ得た。黒い細身のジャケットのポケットから煙草の箱を取り出すと手の中の鈍い発色の銀製のライターで火をつけ、それを神経質そうに吸った。銘柄はパーラメントだった。
 大き過ぎる鞄は真っ黒でそしてとても膨らんでいる。過度に膨らみ過ぎることはないが、中身はぎっしり詰っていそうだった。男の所作から見て、それはとても重い。あるいは男が小柄なせいで余計にそう見える懸念はなくもなかったが。鞄はビジネスバッグよりも大きく、旅行鞄よりも小さい。男はそれを何気なく抱えるには体が小さく、線が細い。煙草の煙を吐き出すタイミングで、溜息をおおげさに吐いた。
 「トクさん、悪い。悪い。悪い、待った?」
 歯切れの悪いところで句読点を打つ感じの、なんとも耳に障る感じの喋り方だった。車道と歩道との仕切に寄りかかり、神経質そうに吸っていた煙草を足元に捨てシックでシンプルな形のスニーカーの裏で踏み潰した後、トクは俯いていた顔を上げて笑顔を作り言った。
 「いや、別に待ってないですよ」
 歯切れの悪い感じの喋りの男も、やはり明るいグレーの背広を着ている。それを見て、トクは思う。
 (気持ちの悪い色だな。鳥肌がたつ、気色悪い)
 それをおくびにも出さず、なおも笑顔のままトクは続けた。
 「えっと、今日は何処へ行くんでしたっけ?」
 「やだなぁ。アレよ、打ち合わせを兼ねてさ。前に言ってた、美味い焼き鳥屋に行こうって、言ったじゃない」
 「ああ、そうでしたね。そういや、打ち合わせが済んでねぇや」
 「忘れないでよ。そうだよ、やだなぁ。おかしいよ、トクさぁん」
 殊更オーバーな動作で髪をもさもさと振り乱し、男は奇妙な飛び跳ね方で笑った。妙に明るいグレーの背広を翻して。
 トクは小さく舌打ちをした。
 それは聞こえてはいけなかった。絶対に聞こえてはいけなかった。実際男には聞こえなかったし、男が気付くこともなかった。男はただ奇妙なダンスと見間違う歩き方で行き先を示すだけだった。
 「え?そっちですか?」
 トクは空々しく笑った。

 陶器のビールグラスを置いたのは、厚い眼鏡を依然曇らせたままの男。
 「トクさん、って痩せてるね。同じぐらい飲むのに、全然太らないよねぇ。何かダイエットしてるの?」
 腹の肉をワイシャツの上から掴みながら尋ねる。
 黒のジャケットを脱いでそれを皺にならぬよう椅子の背にかけているところだったトクは、薄手の長袖のTシャツにその贅肉のまるでない体を包んだまま、上着を椅子の背にかける動作そのままの恰好で答えた。
 「いや、何もしてないですよ。単に俺は太れない体質なんですよね。太りたくて余分に食ってるんですけどね、それだと今度は胃をやられちまうんですよ」
 「羨ましいよ、俺も痩せたいもんさぁ。最近また太っちゃってさぁ。これじゃモテないよね」
 それを受けて、笑っていいものかどうか悩んでから遠慮がちに笑う。
 (それよりもその出歯をなんとかしようぜ。ぬらぬらと光る歯茎が気持ち悪いよ。あと、髪もな。その髪の量で短くしろとはさすがに俺も言えねぇよ。だが、湿度の関係でふわふわと宙に浮いてしまっているぜ。頭皮からまるで離脱して、そよ風になびく綿毛のようだよ。ああ、妙に背広が白いと思いきや、それはフケか。その曇り眼鏡にこびりついたそれも、それも。ううむ、太ってるぐらいで丁度いいんじゃないか?それはそれで愛嬌あるぜ。フフ)
 内心そういった含みで笑ったのだが。実際口に出すとかなり違った言葉になる。
 「松尾さんはそのぐらいで丁度いいんじゃないですかね。俺ぐらいになるともう不健康そうじゃないですか、フフ」
 「そうかな、痩せてるほうがカッコイイよ」
 「そんなことないですって」
 「ほんと?でも最近の若い女の子って痩せてる男のほうが好きなんじゃない?」
 松尾は屈託のない顔で尋ねた。
 「それは若い男の場合ですよ。俺らぐらいの年齢になるとそれなりに恰幅が良くないと駄目ですって。だって痩せてる男って貧相でしょう。年齢によって求めるものが変わってくるんですよ」
 「そうかぁ、トクさんが言うなら間違いないね」
 言葉の通り、トクの体は実に体脂肪率が九%という凄みのある痩身だったので、その見解が信憑性を帯びるのに十分だった。
 「そうです、フフ」
 お互いの陶器のビールグラスの側面を叩き合わせて、ふたりは満足そうに笑った。表面がサクと小気味よく焼けた鶏肉を串から一塊抜く。松尾はほんとうに満足そうにもさもさと髪を振り乱して笑い、トクはいささか嘘っぽく笑った。
 「御同輩。四十八年生まれ組に、乾杯」
 「乾杯」

