floating life

f o r T B C

k e i i c h i i s o z a k i

chapter 0012




第十二章 重田恵



 100台のメトロノームが同時に鳴り出した。
100台のメトロノームが同時に鳴り出してから3秒後に重田恵は目を覚ました。
100台のメトロノームは重田恵が特別に制作してもらった一種の目覚まし時計だ。
おはよう、うるさい。
カウンター向こうの4.5畳のキッチンで朝食を作っている春日絵美がフィスラーの銀のフライパン片手に言う。
ごめん、おはよう。
 枕上、すぐに手を伸ばした先の100本の青い配線が張り巡らされたその中心にある群青色のスイッチを押すことで100台のメトロノームは鳴り止む。100台のメトロノームはどれもYAMAHA製品で黒色、銀座のYAMAHA楽器店5階のピアノ専門売り場で発注した電動式のものを、ブロードバンド光シンセサイザーを研究している28歳のイギリス人研究員に改造させたものだ。新宿の東急ハンズで買った灰色と銀色の目覚まし時計から伸びた配線の先の群青色のスイッチを押す度に、メトロノームを100台下さい、と楽器店のカウンターで茶色い制服を着た若い女性店員に言ったときの困惑した顔を思い出す。
眠いので、寝たい、寝る、と言ってみる。
春日絵美が無視する。
13秒間目を閉じ、13秒後に目を開けた。
私の名前は重田恵だ。
私の名前は重田恵、音楽家だ。
私の名前は重田恵、海外で活動する音楽家だ。
 7秒で起き上がり、3秒で22万円のMITSUBISHIのノートパソコンの前の14万円のアーロンチェアに座ると、常に起動させっぱなしの電子メール、Outlook Expressの受信トレイを開いて送受信ボタンをクリックし、メールチェックをした。東南のバルコニーから指す朝の日差しが、14.2畳のリビングダイニングルームの重田恵の布団一式と乱雑に置かれた100台のメトロノームの横のレーヨン100%の防護カバーを被せていないYAMAHAの中古で62万円のグランドピアノを眩く照らして、天井の明かりが付いているはずのキッチンが妙に暗く見える。フローリングの床が裸足では冷たいと思う。受信トレイには、新着メールが21件。そのほとんどは海外からよく来るタイプの迷惑メールだろうが、いくつかは会社からのメール、友達からのメール、誘いのメールなど、様々だ。重い瞼を左手で擦りながら、新着順に見ていって迷惑メールを6件削除した後、海外から仕事のメールが着ているのを発見して返信を付ける。発信元は[F-Company] と書かれていて、ノルウェーの映画制作会社で、日本語でいうとフライア社となる。マッキントッシュではないが、りんごのマークを掲げ、世界各地から俳優や作家や音楽家などを集めて、国家という壁の無い映画作りを進行させている。インターネット間での情報のやり取りが非常に盛んで、特に脚本家と音楽家は実際に対面することなく映画制作に参加でき、メールが重要な役割りを果たす。実際、重田恵はノルウェーに一度も行ったことがない。英文をすらすらと読み流し、簡単な内容だったのですぐに返信した。

件名:Re: [F-Company]

Hello. I woke up now.
Composing my music is so far so good.
I am going to make up the music until it is due.
Give me time.
See you.

----------------------
megumi shigeta
megumi@floatinglife.net
----------------------

 社名を見る度にニーベルングの指輪を思い出してしまう。社長はワーグナーのファンなのだろうか、それとも北欧神話の女神から名前を取ったのか。送受信ボタンを押して更に7件の迷惑メールを削除した後、重田恵が通っている都立永山高等学校の同級生、羽山知佳からメールが着ているのを見つける。

めぐちゃーん、こんばんわ!!
昨日のイベントはお誘い有難う、凄く楽しかったよ♪
でもね、たまには学校来ようよ(笑)
めぐちゃんがいないと寂しいよ(照)
最近は数学と日本史がやばいです、こないだのテストでなんか赤点取ったもん(爆)
数学なんて、二年のときにやったサイン、コサインをしっかり習得できてないから、応用も何もない(泣)
めぐちゃんはいいなぁ、自由で・・なんて言っちゃ駄目だよね、めぐちゃんにはめぐちゃんの生活やお仕事があって、
あたしには分からない大変さを抱えているんだもん、だから私は応援しているし、私も頑張るよ!
というわけで、またメールします♪
めぐちゃんの愛人(笑、訂正→親友) 知佳より♪

 頬杖を付いてメールを読みながら重田恵は静かに笑った。羽山知佳は高校に入学した時の最初のクラスで知り合った友達だ。決して人見知りしない明るさがあって、色々なタイプの人間に対応できる。人の話をよく聞き、自分の意見を率直に発言しつつ、相手の考えを尊重した対応を心がける。彼女の周りは常に華やかだ。だからといって、いつでも人と一緒にいることを望んで寂しがるような子ではない。孤独の時間を大切に過ごすことが出来る、つまり、自分の好きなことに有意義に時間を割くことの出来る人なのだ。誰も知らない間にひとりで勉強していて資格や免許を取得していたり、一週間ほど学校を休んだかと思うと、ひとりで北海道に旅に行って写真を撮っていたということもあった。その写真は応募した投稿雑誌のコンテストに入選したという話を聞いたことがある。

件名:Re:

おはよう、知佳、返信遅れてごめん!
学校、誘ってくれて有難う、でも今日は一日中作曲してなくちゃならないの(汗)
多分明日も・・。
でもそのうち行くよ♪
もちろん大好きな知佳に会いにね(照)
実は私もサイン、コサインって分からないの(爆)
今度一緒に勉強会しよう♪
でも、知佳となら一緒に赤点取っても本望だけどね(愛)
あたしは英語だけは得意だから今度しっかり教えてあげる♪
そのかわり、たっぷりしごくわよ、覚悟してね(笑)
それじゃぁ、またメール頂戴ね♪
知佳と相思相愛、恵より。

