天は人の上にも下にも人を造る

―窓辺の陽―




佐藤 由香里







「ちょっと刑事さん。ブラインドを開けてくれない? 私、暗い部屋は嫌いなんだ。ただでさえこの取調室、狭くてじめじめしてるんだから、せめて陽が入らないと気分まで暗くなっちゃう。やだなあ、そんなに怖い顔しないでよ。私は何でも話すつもり。その代わり、小娘の戯言だなんて流さないでね。誰にも話さなかったことまで話そうとしてるんだからさ。

 私はずっと満月ちゃんが憎かった。きっと彼女も私が憎かったんだと思う。それでも一緒に居続けたのは、やっぱり流れている血が同じだったからなのかもしれないね。

 二人で生活し始めた当初、私はまだモデルの仕事が軌道に乗ってなくて、満月ちゃんも稼ぎがなかったから、いつもギリギリの生活をしてたの。その頃は今みたいに仲も悪くなかったから、お互いに寄り添い合って生きてるって感じだったよ。パン屋さんに余ったパンの耳を二人でもらいに行ったこともあったしね。満月ちゃんはいつもバイトを探していたけど、親のいない15歳の子供を雇ってくれる所はなくて、私の少ないモデルの給料で二人でやってくなんてとても無理だった。でも、いよいよお金がなくて、もう何も買えないって時に、満月ちゃんはとうとう体を売ることにしたんだ。お金持って帰ってくるから待っててって言って出かけて行った。私、そんな汚らわしいことやめなよって言おうとしたけど、言えなかった。実際、次の日に食べるものもなかったから、喉まで出かかった言葉を飲み込むしかなかった。あの時の満月ちゃん、もう覚悟を決めたって顔してたよ。玄関を出る満月ちゃんの背中に、ごめんねって心の中で呟いたっけ。で、朝方、満月ちゃんは泣きながら帰ってきたの。何枚ものお札を握り締めてね。私は眠れなかったから、満月ちゃんが帰ってきた時のことよく覚えてる。靴を脱ぐなり洗面所に駆け込んで、何度も口をゆすいでた。でもね、刑事さん、満月ちゃんはそれでもお札を離さなかったんだよ。口から吐き出される水のしぶきでお札が濡れてぐしゃぐしゃになってた。それを後ろの方から眺めてて、私は、ああ、この人は強い人なんだ、って思ったの。
 けどね、それは一回じゃ終わらなかった。満月ちゃんはもうバイトなんて探すのをやめて、男と寝ることでお金を稼ぐようになったんだ。15歳の体はよく売れた。世の中にいかにロリコンが多いのかってことだよね。だけど私は、だんだんそんな満月ちゃんが嫌になってた。その頃にはもう生活の基盤が出来ていて、私の仕事も軌道に乗っていたから、私も、もういいじゃないって感じだった。確かに最初は感謝したよ。あの時もし満月ちゃんが体を売らなければ、私達は飢え死にしていたかもしれない。私の事務所が生活の全てを抱えてくれるほど、当時の私は売れてなかったし、ありがたいと思ってる。だけどね、もう満月ちゃんは、そうやってお金を稼ぐことが当たり前になっちゃってたんだよね。私は元々、そういうことって不潔だと思ってる人間だから、匂いのきつい香水を振りかけて出掛けて行く満月ちゃんの後姿を見ると、知らないおじさんの体に押しつぶされている満月ちゃんを想像して吐きそうになった。