 焼き鳥屋を出た後、松尾は気持ち良さそうにトクにもたれかかり怪しい足取りで叫んでいた。
 「ねえ、キャバ行こうぜ、キャバ。今からキャバろうよ」
 道行く人が振り返る。足早に隣りを擦り抜けてゆく仕事帰り風の若い女は、眉間に皺を深く刻み、明らかに侮蔑の表情を浮かべてふたりを見据えていた。隣りを擦り抜ける一瞬の間にそれが見て取れるほどだった。
 「松尾さん、そんなに酔ったら無理ですよ。また今度にしましょう、キャバったって女の子が迷惑しますってば。いつでも行けるじゃないですか、シラフのほうが楽しいすよ」
 「だって、トクさんと一緒のほうがモテるもの。俺がひとりで行ったってさ、女の子が盛上がってくれないんだ、だから、楽しくないの」
 「俺だったらいつでも付き合いますから」
 「ほんと?絶対だよ。またトクさんそんなこと言って付き合い悪いんだもんな、トクさんにとっては勉強なんだから、行こうよ。経費で落とすからさ、むしろ取材費だよ」
 「いや、キャバは経費じゃ落ちませんよ。無理ですって。以前、無理だったじゃないですか。いくら松尾さんの編集部でもさすがに私用のキャバクラを経費っていうのは、時代が違うんじゃないですかね」
 「ケチケチしたこと言うなよ。そんなつまんねぇこと言うと、もう仕事なくなっちまうぞ。トクはもっと俺とキャバとか行って勉強しろよ。自分ひとりでモテるなよ」
 松尾はとうに呂律もまわる状態ではなく、ただただ我侭な要求と難癖をつける行為とを繰り返していた。
 「モテませんよ」
 「いいや、モテるね。じゃぁ、今度女の子紹介してよ、トクさんがひっかけた素人の子をさ。俺は素人なんてご無沙汰だよ。そうだ、今からナンパしようぜ」
 「この状態で、ですか?もう、ちょっと時間も遅いですよ」
 「そうだよ、いつもやってんだろ、トク。なぁ、トク。俺の言うこと聞けねぇのかよ。なぁ?」
 「ねぇ、松尾さん。今度行きましょうよ、今週末。絶対です」
 笑顔を貼りつかせたまま、トクは子供のようにいつまでも駄々をこねる松尾を必死になだめすかしていた。元来気の長いほうではなかったが、それでもこの状態を収める方法といえば我慢を重ねる以外にはなかった。先ほどまでは頻りに隣りを擦りぬけていっていた通行人もいつまのにか切れ、辺りには人の気配もなくなっていた。
 やっとの思いで松尾をタクシーに乗せて帰すと、トクは夕から見せたことのないほど大きな溜息を吐き、ジャケットの胸ポケットから煙草の箱を取り出して乱暴に銀製のライターで火をつける。それから道端に思い切り唾を吐いた。
 「随分大層らしい物言いじゃねぇかよ、畜生」
 誰に向けるともなしに吐き捨てるように呟き、火をつけて間もないぴんと背筋の伸びたパーラメントを壁に叩きつけ街灯の元でも一際明るい火花を散らす。肩で息をして、わななくように震え、また呟いた。
 「エロ本屋風情がよ」
 あまりに大きい鞄の中身が、取り残されるように、トクの体に圧し掛かる。
 鞄はあまりに大きく重い。