「ねぇ、冷めちゃうよ、目玉焼き」
「あ、ちょっと待って」
朝は春日絵美が食事を作る。夜は重田恵の当番だ。始めは順番を決めて食事を作っていたのだが、重田恵は朝起きることが苦手だったので、そのうち毎日春日絵美が朝食を作るようになり、結局今の状態に落ち着いた。
「もう何通かメール見てから」
「テレビ付けていい?」
「駄目」
次を見ると、頻繁に来るあのメールがあった。

重田恵様へ。
今日、スウェーデンのカンテレに関するサイトの掲示板で重田恵様を見かけました。
英語がすらすら喋れて本当に素敵ですね、本当にみんなと馴染んでいるように見えました。
僕は英語が喋れないし、読むことも出来ないので、重田恵様の足跡を辿るのは本当に大変です。
重田恵様のことは心から尊敬しています。
僕も英語を勉強して重田恵様のようになれたら本当にいいだろうなぁ、と思っています。
最近は大学の授業でも英語に力を入れるようにしています。
でも英語に力を入れたからって重田恵様のようになれるわけじゃないんだけど(汗)
今度スウェーデンに旅行に行ってみようかと思っています。
重田恵様も一緒にいかがですか?なんて(笑)
それでは、またメールしたいと思います。

 カンテレはフィンランドじゃなかったっけ?と思いながら、メールを削除した。最近は落ち着いてきたが、この男からこういったメールが来始めた頃は、愛してます、好きです、ハァハァなどといった言葉を連発されて気持ちが悪かった。実はこの男とは一度だけ面識があって、もう半年程前の事になるが、日本で全国発売されたパソコン用美少女ゲームのBGMとテーマソングを担当し、ゲスト出演として大田区産業プラザ大展示ホールのイベントに呼ばれて行ったときに、私のファンだと言って話し掛けてきた。その時に何の話をしたのか覚えていないのだが、さっそくその日の夜にこの男からのメールが来てそれは、上から79、55、81くらいかな?(笑)、というどうしようもない内容で、私は返事を書かなかった。大体合っているが・・。とにかく、こんな何の役に立たない男のことなどはどうでもいい。
「ごめん、今行く」
更に3件の迷惑メールを削除した後で、私のファンサイトを管理している池田さんからのメールと、エレクトロニカ系のライブの出演依頼のメールを見つけて返信しようと思ったが、いい加減春日絵美に怒られてしまうのでとりあえず後にして、受信トレイをそのままに席を立った。インテリア用として購入した20万円のバルセロナ・テーブルに、春日絵美が作った朝食の目玉焼きと御飯が置いてある。春日絵美は今食事を終えたところのようだ。
「テレビ付けていい?」
と春日絵美が言う。
「いいよ」
と重田恵が答える。
 重田恵はテレビを見ない。すべての情報はインターネットから入ってくる。インターネットでは新聞よりも早く、ニュース番組よりも静かに情報を受け取ることが出来る。桜の木で出来ている3000円の箸で目玉焼きの目玉を潰さないように白身の端を掴んで御飯の上に乗せながら、テレビが付くときに鳴るぶーんという低音と高音が軋み合ったような音を聞いて、こればかりはいつ聞いても嫌な音だな、と思った。御飯の上の目玉焼きに醤油を掛けて齧(かぶ)り付く。春日絵美が小学校へ行くための身支度をしている。PLAYBOYのマルチーカラーショルダーバッグに詰まった教科書の間を掻き分けて昨夜遅くまでペンをカラフルに使い分けて色々書き込んでいたオレンジ色の提出用だと言っていたノートを押し込んでいる。テレビは何のために付けたのだろうと思う。稲城市立若葉台小学校はランドセルを強要しない。だから、自分の好きなバッグをランドセル代わりに持っていくことが出来る。だが、もし春日絵美があの赤いランドセルを背負っていたら多分大き過ぎて彼女の身体には不釣合いのような気がする。彼女が華奢で、背丈も他の小学生に比べて小さいからかも知れない。小学校5年生の秋には、一体何を勉強しているんだろうな、と思いながら春日絵美の着替えを覗く。SAVANAブランドのピンクのロゴの入った白いTシャツ、LIZ LISAのスリーブとピンクのデニムスカート。色素の薄い髪は、セミよりも少し長め、そろそろ切ってあげないとなと思う。
「鍵は?」
「あたし、ずっと家にいるよ」
「一応」
「バファリンの上」
 ドラクエ[がセットされたままのPSX DESR-7000(プレイステーション X)が繋いであるワイドテレビの横の白い本棚には、ノートパソコンを買ったときに付属されていたパソコンの使い方に関する本が何冊か並んでいて、その前に2年前の8月30日に春日絵美の誕生日に贈ったバーバリーのハンカチが畳んで置いてあり、春日絵美はその横の48錠入りのバファリンの上にある紐が通してある家の鍵を手に取って首から提げると、ハンカチに気付いてスカートの右ポケットに仕舞い込んだ。重田恵は、春日絵美のスカートの丈は少し短か過ぎるんじゃないかなぁ、と思いながら潰れた黄身で黄色くなった御飯をずるずると掬(すく)い、何を陽気な顔で喋っているのかボリュームが小さくて聞き取ることの出来ないスーツとネクタイの老けたアナウンサーが司会する番組を見ると、画面の右上に白い縁のある黒字で8:08と書かれていて、あぁ、そうか、朝のテレビ番組というものは、時刻を知るためにあるんだ、と分かった。2日前の夕方、出掛けようとする前に電球の球が切れていることに気付いたのだが面倒臭くてそのまま放っておいている暗い玄関の前で、微妙に厚底な感じのスケッチャーズの白のスニーカーを履く春日絵美に、忘れ物はない?、と聞いて、無い、と答えられて、下駄箱の上にある聖蹟桜ヶ丘OPAの1階の花屋で買った真っ赤なポインセチアを3秒間見つめて、その隅に置いてある春日絵美が夏休みに入る少し前に小学校の理科の授業でめだかを飼育するために使っていたという空のペットボトルに気付いて、そういえばめだかは去年絶滅危惧種に指定されたんだよなということを思い出した後、戸を開ける春日絵美に、車に気を付けてね、と声を掛けて、うん、と答えられて、外廊下をパタパタと駆けてゆく少女の後ろ姿をメイダイの健康サンダルを履いて追いかけ、エレベーターの↓ボタンを押して@からIに点滅ボタンが変っていくのをそわそわと見つめる春日絵美の産毛のようにふわふわしてそれでいてツヤのある幼い後れ毛を愛しいものだと感じて、ようやく開いたエレベーターの扉に乗り込んですまし顔で行ってきますと言う春日絵美に行ってらっしゃいと答えて、降りてゆくエレベーターを後に外廊下を戻る途中、早秋の朝の太陽の光が降り注ぎ始めたマンションの道向こうにあるゴルフ場を囲む木々の紅葉を少しだけ立ち止まって見つめて、家に入って玄関の鍵を閉め、一昨日に履いたニューバランスの青いスニーカーを下駄箱に仕舞い、リビングダイニングルームで熱心に独り言を喋り続けているアナウンサーとその横でただひたすら頷いている女性キャスターが映っているテレビをPSXのリモコンで消した。春日絵美が通っている若葉台小学校まではゆっくり歩いても3分程度の距離で、重田恵の住む10階のバルコニーからでもたくさんの小学生達が校門に入っていくのがよく見える。近いので心配する必要もないのだが、付近の小学生達は一旦マンション前の公園に保護者と共にが8:10までに集まって、みんな揃って登校している。バルコニーから真下の公園を見下ろすと、散らばっていてよくは分からないが10人程いる小学生と6人の黄色い旗を持った保護者(何故か全員母親のようだ)の姿が見える。10秒程して春日絵美と友達の優樹ちゃんの姿がマンション横から歩いてくるのが見え、班の中に混じる。優樹ちゃんとはマンションの1階入り口でいつも待ち合わせをしているんだそうだ。保護者達に先導されて12人の小学生達は小学校へ向かっていく。低学年の子達も何人かはいるであろう12人の中でも特に春日絵美は小柄で小さく見えた。