 私ね、実は子供の頃、父親から性的虐待を受けてたの。いわゆる近親相姦ってやつ。実の父親にだよ。刑事さんは娘さんいる? へぇ、何歳? 中二? それはもう立派な女だね。考えてもみてよ。自分の娘を犯すんだよ? 信じられないでしょ。
 私が父親から歪んだ愛情を受けていたのは、私がまだ小学校に上がる前。4〜5歳くらいかな。あ、でも挿入はされてないから近親相姦にはならないのかな。
 初めて父親にそういうことをされたのは、一緒にお風呂に入ってる時だった。父親が私の体を洗いながら、仲直りのおまじないがあるんだ、と言ってきたの。私は当時、同じ保育園の、近所に住む男の子が好きだったんだけど、素直になれなくて憎まれ口ばかり叩いてたから、いつも喧嘩ばかりしてたんだ。だから仲直りのおまじないがあるなら、私はそれを聞かない訳にはいかなかった。私が興味津々な様子で教えて欲しいって言うと、父親は自分のあそこを私に握らせてきたの。そのまま父は私の手首を持って動かしながら、男はここをかわいがってあげると喜ぶんだよ、喧嘩してもすぐに仲直りできるんだよって笑った。私は、手の中で段々大きく、硬くなっていくものを眺めながら、これで好きな男の子とも早く仲直りが出来るんだって喜んでた。
 次の日、やっぱりその男の子と喧嘩してしまった私は、父から聞いたおまじないを実行することにした。お昼寝の時間に、彼の布団に潜り込んでパジャマのズボンを脱がしたの。すると男の子は抵抗して、やめてよと叫びながら泣き出したちゃったんだ。私は訳が解からなくて、家に帰って母にその話をしたの。そんなこと誰に聞いたのと言われて父とのことを話すと、母は私を引っ叩いて父のいる二階へ行ってしまった。あの時の母の恐ろしい形相、今でも忘れられない。私はひりひりする左頬を押さえたまま、二階から聞こえてくる両親の言い争いを聞いてた。
 その日の夜、妙な物音で目を覚ました私は、音が漏れている両親の寝室を覗いて驚いた。父は母にまたがって腰を振っていた。母は母で、悦びに体を震わせて父を受け入れていた。父が私に教えたおまじないと、目の前で行われている行為が私の中で結び付いた。全く違う行為なのに、私は直感したの。これは絶対に他言してはいけない秘め事なんだって。まだ性に目覚めていない私でも理解できるほどいやらしくて、私は嫌悪せずにはいられなかった。だって私は、まるで動物のように腰を振る両親の行為に通じることを、おまじないだと信じて好きな男の子にしちゃったんだもん。結局その日以降、好きだった男の子が保育園に来ることは、もうなかった。

 それから父は、家に誰もいないときを見計らって私に触れてきた。パパやめて! 私は何度もそう言ったけど、父はやめてくれなかった。一度だけ父に言ったことがあるの。どうして私にばかりこんなことするの? どうして満月ちゃんにはしないのよって。その時父親はなんて言ったと思う? 「満月は不細工だからダメだ」 その一言だけ。とんでもない父親だよね。私は不公平な世の中を呪いたい気持ちでいっぱいだった。どうして私だけこんな目に遭うのか。確かに満月ちゃんは容姿に恵まれなかったかもしれないけれど、もしも私と逆の立場で生まれていたなら、間違いなく満月ちゃんはあの男の餌食になってたと思う。逆に、あなたが引き受けてくれてありがとうって感謝されてもいいくらいだって、ずっと思ってた。
 その頃、誰もが私達を仲の良い家族だと信じて疑わなかった。優しい父親と美しい母親。それが仮面であることに誰も気付かずに、人々は憧れの目で私たちを見つめてた。だから父が女と逃げて、母がその後自殺をした時、周囲の人間は驚いてたよ。でもさ、それぞれの家庭のことは、中にいる人間しか解からないんだもん。同情の声をかけられるたび、私は虫唾が走ったよ。そんなこと言ったって所詮は他人事。私達家族は、自分たちはああならないようにしようという教訓を周囲の人間に与えただけだったんだよね。
 
 私はこれまでずっとセックスにトラウマを持ったまま生きてきた。セックスが怖い。 父親の息遣いや、私の体に飛び散る精液を思い出すと、今でも吐きそうになるの。私ね、これでも処女なのよ。恋人は今までに何人かいたけれど、私がセックスを拒むとみんな離れて行った。私だって本当は好きな男とセックスしたかった。でもね、父親のことを思い出すと体が拒絶反応を起こして、いつもセックス不成立に終わってた。
 ねぇ、刑事さん。好きな男に抱いてもらえない気持ちって解る? お互いがそれを望んでいるというのに一つになれないもどかしさが。それなのに満月ちゃんは好きでもない男とセックスをして、お金までもらってる。私が望んでいる行為を愛のかけらも見出ださず、ただ生活のために。それが許せなかった。

 だから、私はずっと満月ちゃんが憎かったんだ」