カラーズ1




潮なつみ






   一、リョウジ

 実のところ、オレらは本当に勇敢な偏差値戦士だったわけだよ。そう、親父たちが企業戦士なのと同じように。
 ベビーブームの頃に生まれた両親を持つわけだから、オレらもまた、ちょっとしたベビーブーマーと言える。それはつまり、子供の数が多いからといって、数字でなんでも評価する効率的教育方針の過渡期の犠牲者だったという意味にもなるんだ。
 日本でバブルが崩壊し始めたのは、オレらが十七、八歳という一番多感(だと思う)な時期だった。そのおかげで、オレらは数字の評価なんてものはほとんど意味を成さないということに気付かざるを得なかった。両親に刷り込まれてきた、一流大学や一流企業の意味も、もう良く分からなくなって、どうすればいいのかわからなくなったりもした。
 かといって、オレは戦うのを辞めたりはしなかったんだ。だって、不戦敗なんて一番惨めな負け方だろ。そりゃあ、偏差値なんてくだらないさ。だけど、そのくだらない基準ですら評価してもらえないようなもっとつまらない人間になんか、オレはなりたくない。どうせなら、そのステージで勝った上で、さらに人の上を行くほうが、カッコイイじゃないか。だから、オレは戦っていたんだ。

 一九九一年九月一日。
 高校生として最後の夏休みが、あっけなく終わった。とてもつまらなかった。
 久々に足を踏み入れた我が三年D組の教室は、しばらく人が来なかったことを責めているかのように黴臭くて、そこではモヤシのようにひょろっとしたやつらが、「この夏は一日十五時間勉強したよ」などと自慢し合っている。バカ、そんなの自慢するようなことでも何でもないだろ。喉からそんな言葉が出かかったが、こいつらと会話しても疲れるだけだから、飲み込んだ。
 だいたい、言葉による自己主張は、たいていの人を不愉快にさせるものだ。奴らは、それを知っていながら、わざわざ口にしているに違いない。それぐらいしか、彼らの生活には面白いことがないのだから。そういう意味では、可哀相な奴らだ。
 オレは、真っ黒に焼いてきた腕を無言で見せ付ける。今年の夏も、サーフボードを抱えて海に何度も行った。この教室で、今年、海に行ったやつは何人ぐらいいるんだろう。
 うちの高校は、県で、いや全国ですら、ハイレベルな進学校ってことで、割と有名だ。おかげで、くだらない人間が蔓延していて困る。偏差値制度にまんまと騙されているガリ勉くんや、完全主義のエゴイストや、幼少の頃から良い教育をされてきたブルジョワとか、そんなやつばっかりだ。確かに、初めはそんな彼らからいろいろな意味で刺激を受けて、オレも面白がっていたけれど、さすがにそれも三年目ともなると、飽きた。奴らはいつも同じことしか言わない。解りきった、正しいことしか言わない。つまらねえよ。
 ちなみに、オレがこの高校に入ったのは、ものすごく校風が自由だからだ。もちろん、そんな自由の中でも、つまらない奴らはつまらないことしか出来ない。けれど、面白い奴らは本当に面白い。いつか、オレは思い出すだろう。こんな場所にも、ほんの一握りの仲間がいたから、救われたんだと。

「お、リョウジ、真っ黒だねぇ」
 二学期が始まって一番初めに声をかけてきたのは、ユミコだった。そんな事を言う彼女の肌は、モヤシ君たちよりもさらに真っ白だ。だけど、こいつは、勉強なんかしていなかった。
「ユミコは真っ白だねぇ。どうせ、冷房の効いた部屋でずっとだらだらと過ごしていたんだろう?」
「アハハー、バレた?」
 だって、ひと夏過ぎたっていうのに、ちっとも痩せてないどころか、ぷよぷよと膨れているんだものな。夏バテもしないで、アイスクリームばっかり食っていたに違いない。
「だって、夏って暑いじゃん?」
 ユミコはおっとりとした口調で言う。本当にマイペースな奴だ。自他共に認めるせっかちで気まぐれな人間のオレは、時々ユミコのペースにうんざりすることもある。でも、マイペースであることは友達になれる第一条件だと思うから、よしとしよう。干渉するのもされるのも、好きじゃない。イイ奴だと思った人間と、一緒にいて楽しい時間だけ、一緒にいれば良いんだからさ。
 ユミコが、夏休みの間の面白い出来事を一生懸命オレに話していると、もうマモルが隣りにいて、一緒に笑っている。こいつは楽しそうなものの匂いには、すごく敏感だ。相変わらずの調子で、夏休みも面白いことを追いかけて過ごしていただろう。オレほどじゃないけれど、マモルもこんがりと焼けて、良い肌の色をしている。
 「みんな集まって、なになに?」
 そして、ユミコよりも更に真っ白な肌をしたヒサノが首を突っ込んできた。ヒサノの白さは格別だ。許す。彼女は透き通る白い肌を持った美少女なんだから、肌を焼いてしまうなんて勿体無い。ほんの少しの時間の日照も気にして、日焼け止めを塗りながら図書館に通う、そんな涼しげな夏が似合う。
 などと、オレがきわめて風流な思索に耽っているところに、今度はコウイチとヤスオが近づいてきた。
「あ、くそ、おれより黒いぞ、こいつ」
 ヤスオはオレの顔を一瞥して悔しがった。モテないくせに女好きのコウイチは、ヒサノとユミコに早速ちょっかいを出してはニヤニヤしている。この様子じゃ、この夏も結局良いことなんか一つもなかったようだな。
 担任が教室に入ってきたのに気付かずにそんな調子でわいわいと話をしていたら、突然後ろから首締め攻撃をくらった。
「おまえらなぁ、三年の夏休みが終わったって言うのに、なぜそこまでたるんだ顔をしていられるのだ」
 担任はあきれた顔をしてはいたけれど、怒ってはいないようだ。
 それから間もなくホームルームが始まったけれど、まだ席が全部埋まっていない。担任が来週の模試について話を始めると同時に、ドアをガラガラと開けて、アユミが教室に入ってきた。
「先生、遅刻しちゃったぁ。ごめーん。あたし、まだ身体も心も夏休みなのぉ」
 お得意の甘ったるい声で、派手に挨拶をするもんだから、先生は苦笑して、オレらは爆笑した。そして、少し教室が賑やかになっている間に、何事もなかったようにのろのろとミカが入ってきて、当たり前のように席に着いた。遅刻しているにも関わらず、それを気にも止めないふてぶてしさも気になるが、何より彼女がもう長袖のブラウスを着ていたから、皆がぎょっとした。おい、九月一日なんて、まだ夏だぞ。見ているだけで暑い。
「おまえ、暑くないのかよ」
 オレが小声で話しかけると、ミカは涼しげな低い声でこともなげに言い放った。
「ん、あたしの夏は終わったの」