 春日絵美はテニスクラブに入っていて、今日は平日だから帰りは大体4時半か、5時頃だ。それまでにはフライヤ社に依頼された映画音楽の仕事は終わらせるつもりでいる。しかし、その前にある程度家事を終えておかないと春日絵美に怒られてしまう。朝食の茶碗と皿と箸をカウンターに運び、キッチンでスポンジにママローヤルを付け、どんなときだってたったひとりでうんめいわすれていきてきたのに、と小声で歌いながら食器を洗い、コップ一杯水を飲んだ後、ノートパソコンの(E:)ドライブに入れっぱなしのカール・リヒター指揮のバッハのマタイ受難曲DISC1をWindows Media Playerで起動再生してボリュームを小さめに絞り、洗面室横の全自動洗濯機に春日絵美の寝巻き用の薄いピンク色のジャージと、キッチンタオルと、バーバリー・ブルーレーベルとラルフローレンのワイシャツ、ワンウェイのデニム、トリンプのブラジャーとショーツを突っ込んで、アタックとハミング1/3を入れて電源を付けてスタートボタンを押し、後で別洗いをするマジョレナのニットのために棚からエマールを取り出して向かいの洗面台の上に置いて風呂場に入り、既にお湯が抜いてあるのでおふろのルック(洗剤)をダスキンのエコスポンジに付けて浴槽を洗い、シャワーで流して、後は自動お湯張り機能のボタンを押して設定水位を下げてお湯を入れ、洗面室で電動ハブラシULTIMAにスモーキング・アパガードを付けて歯を磨き、うがいをしてタオルで口を拭くと、リビングダイニングルームから聞こえるマタイ受難曲が第17曲目のレチタティーヴォで、ユダの裏切りを予言した最後の晩餐でのイエス役のバスが、"Nehmet, esset, das ist mein Leib"と優しく歌っていて、押入れからblondyのデニムパンツを取り出して履き替え、寝巻きのジャージを放ってアーロンチェアに座り、再びメールチェックをした後、Internet Explorerを開いてお気に入り登録からhttp://www.floatinglife.net/にアクセスし、窓から指す日差しが少し強いなと感じてカーテンボックスからカーテンを出して閉め、眠気が覚めないのでコーヒーでも入れようと思いキッチンで銀製のヤカンに水を少し入れてIHクッキングヒーターに乗せスイッチを押して加熱し、Edurで始まる最初の受難コラールが流れ始め、春頃劇場公開していた押井守監督の映画イノセンスのマグカップにインスタントコーヒー・グラシアを入れ、背伸びしたり、首を回したり、腰を捻ったり、爪先立ちしたりして沸騰するのを待ち、受難コラールが終わった頃にお湯が沸いてマグカップに注いでミルクと砂糖を入れて、かき混ぜずにリビングダイニングルームに持っていってノートパソコンの前でゆっくりと口に含んで腰を下ろし、改めてhttp://www.floatinglife.net/のサイトトップを見ると太字で書かれている最新情報の内容が更新されていて、コーヒーを置いてゆっくり見ることにした。

最 新 情 報
2004/10/25 : STAUBGOLDからDVDコラボが発売されます
"Herbst" - electronica collaboration DVD
music by megumi shigeta, image by Bruno Meyer
STAUBGOLD (Germany), 25Euro

"Sonntag" - electronica collaboration DVD
music by megumi shigeta, image by Bruno Meyer
STAUBGOLD (Germany), 25Euro