 手狭なアパートではあったが、彼にとっては城だった。無論、長年住みなれた愛着のせいではあったが。
 ベッド脇に昨晩から放置されたままの黒く大きなポール・スミスの鞄から手帳を取りだし、「あかさたなは、ま」と口に出しながら順にページを繰る。携帯電話のメモリー機能というものも使えるには使えたが、彼にとってはやはり手帳のほうに愛着があったのだ。それも長年の習慣によった。
 リモコンでテレビの音量を下げ、部屋から昼前のワイドショーの話題を消し去った。手元の電話器のプッシュホンを手帳の数字が導く通りに押し、繋がるのを待った。
 長々とコール音が響いた後、急に受話器が上がる。
 「はい、『桃源郷ウォーカー』編集部」
 「お世話になってます。ライターの徳村ですが。編集の松尾さんお願いします」
 「…っと、松尾は、まだ来てないですねぇ。どういったご用件でしょうか?」
 「松尾さんの担当されている読者コーナーの記事の件なんですが」
 「少々お待ち下さい」
 少しの間、待った。
 「お電話代わりました、編集の遠峯です。ええと、ライターのトクさんですね、松尾とはどういったお話になっていました?」
 「昨晩にですね、外の打ち合わせで松尾さんとお会いしまして、それで結局あまり話が進展しなかったものですから」
 「来、来あたりからですね、コーナーが変わる予定でして。その話、松尾からいってません?」
 「いや、初めて聞きました」
 「そうですか、主旨が変わる予定なんですよね。松尾のやつ、話通してないかぁ」
 「それで、ライターも変わるんですかね?僕はもう終わりってことですか?」
 「いやいや、そこまでじゃありません。というか、まだ全然詳しいことは決まってないのが現状なんですよ」
 「評判、悪かったんですか?」
 「いやいや、そんなことはないんですけどね。よりタイムリーな路線を狙おうという、アレでです」
 「それで、どういった?」
 「タイトルは決まっているんですが」
 「どのような?」
 「『オチンコ、ファイトクラブ』という」
 「『オチンコ、ファイトクラブ』」
 「そうです」
 「そうですか。それは、まさに語感の示す感じのコーナーになるわけですよね?」
 「ええ、まぁ。ま、それについては我々のほうで企画自体を洗う作業をしまして、後日松尾から連絡がいくと思いますので」
 「分かりました。では、よろしくお願いします。失礼します」
 「はい、はい」

 トクは、失神しそうだった。
 そもそも、それほど高尚なものを求めるわけではない。彼は彼なりに思いつく限りでき得る限りの事には尽力してきたつもりだった。一条の光を求むるように、掃き溜めの中の鶴を生かそうと。
 だが、新しいコーナーのタイトルを聞いた瞬間、あまりの事態に絶句した。
 もう一度口に出してみた。
 「『オチンコ、ファイトクラブ』」
 読み解いてみる。
 『オチンコ』とは、男性器の俗称を幼児語っぽく言い表した単語だろう。『ファイトクラブ』、ヒットした映画のタイトルであり、また、そのヒット映画と同名の名称を冠せられたテレビ番組の企画というものが数々あったはずだった。その中の、またこれもヒット企画。悪趣味で性質が悪い。往年のヒット作にも似た現象が存在したところから、つくづくテレビ番組の制作に携わる人間というのはヒット映画と同名であり内容のない模倣が好きでたまらない様子だった、違いない。
 更に。
 『ファイト』というからには、何かと闘うのだろう。もしくは、その様。果敢である様子。『クラブ』、競い合うことを目的とした、ゴルフ発祥の地であるイギリスから語源となる競技者の逸話を紐解くことをせずとも、そういったひとつの志向性を帯びた集まりのことだ。平たく言って一番強い奴を決めるという目的を持つ。
 響きだけでだいたいが読めた。要は、ひとつの、あるいは複数の男性器の勇猛果敢なチャレンジだ。手を換え品を換え、というより業種を変えて。差異化、分類化を続ける性風俗業界の多様なサービスに自らの男性器を挑ませるのか。それで、その様を描くのか。考えそうなことだった。
 「低脳どもが」
 トクははっきりとそう声に出した。自室では何の遠慮もない。耳の出るぐらい短い、少しだけ赤い髪をぼりぼりと掻き毟る。わざとらしく辟易してみせた。鏡にも向かわず。
 そして、後日松尾から知らされた内容は彼がざっと読み解いたものと逐一同じだった。ニュアンスの違いさえない。相似ですらない。まるで同じなのだった。

 松尾と会うため、喫茶店にいる。
 「いやぁ、『オチンコ』と『ポコチンコ』のどっちにしようか迷ったんだよねぇ。編集会議でさ、これを提案したの俺なんだよ。我ながらナイスジャッジだったよ、『オチンコ』。やっぱり分かり易さが大事だよね。いいよねぇ、面白いよ。どう?トクさん」
 「実にタイムリーですよね、分かり易いし」
 (バカにも分かる。いや、バカにしか分からないな)
 トクは編集部に電話した際に遠峯から聞いた通りのことを感想とした。それは彼らが意図した目論みをそのまま述べているだけなのだから、彼らにとって難色を示す感想であるはずがない。
 「それで、どう?トクさんやってくれるかな?」
 トクはゆっくりと目を閉じた。店内のざわめきが引き潮のように遠のいて、正面に座る男の声も消えてゆく。1番最後に消えたのは店内の奥の奥に陣取るカップルの痴話喧嘩だった。男の心変わりを女は許せず、「もう、別れる」と言う。それもやがて消えた。足元に置いた大きな鞄が不透明度を下げ、透けた中身からはノートパソコンだけがずっしりと彼の足元に鎮座した。その量感たるやプライドの重量そのものだった。心臓は静かに確実に高鳴っていた。背がじっとりと汗ばむ。
 「はい、お願いします」
 ゆっくりと口に出した。店内のざわめきが耳元に急激に満ちて、トクは目を見開いた。細く切れ長の涼しい目を、殊更大きく開いて。意を決するように。
 それによってトクの中で何か大事なものが損なわれることはなかった。