 呆れて物も言えないオレを無視して、ホームルームはいつのまにか終わり、また教室が賑やかになった。オレらはいつものメンバーで輪のようになって話をしていた。マモル、コウイチ、ヤスオ、ユミコ、ヒサノ、アユミ、ミカ。これが、この自由な監獄の中で、オレが仲間と認めた奴らだ。
「それにしても、アユミ、黒いねぇ」
「ちょっと焼きすぎじゃない?」
「リョウジより黒いよね、絶対」
 みんなは、オレとアユミを見比べて、感嘆の声を出した。確かにアユミは黒い。さすがのオレも、負けを認めざるを得ない。
「おまえ、どこで夏を過ごしたんだよ?」
「海ぃ。だってぇ、カレが海に行こうって、しつこいんだもぉん」
「どこの彼よ?」
 ユミコがすばやく追究する。いつもはトロい彼女だけれど、こういう話の時だけ、なぜか異様に反応が早い。そうさせるアユミも悪い。なんせ、一ヶ月に二人以上の男と、必ず付き合っては別れを繰り返していることが、学校中で有名な女なのだ。オレだって、同じクラスになるまでは、悪名高いこの女と友達になるなんて、思ってもみなかった。
「どこのって言われてもぉ。いろんなところのカレだもーん」
「相変わらずの夏って訳ね」
 そんな話で、オレらは盛り上がった。間違いなく、教室中で一番大きい輪を作って、楽しそうなグループだ。
 「ところでさぁ、英語の課題、全部やって来た?」
 オレは誰にともなく聞いた。けれど、無意識のうちにヒサノの顔を覗いていた。だって、このメンツじゃ、夏休みにまともに勉強しそうなのが、ヒサノしかいない。
「はいはい、見せてほしいわけね」
 ヒサノは、仕方ないなぁという顔をして、だけどいつも通り理解のある表情をする。
「あ、あたしコピーしに行ってくるよ」
 ユミコが、さっさとヒサノのノートを取り上げて、出かける準備をした(こんな時も、彼女は珍しく動きが早い)。
「コピー欲しい人、手ぇ挙げてー」
 まるで小学生のように、こういうことをやるのがユミコの癖だ。そして、オレらの中でも、すっかり習慣となってしまった。ここでいつも、必ずヒサノ以外の手が七本、きれいに挙がる。
 はず、だった。
 けれど、今日は手が一本足りなかった。
 よく見なくても、挙げていないのが誰の手かは、オレにはすぐに分かった。挙がっていた手は、全部半袖だったからだ。ミカが、あの暑苦しい長袖の手を挙げるのもダルそうな顔をして、ただそこに突っ立っている。そういえば、この集団から離れることは決してないものの、さっきから何も喋らない。
「ミカ、どうしちゃったのぉ? どうせ、やってきてないんでしょ?」
 アユミがミカの手を挙げさせようと引っ張ると、ミカは軽くそれを振り払った。
「やったわよ」
「え?」
「課題、やってきた」
 一瞬、沈黙があった。しかし、誰も何も聞かない。みんなが何を考えていたのかは、オレには解らない。だけど、少なくともオレは、内心かなり焦った。
 ミカが、とうとうやる気になった。
 もともと、難関な入試を乗り越えてこの高校に入ってきてる奴なんだから、何だかんだ言っても、頭が悪い訳じゃない。ミカは、なぜか好きこのんで落ちこぼれ役を買って出てきたけれど、本当は、少しやる気になればすぐに出来るのだ。ミカだけじゃない。(ヒサノはもともと、このグループの中では特例の優等生だが)オレらだっていつも、やる気になれば何でも出来ると思っている。それが、オレらのエゴの最も大きな裏付けなんだから。
 そう、オレらはあくまでも、勇敢な偏差値戦士なのだ。単なる優等生ではいられなくなった、戦士。どっからどう見てもフツウの高校生なのに、偏差値ばっか高くて、マジで忌々しい。