2004/10/23, 24 : 詳細はライブ情報のページをご覧下さい
"CITIZEN" live at Roppongi CLUB CORE

2004/10/18 : "Herbst"と"Sonntag"の紹介およびインタビューの放送
CS放送 ch1037 「rf - electric music archive」 25:15〜25:30


 http://www.floatinglife.net/は、私のファンが作ったホームページで、3名の運営者により代表管理されている。私自身、もうすでに忘れてしまっている仕事の内容まで事細かに記載されているので私もよくこのサイトを利用している。サイトではほとんどすべての文字が、日本語、英語、ドイツ語に翻訳されていて、TOPにFlash形式でfloating lifeというサイト名がぼんやり浮き上がり、私の住むマンションの写真がモノトーンで加工されて貼り付けられている。全体的に白黒で統一されていて、色彩豊かな色はあまり使用されておらず、最新情報の下には次のような解説が書き込まれている。

floating lifeは、megumi shigetaを慕う3名の運営者(池田、小島、Bruno)によって運営されております。
私池田は現在海外出張中のため韓国から、小島、Brunoは日本国内で管理を行っております。
時々掲示板などに神出鬼没のmegumi shigetaですが、当サイトはあくまでファン有志によるものであって、彼女がサイト運営に立ち会っているわけではありません。
floating lifeという命名は(既にご存知の方もいらっしゃると思われますが)、私池田が、日本国内に住居を持つmegumi shigetaの邸宅(マンション)にお伺いしたときに、
バルコニーから見える風景に見とれていると、megumi shigetaが、まるで空に浮いている島のような感じでしょ、とおっしゃったことがきっかけです。
当サイトは最初期のピアノソナタが発表された2001年からの運営でもうすぐ3年目を迎えます。
海外からのアクセスも多い当サイトでは今後、韓国語訳、フランス語訳の更新も検討されており、ますますworld wideになっていくことでしょう。
願わくば、サイト"floating life"が、megumi shigetaを慕うファンの交流としてふさわしい場所になりますことを、
そして音楽を愛する者達の世界規模の吸引力として国境無き場所として機能しますことを、我々運営陣は切に願っております。


 洗濯機が止まる音がしたので、コーヒーを一気に飲み干して洗面室に向かい、洗濯物を取り出し洗濯機横のステンレスハンガーを広げてひとつひとつクリップに挟み、リビングダイニングルームのカーテンを開けてバルコニーに出る。2004年10月25日午前9時21分の太陽。秋はあらゆるものを透明にする。神の手もぼくの視野をさえぎることはできない。物干し竿に掛けて、もう一度洗面室に向かい洗濯機にマジョレナのニットを入れてエマールを注ぎ込んで再度スタートボタンを押す。ノートパソコンのWindows Media Playerを止めて、サイトのTOP画面をそのままに、リビングダイニングルームの横、6畳和室の作曲部屋に入る。Roland Fantom-X8、YAMAHAのmotif ES、AW4416 、Power Mac G5、それぞれの電源を付け、SENNHEISERのHD650を耳に当てる。映画音楽に関する注文のバラバラな内容をひとつのテキスト文書にまとめたファイルを読む。1.情緒的なピアノをどうしても入れたい 2.古いシンセサイザーの音を活かす曲が欲しい 3.雨が降っているシーンでは雨の音に変る音を入れたい良いアイディアは無いか 4. プリペアドピアノや口琴を使った音楽 5.エレクトロニカ風のグレゴリオ聖歌 6.テーマ曲は羊たちの沈黙のような感じで。今のところ1と3と4は終えている。雨の音に代わる効果音は100台のメトロノームで代用し、プリペアドピアノも春日絵美の筆箱に入っていた消しゴムを使ってグランドピアノで試し、情緒的なピアノ曲も既に録音済みだ。後はすべてシンセサイザーとG5での作曲となる。G5からMAXを起動させ、Windowsのデスクトップの電源を付け、YAHAMAのSOL2と、Sonic FoundryのACID Pro4.0を起動させる。1分、2分、3分、5分、7分、13分、17分、23分、29分、31分、37分、 41分、43分、47分、53分、59分、61分、67分、71分、73分、79分、83分、89分、97分。一曲出来上がる。6秒、28秒、496秒、8128秒。また一曲出来上がる。多い時には一日に10曲は作れることがある。不調の時は1曲も作れない。特にメロディを扱うときには絶不調の連続で、音響関係は割と早く仕上がることが多い。一般的にメロディメーカーを賞賛するポップシーンというのはそれこそ本当の激戦区域で、あんなに疲労する職業も無いだろう。大量量産されそして大量消費されていくメロディ。コンビニで毎日届けられる弁当やパンのようだと思う。時々おいしいと思えるものが売っていてハマってしまうが、すぐに棚から消えてなくなる。あの食べ物は何処へ行ってしまったのだろう、と思うように、ポップ・ミュージックもいつの間にか消えてしまっていてもう二度と表舞台に立つことはない。とりあえずこの進み具合なら春日絵美が帰るまでには全曲出来あがっているだろう、と思いながらRoland Fantom-X8で要望にあった古めかしいシンセの音というものを探していく。色々な音がたくさんあり過ぎて探すのだけでも苦労する。