 編集の松尾から聞かされたように、「読者コーナー」のほんの一角をただ埋めるための、編集の悪ふざけ、冗長に過ぎる企画そのものだった。いや、もしかすると松尾をはじめ皆が割と本気なのかも知れない。だがそうだとしてもあまりに尺度に欠けた。何をどう楽しんで、何をどう楽しませるのかもまるで不明だったから。そもそも、トクがどういった指針で何を書けばいいのかも不明なのだ。松尾曰く、「トクさんのセンスに任せるよ」。
 一切合財がこうも不明瞭であるのに、ただひとつはっきりと明示されたコーナータイトル。それはトクには「裸の王様」という童話を思い描かせた。そうしてもうひとつ明らかな事実。取材費なし。有り体に言えば、「取材費込み」。別途取材にかかった料金が必要経費とされるのならば、トクにもまだ手立てが残されていた。微々たる収入から捻り出すことを考えると頭が痛む。いくら考えても「冗長に済ませろ」と言われてるのに相違なかった。声なき声が聞こえる。
 「こんな冗談から始まる企画を真面目に書く必要なんてないんだよ。そもそもが冗談だぜ。編集会議とは名ばかりの酒盛りだ。だから、捨ててしまえ。なぁ、やり過ごしてしまえよ。お前の書くものなど誰も本気で読んでいない。冗談でいいんだよ」
 トクは頭を左右に思い切り振り、雑念を払う。
 松尾が席を立った後の空席がいやに空虚で穴が開いたようだった。テーブルの上に置かれたままの紙が未払いの勘定が思い過ごしでなく自明の事実だということを知らせた。
 トクはそれを席から立ちあがると同時に引っ掴み、勘定を済ませレジの前を通り過ぎていく中、呟いた。
 「上等だよ」
 店員がマニュアル通りに礼を言い、自動扉が開いては閉まる。
 その足で、歩きながらトクは携帯電話で電話をかけた。トクの歩みは周りの通行人と比べても速い。
 通話先の携帯電話から聞こえる男の声。歳頃もトクと同じよう。
 「おう、どうした?」
 「悪いんだけど、前に用意してもらったような名刺をまた用意してもらえないか?枚数は…そうだな、百でいいや。それで『フリーライター』とでも役職を入れておいてくれ。頼むぜ、うんとウケのいいやつをだぜ。出来たら連絡してくれ」
 電話は切られる。

 「おお、いい出来なんじゃねぇか?」
 開口一番そう叫んだトクは、また一癖ありそうな笑顔で礼を言う。対面した男から受け取ったばかりの名刺の束を手元でトランプをシャッフルするようにして、その中の1枚を太陽の光に透かして見たりしていた。
 満足そうに微笑んだまま、黙っていた男はようやく口を開いた。
 「それで?どういった経過なわけだ?」
 まだ日の高いオープンエアのカフェで冷たいアイスティーを啜り、長い沈黙の後、トクは口を開いた。
 「少し、俺のために時間取ってくないか?申し訳ないけどわけあって謝礼は払えないんだ。無理を言ってるのは分かってるよ、だけど、頼む。君に出来ることだ、そうして俺に頼めるのは君だけ。昔馴染みってだけで無理を言うのも気が引けるんだけど、そういうのって嫌いじゃないだろう?」
 「それで、何をさせようっていうんだ?」
 トクは事の詳細を男に話した。密やかに、まるで銀行でも襲う計画かのように。
 「正攻法だよ。陥落してやる」
 トクは説明の最後にそう沿えた。
 男はしばらく考えたままでいた。トクはその間いくつも唾の塊を飲み込んでいた。
 「面白いんじゃねぇか?」
 男は急に笑顔を取り戻し、悪戯の盛りの子供のような反応で、小さく笑う。
 飲みかけのアイスティーが太陽の光に照らされて溶けた氷で薄まり、それを一息でズズッと吸い込む。
 「フリーライター、徳村誠一。大勝負だ」
 ふたりは急いで席を立った。




(つづく)