私は狂っている

上松 弘庸


 昨日買ってきたビートルズのレコードを聞きながら、私は、昔の事を幾分思い出しています。それはもうずっと遠い昔のようでもあり、また、つい昨日のようでもあります。何れにしろ、私は少し長い間、自分自身が何をしたかを知りませんでした。レコードからはサムシングという曲が流れています。この曲は私は大変好きでありまして、私はもうずっとこの曲の入っているレコード盤を、繰り返し繰り返し聞いています。この面には他にも、恋に落ちたら、というタイトルの曲が入っていて、その曲は陰鬱なイメージがありまして最初私はあまり好きではなかったのですが、何度も何度も何度も何度も聞いている内に大変好きになってしまいました。或いは既にサムシングではなく、この恋に落ちたらを聞きたいが為にレコードに針を下ろしているのかもしれません。何度も何度も何度も何度も。
 私が生まれたのは広島でありますが私は広島に住んでいた記憶が全く無く、それは私が保育園に上がる頃には既に福岡の方へ引っ越していたという事で考えてみれば至極当たり前なのですが、それなら福岡の記憶はちゃんとあるのかというとそうでもなく、福岡の記憶も殆ど無いのであります。それは小学校に上がる頃に私の家族が横浜に引っ越した為もあります。ですが私の記憶には横浜で過ごした記憶も全くと言っていいほどありませんで、それはやはり小学3年生に上がると同時に藤沢の方へ引っ越した為でありましょうか。今イエス・イット・イズが流れております。この曲も私は大変好きであります。
 私は先日最寄の総合病院に行きまして、相変わらず脳外科に行ってきました。精神科ではないのが少々残念でもありますが、此ればかりはどうにも仕方がありません。それが私の運命なのでしょう。精々頑張って通院するつもりであります。異常が診られるこの脳波を再度測りまして、やはり相も変わらず乱れた波長を見て先生様が一言。お前は狂っている。そんな事遠の昔から私には判っているのですが、面と向って言われますと私も少々驚いてしまいました。私は狂っている。
 中学2年に手術を致しました。頭蓋を割り、脳を削り、薬物を体に投与致しました。何時から私が狂っていたのかは判りませんが、成る程確かに私は自分が狂っている事が寸なりと受け入れる事が出来ました。突然奇声を上げながら気を失ったり、歌の一部分を延々1時間以上も歌い続けていたり、意味もなく急に泣き出したりしていました。弟の腕には歯形が消えた例がありませんでしたし、母親の青痣も消えた事がありませんでした。鍵の掛かった妹の部屋のドアは傘で空けた穴が無数に空いていました。
 音楽というのは良いものですね。私はこの素晴らしい一時、嗚呼、何という素晴らしい一時なのでしょう。私のこの一時は誰も邪魔する事は許しません。私は今幸せです。狂っているかもしれないが、私は今確かに幸せです。例えこの世の中が全て偽りで固められていたのだとしても、私は此れだけは自信を持って天に向って大声で叫ぶ事が出来る。私は、本当に今を生きている。この世が全部嘘でも、私は確かにここに存在している。私が証人だ。私は真実だ。
 今サムシングが流れています。今日は27回目です。昨日30回聞いたので、今日も後3回聞いて終わりにします。時間は本当に流れているのでしょうか。ちゃんと私も流されているのでしょうか。

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