 いつの間にか6時間が経過していた。
春日絵美の玄関を開ける鍵の音が聞こえてそれに気付いた。午後3時を少し回ったくらいで、帰りが早い、と思った。そういえば月曜日はクラブ活動が無いのだった。
「ただいま」
玄関から声が聞こえる。機材の電源をほったらかしに明かりの付いたリビングダイニングルームに行く。春日絵美がバルコニーから洗濯物を取り出している。
「お帰り」
「はい、これCD」
「あぁ、図書館、寄ってきたの、バッハの音楽の捧げもの、あたし、これの螺旋カノンが好き」
春日絵美は鞄を置いて、薄いピンクの靴下を脱いで、ミューズで手を洗って、小さく欠伸(あくび)して、猫みたいに背伸びして、一度咳きをして、冷蔵庫からエヴィアンを取り出して、4秒間口を付けてごくんと飲んだ後、バッハの音楽の捧げものを手に取って7秒間見つめ、目をこすって、指の骨をバキバキと鳴らして、手をぶらぶらさせて、バルコニーから指すオレンジ色の秋の夕暮れを12秒間見つめたまま硬直し、二度目の小さな欠伸をした後、本当はスタンウェイが欲しかったけど結局お金が足りなくて買ったYAMAHAの中古の62万円のグランドピアノの前にゆっくりと座った。春日絵美は、ドラクエ[を買ってからというもの、家にいる時はずっとハマり込んでやってしまうので、やり出す前にピアノの練習を義務付けている。私が同じ年だった頃よりもずっとピアノの腕はいいが、私のようにピアノ教室に通ったりはしていないので、ある程度は家で義務付けた方がいいと思ったのがきっかけだ。アーロンチェアに座って、http://www.floatinglife.net/のTOP画面が映し出されたままのノートパソコンからBBSという項目をクリックする。背後から春日絵美の弾くドビュッシーのClaire de Luneが聞こえ始め、小学生には、特に手の小さい彼女には難しいピアノ曲だが、上手だ。春日絵美は、5年生に進級して間もなく行われた学年発表、音楽集会という場でピアノ奏者に選ばれていたが、その時もスケールの広い曲を器用にこなしていた。普段は、ドビュッシーではClaire de Luneの他に、Arabesqueや亜麻色の髪の乙女、作曲者ではショパンや、ブラームスなどを好んで弾いている。割と情緒的なものが好きなようだ。Claire de Luneを聞きながら今夜は満月だろうか、新月だろうか、それとも三日月だろうか、半月だろうか、暮月だろうかとふと考え、後でベランダに出てみようと思った。バルコニーが段々と暗くなってゆく。

[1999] studie H M 2004/10/25(mon) 02:25 [reply]
ライブで恵さんとお喋りしましたw
眠そうな目が何ともかわいいw
非常にファッショナブルで、六本木のクラブという場所にいても違和感がない!
世界で活動する音楽家と聞いていましたから、もっと格式ばった人なのかと思いきや、全然今風でびっくりしました(失礼)
音が大きくてあまり喋れなかったのが残念でしたね、恵さんも色々と忙しかったようですし、時間取らせて申し訳ない感じでした
曲の方も素晴らしかったですよ、Hip hopとR&Bを基調としているのに懐かしい民族音楽っぽくて恵さんの曲だとすぐに分かるという(笑)
ますますファンになりました、早くCD出ないかなぁと期待してます!

[1998] Manya H M 2004/10/25(mon) 01:02 [reply]
Mein lieber Bruno.
Wie geht es Ihnen?
Ich habe schon lange nichts mehr von dir gehoert.
Vielen Dank, dass du mich so schnell und ausfuehrlich ueber DVD informiert hast!
Ich verspreche dir, dass ich dir von nun ab oefter maile.
Bleib gesund!

[1997] 寿美野里 H M 2004/10/24(sun) 20:59 [reply]
以前、中谷美紀の「雨だれ」という曲を引き合いに出して
「雨」っていうのはこういう感じだよね、と言ったの、覚えてます?
そしたらめぐちゃんが、あたしの中ではリゲティのポエム・サンフォニックが「雨」って感じだよ
と答えて、その時は本当に目から鱗が落ちました(笑)
あの意味不明な作品の中にちゃんと音楽を感じる人がいるんだな、と(笑)
それでまた、苦手な現代音楽に再挑戦しつつあります
武満徹は好きなんだけどなぁ、他の作曲家の曲はいまいち分からないです・・汗
精進しまっす!
P.S. フルート、ついに買い換えました、もちろんムラマツです!
いつか、私を使ってやって下さいね(笑)

[1996] k3 H M 2004/10/24(sun) 16:37 [reply]
どうも、来てみました
掲載されている音の方を聴いてみましたが、MAXっぽい音は案外無いんですね
ああいう音もいい加減氾濫し過ぎて飽きてる人も多いようですけど・・
最近はミニマルも氾濫しまくっているので、そろそろマキシマムなムーブメントへの回帰が必要な気がしています
重田さんは背後にクラシックの影響もあるので、どっちにも対応出来そうですよね
昨日ラヴェルを久しぶりに聴きましたが、現在こういった音楽を作れる人は一体何人いるんだろう、と思いました
ポップ・ミュージックもテクノもボサノバもジャズも総括してミニマルとも言えるでしょ、決してマキシマムじゃないから
別に音楽界にマキシマムが要求されているとは思っていませんけど、どんな時にもバランスって必要なもので
最近はそういうものをひしひしと感じています
という感じで、お互い作曲の方、頑張りましょう、それではまた!

 10/25という日付を見て、そういえばちょうど一ヵ月後の25日が射手座の羽山知佳の誕生日であることを思い出した。去年私はブランデーのヘネシーをボトルで贈った。彼女の好きなお酒とは言え、半分以上ギャグだったが、彼女は大笑いして喜んでくれた。今年の3月3日の私の誕生日にはJohn Player Special Boxのカートンを3つ貰った。リベンジなんだそうだ。元々煙草もお酒も彼女に勧められて始めた。煙草とお酒は二十歳まで、という決まり文句をよく言っていた。ちなみに彼女はパーラメントを吸う。5分程のClaire de Luneを弾き終えて、何を弾いたらいい?と聞く春日絵美に、ゲームやっていいよ、と答え、BBSを閉じ、(E:)ドライブを開きマタイ受難曲を限定版の淡い山吹色のケースに仕舞い、棚から黄色い帯に武満徹 ガーデン・レイン ソン・カリグラフィ、他と書かれたCDを取り出して(E:)ドライブに挿入する。春日絵美はテレビの電源を付けてバルセロナ・テーブルの前のLDS(ラブ・ボート・ドラッグ・ストア)の赤い毛布の上に寝転がる。EPG(電子番組表)を開いて今日見るTV番組が無いかを確認した後、PSXの電源を付けると効果音と共にSony Computer Entertainment Inc.という社名が出て、5秒程してからすぎやまこういちの音楽と共にドラクエ[のタイトルが現れる。重田恵は席を立ってお風呂場に行き湯を沸かす。お風呂に入るか、先に食事にするか悩む。朝から何も食べていない。TV画面では、「おや あんた 旅の人だね? この私に なにか用かい?」と緑色のローブを着たおばあさんのセリフが出ている。何も用は無いんだろうな、と思いながら、お腹空かない?と春日絵美に聞く。空いた。フレスコ行かない?いいよ、今から?1時間くらいしてから。いいよ。お腹空いたなぁ、とぼやきながら作曲部屋の明かりを付けて映画音楽の続きの作業を始める。没頭し出すまでに少し時間が掛かるから、1時間という時間の中では「1時間」という作業は出来ないんだよな、と思いつイコライジングとベロシティのチェックを行い、それぞれの音にコンプレッサーを掛けて調整するところからやり直すことにした。

 一時間半を過ぎた頃、PLAYBOYのベージュジャケットとスカートを着、学校用のショルダーバッグを斜めにぶら下げた春日絵美が戸をノックして、行かないの?と私に聞いた。結局、夢中になって時間が経つのを忘れていたようだ。ちょっと待って、と言い、急いでクローゼットからSHAKE SHAKEのモヘアニットとタンクトップ、Snatchのデニムミニスカートを取り出し、着替える。髪はほったらかし、ノーメイク、自分の今後が心配だ。FENDIのサイフを持って玄関に行く。ギルド・ジャコモ・ギャラリー・オン・ザ・ウェーブのブーツを履いた春日絵美が鍵をくるくる回しながら玄関の前で待っている。下駄箱からBOniTAのブーツを取り出して履き、お待たせ、と言うと彼女は扉を閉めて鍵を掛けた。エレベーターの中で髪を整えながら、鞄、何入ってるの?と聞くと、何も入ってない、だってさ。
 マンション前の公園を横切り、若葉台四丁目バス亭にちょうどクリーム色のバスが止まっているその横を通過して、信号のある十字路を右に曲がる。空を見上げると見事な満月だった。道の両脇には大量のススキ。イネ科の多年草、別名オバナ(尾花)、秋の七草のひとつ。稲城市は稲と梨の産地であるらしい。春日絵美が小学校五年生になったばかりの頃に、バケツ稲づくり、という授業の米作り体験をやっていたという話を聞いたことがある。ススキの群生は何故か見ていると胸がきゅんとして切なくなる。
 1分程歩くと尾根幹線の大きい交差点の角にあるイタリアン・ワインバーのフレスコが見える。入り口の立て札には、今日のメニューはポルチーニとキノコいろいろ のトマトソース、という書き込みが赤や緑や白のチョークで書かれている。開けっ放しの扉を入ると、これから帰ろうとするお客とすれ違い、そのままそのレジを受け持った店員が、いらっしゃいませ、お客様、お二人様でしょうか。青いエプロンをぶら下げた20代後半くらいの男性店員。はい。お席の方、ご案内します、こちらへどうぞ。1ヶ月に2、3回の割り合いで行くフレスコの円状に並べられたフロアの真ん中にはSteinwayのグランドピアノが置いてあって、夜に来ると稀に黒いスーツを来たピアニストがジャズやボサノバを弾いているところを見ることが出来る、が、今日はいない。奥に4、5組程の客がいる。入り口手前のテーブルに案内される。黒縁のメニュー表を置いていく。私も春日絵美もあまりメニュー表を見ない。何食べる?ミートソース・スパゲッティ。あたしはペペロンチーノ、店員呼んでいい?いいよ。すぐ傍にいた店員に声を掛ける。はい、ご注文をお伺いいたします。この子にミートソース・スパゲッティ、あたしはペペロンチーノ、あとミモザ頂戴、食前酒ね、絵美、飲み物は?オレンジ・ジュース。後、オレンジ・ジュースね。ご注文を確認致します、スパゲッティ・ミートソースがおひとつ、ペペロンチーニがおひとつ、ミモザがおひとつ、オレンジ・ジュースがおひとつでよろしいでしょうか。いいよ。かしこまりました、少々お待ち下さいませ。

ミートソース・スパゲッティって言ったのに、スパゲッティ・ミートソースって言い直してたね。
どっちなの?
どっちでもいいんじゃない、あと、ペペロンチーニって言ってた、あたしはペペロンチーノって言ったんだけど。
ふーん。
お腹空いた。
朝から何も食べてないの?
食べてないのよ、今日、給食どうだった?
御飯が出たよ。
秋だからかな。
秋だと何で?
お米の収穫の季節だからだよ。
そうなんだ。
稲城市はアキニシキっていうお米作ってるらしいからね。
ふーん。
その米でみのりっていう純米酒を作ってるんだって。
お酒知らない。
最近学校楽しい?
楽しいよ。
優樹ちゃん元気?
最近、飼ってた十姉妹が病気になったんだって、何か、目の・・、何て名前か覚えてない。
白内障かな。
そうかも。
飼い始めてもう長いの?
小学校に入る前から飼ってるって言ってた。
長いね。
鳥ってどれくらい生きるの?
十姉妹だと4年から10年くらいかな、5年以上だったら長い方だよ。
そうなんだ。
絵美も何か動物飼いたい?
犬飼いたい。
犬か。
うん。
どういうの?
ゴールデン・レトリバーとか。
大型犬だね。
プレステで色々調べたの。
インターネットね。
そう。
うちのマンション飼えるのかな。
でも遙ちゃんのとこは犬飼ってるよ。
そうなんだ。
うん。
グランドピアノにゴールデン・レトリバーって何か映えるね。
分かんない。
犬かぁ。
ねぇ、保健所って何?
行政の施設。
動物を殺すの?
捨てられた動物を処分する業務を行っているらしいけど。
そうなんだ。
永山に南多摩保健所っていうのがあるね。
何で殺すの?
単純に100匹の捨て犬、捨て猫がいるとして、今すぐに飼いたいと思っている人が10人くらいしかいなければ、ということだと思うけど。
かわいそう。
そうだね。
何でそういうことをするんだろう。
ペットを国語辞典か何かで調べると、愛玩動物、だよね。
あいがん?
愛玩っていうのは可愛がる、っていうこと。本当はそれは、卑下している、ということを前提にしている言葉なのかも知れないね。
よく分からない。

 ちょっと遅いミモザとオレンジジュースが来て、先にミモザを私の前に置いたのでちょっとムッときて、絵美の方に先に置けよ、と思ったが、とりあえず言わないでおき、春日絵美が先に口を付けるのを待ってから一口含んでやっと自分がずっと喉が渇いていたことに気付き四分の三程飲み干してフルートシャンパングラスを置いた。春日絵美はオレンジ・ジュースをちびちび飲んでいる。現在、日本では、年間約 70万頭近い犬猫が行政の手によって殺処分されている。犬も猫も一分間に1匹ずつ殺されている、というのが現状のようだ。炭酸ガス(二酸化炭素)による処分機を使用し、諸外国に比べ全時代的な方法を取り、よく動物愛護団体などから非難を受けている。私にはあまり、人間と動物が一緒に暮らす、ということが自然であるような感じがしない。動物は人間とは相容れない存在であるような気がする。それは別に人間が特別な生き物であるということを意味しているわけではなく、人間はあまりに他の動物の生活や生死を自由にコントロールすることが出来過ぎるから、そういう関係性は不自然だ、と思うだけだ。でも、別に犬を飼うことに反対はしない。
「今度ペット屋さんに行ってみようね」
そう口した時にちょうどミートソース・スパゲッティとペペロンチーノがやって来て、ご注文は以上でよろしいでしょうか、と店員が聞くので、あと、サザンカンフォート・スパークルをお願い、と言って、サザンカンフォート・スパークルをおひとつでよろしいでしょうか、とまた聞くので、うん、と答えると、かしこまりました、と答えて調理場の方へ消えて行った。春日絵美が半分も食べ終えていないうちに爆発的な勢いでペペロンチーノを平らげ、食べ足りないなぁ、とぼやきながら最後のミモザを飲み干すとちょうどサザンカンフォート・スパークルがやってきて、ご注文は以上でよろしいでしょうか、とさっきと同じ台詞を言うので、シーザースサラダの追加お願い、と言って、シーザースサラダをおひとつでよろしいでしょうか、とまた聞いてきて、はい、と答えロンググラスのサザンカンフォート・スパークルを口にした。シーザースサラダはかなり早く来て、お待たせしました、という店員の言葉に、全然待ってないよ、と思いつ、チーズをお掛けいたしますか?と聞くので、掛けて下さい、と答え、妙な機械を取り出してシーザースサラダの上でチーズをスライスし、三度目のご注文は以上でよろしいでしょうかの後で、うん、と三度目の正直を言った。

 行きは良い良い、帰りは怖い。昼間はあんなに日が照っていたけれど、秋の夜道は肌寒い。春日絵美はジャケットを着ていてそれほど寒くは感じていないようだ。用意周到な子だなぁ、と思う。もしかしたら空だと言っていた鞄の中には何か非常時に使えるものが詰まっているのかも知れない。家に帰って、お風呂のお湯加減を見てみると少しぬるくて、3分沸かした後、先に入るね、と春日絵美に声を掛けて、洗面室で服を脱ぎ、出しっぱなしのエマールを戸棚に仕舞い込んで、バスルームに入った。シャワーのお湯で足、腕、身体の順にかけ湯をして湯船に入る。肩を揉んで、少ししてから一旦出て、ジャー型の容器に入ったラズベリーの香りのするフェロモンボディ(ボディソープ)を手に取りスポンジに付けて身体を洗って、花王のアジエンスで頭皮をマッサージ、洗い流した後、もう一度湯船に入って肩を上げ下げストレッチ、ふくらはぎのマッサージ、指先で摘むように引っぱって二の腕マッサージ、左手で胸の下から脚の付け根に向かって斜めに下ろすようにおなかマッサージをしてお風呂から上がる。マイナスイオン・ドライヤーで3分程髪を乾かし、資生堂ホワイシスを左手の甲に取り右手の指先で軽く叩くように顔全体に満遍なく付けた後、トリンプのショーツを履いて今朝脱ぎっぱなしのジャージを着、明治おいしい牛乳を冷蔵庫から取り出して200ml飲み干した。
 春日絵美がリビングダイニングルームでテレビを見ながらオプティク・ストロベリーを食べている。テレビに映っているゲーム開発者のイギリス人が、PS9(プレイステーション9)ではゲーム機とプレイヤーの頭脳を直接つなぐ技術が登場するだろう、というようなことを喋っている。夢見がちなpioneer達。1000年も経てば耳も退化して無くなるのではなかろうかとか思うけど、バランス感覚を担っているのも耳だから、車が発達してアスファルトが出来、花粉症が生まれたように、耳がいづれ失われるその時にも予知せぬ自然界の反逆は避けられないだろう。平板ガラスのバルセロナ・テーブルの下の安室奈美絵が表紙を飾った11月号のSEVENTEENの隣りに何かの本が置いてあるのが見える。読みかけの小説のようだ。冷蔵庫を開けてオプティク・メロンを取り出す。銀のスプーンと、カウンターに置いてあるJohn Player Special Boxとフレスコで貰ってきたマッチを取って窓を開けサンダルを履いてバルコニーに出る。オプティクとはイギリスで今年の6月頃に発売されたデザートだが、発光ダイオードのような自然発光するいくつもの小さな粒がゼリーの中で微かに光る。暗闇の中で特にそれが分かるので、重田恵はオプティクを食べるときにはいつもバルコニーに出るようにしている。日本では発売されていないが、渋谷や六本木などの一部のクラブでは密売的に売られていることもあるらしい。重田恵は、英語とフランス語の二ヶ国語を喋る日本人のSM嬢から教えてもらったE-mailのアドレスで、イギリスの会社から毎月6個入りダンボール一箱分をストロベリーとメロンで計2箱取り寄せている。裏で取り引きされるものだからと言って別に害があるわけではない。鈴虫の鳴き声が聞こえる。バルコニーから見える世界は、幾何学的に並べられた若葉台パークヒルズのマンション群、小さくまとまった少女たちのようなゼラニウムのような積み木のおもちゃのような丘の手地区戸建て住宅、オーストラリアから輸入したレンガで出来ている若葉台小学校の校舎、永遠に建築中のままではないかと思われるような遠くに見える骨組みのマンションに、満月と並んでそびえる鉄塔。ここから見える世界を私は本当に好きだ、と重田恵は思う。この街には電線がない、あっても非常に少ない、だから道を歩いていても空がよく見える。裏のゴルフ場がある方向から響く鈴虫の鳴き声と、上階に住む者達の定めとして受け入れなければならない強風。ここでは色々なものが遠く果てしないもののように思えて、それが悲しいものではなく心地良いものなのだと受け入れられる。作曲を本格的に始めて半年程してからここに引っ越してきたが、その頃はバルコニーから見る風景が本当に不思議だと思った。世界は、気が付くと朝になっていたり夜になっていたりする。時間の無い場所。私はさっきまで朝一のメールチェックをしてなかったっけ?私はさっきまで絵美のピアノを聴いていなかったっけ?オプティク・メロンの光り輝く粒を舌で潰しながら、2年前にやっていたプレイステーション版のドラゴンクエストWなんかを思い出しちゃったりして。勇者は天空からやって来た人なんだ。勇者の証を持っていないと登ることの出来ない塔があって、その塔は大理石Grey of Tranovaltosのような青と銀白の内装で、すぐに落っこちてしまいそうなくらい穴ぼこだらけの欠陥工事で、世界中が見晴らせる。PSU用の黒いコントローラーを握り、テレビ画面を凝視してゲームに熱中しながらあの塔を登っていったとき、こういう場所に住みたいと願った。そして今はその願いが叶った場所にいる。煙草に火を付ける。先端の光は、私はここにいます、という存在アピール。希望の無い国で生まれた私という名の点、それがJPSの光。1秒、2秒、3秒、4秒、5秒、6秒、7秒、8秒、9秒、10秒、11秒、12秒、13秒。煙草に唇を当てて、煙を肺に吸い込み、吐き出すまでの時間、ふふふ。

音楽は・・。

 途上段階にある欲望する国家は、機能的な音楽を歓迎する。機能的な音楽とはつまりコマーシャル的なものだ。決められたファクターの中でのみ活躍する音楽。この季節にはこう、こういう聴衆を対象にしているからこう、テンポはこのくらいがいい、そういうあらかじめ決められた制約。そういった音楽の中でも国民の目に適ったものは、日本を代表する、と形容されてきた。しかし、成熟、つまり進もうとしていた場所に到達し、希望を失った、つまり今後成すべき事など無い、あるいは国民に必要とされない国家の中では、機能的な音楽というものは、必ずしも賞賛の対象になるとは限らない。コマーシャル・ミュージックは永遠に失落しない。だが、音楽とは本来国家にとって無価値なものであるはずだ。すべての音楽家は遊牧民であり、世界市民だ。だから音楽家は、世界中の人々の記憶の間を渡り歩く旅をする。時には滞在し、時には祖国を捨て、人を愛し、子供を産んで、またその土地を離れて行く。音楽家は決して定住してはならない。定住者にはジャンルという名の檻が用意されている。記憶は環境要因的な要素の複合体で、聴衆は記憶によって音楽を感知するから、讃えられる作風はその国の風土と歴史に依存する。音楽というものは人々にとって馴染んでいるもの程効果があるからだ。自分を当てにしてはならない。自分の耳の好みや感性の幅など高が知れている。音楽は共有財産であり、すべて他者のために存在する。自分だけが心地よいものを他者に押し付けても音楽にはならない。

 私には希望が見えるわ。多くの言語を操る者達にとってインターネットに国家という文字はない。国が滅びても音楽は滅びない。音楽に国境はない。常に音楽は子供たちと共にある。時間の無いこの場所で、風が強く吹き付ける塔の上で、私は国家にとって無価値なものとして世界に繋がっている。蜜蜂のように鋭敏に反応し、蟻のようにコロニーを守って、烏のように誰にも見つからずに狩りをしよう。技術がある限り、世界へはすぐに飛んでいける。

 煙草の灰が落ちた。強風が灰をさらってゆく。地面に灰が積もるのを私は見ることが出来ない。既に食べ終わっているオプティク・メロンの容器の底で煙草を潰して、家の中に入った。窓に鍵は掛けない。部屋の中は外よりも少し温かい。武満徹のギターのためのフォリオスをノートパソコンのWindows Media Playerから再生させる。西洋音楽の歴史が、そして文化そのものが投影された楽曲を、ついに西洋音楽の主要な楽器のひとつに選ばれることのなかったギターという楽器を使って、東洋の音楽家が編曲し、自分の音楽に組み込んだ作品。鯨のように頑強な身体を持ち、東も西もない海を泳ぎたい。春日絵美が、さっきバルセロナ・テーブルの下の置いてあった読みかけの小説を読んでいる。見覚えのある表紙。
あら、本を読んでいたの?何て本?
春日絵美は小説の文字を目で追いながらこちらを振り向かずに答える。
「綿矢りさの『蹴りたい背中』」









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