A sweet sigh bites an ear




藤崎あいる













兄はまるでわたしの前に姿を見せない。わたしが探そうとしないからなのかもしれない。だけど佐緒里は何度か兄の姿を見ている。兄はこの家を守る事で必死なのだ。あれから、グループ内の他のいくつかの企業でも不正が見つかり、うちのグループの信用は、がたがたになっている。バカな週刊誌や、噂話ばかりの女性誌で好き勝手に色々と書かれ、しかもありもしないことまで読者が鵜呑みにしている事も重なった。

腹がたったのは、屋敷の壁に『ウソツキ』だの『ギソウシャ』だの、見るからに幼稚で馬鹿な落書きをスプレーでされたことだ。だけど何も言えない。わたしたちは怒る事は出来ない。誰が指導した犯罪かは知らないが、とにかくこのグループで起こった事なのだから。わたしは唇を血が出る程噛みながら、それを拭きとった。佐緒里がわたしを手伝ってくれた。他の使用人がそれを見て、やります、と雑巾を持ってきてくれたが、断った。これは、他の人にはやらせたくなかった。きっと、この家にいるのが辛くなるだろうから。佐緒里はわたしの汗をふいてくれた。雑巾ではらちがあかなかった。そしてふたりで、白いスプレーを買って来てそれで消したのだった。

テレビの中で兄は頭をさげさげしている。罵声も投げられていた。茶道教室の方も、さらに生徒が減った。なので、わたしは契約していた師匠を3人、解雇した。とてもいいヒトたちだったのに、わたしはあのヒトたちをクビにした。頭痛関係なしに、眠れない日が少し続いた。

みな、疲れている。だってこの前、山と山の間に虹の橋がはっきりとかかった時も、わたしには『灰色の何か』にしか見えなかったのだもの。今までのわたしにとって、ありえないことだった。

とにかく、わたしには食べる時間があるからまだよい。問題は兄だ。佐緒里も大谷さんも心配している。だから、どうにかして兄と会ってどうか食べてとお願いせねばなるまい。それでも、佐緒里が言うには、兄はいつでも笑っていて余裕だという調子でがっしりと構えている、との事。それが兄の器なのだろうか。一番上に立つ者が不安な顔をしていると下の者まで不安になるのは当然だ。わたしは自分の態度を反省した。疲れていても元気に見せるように努めなければ。わたしをそのように反省させた兄も、食は確実に細くなっているらしい。食べるのが面倒臭いという理由でその時間も仕事をしているのだが、実際は食べても戻してしまうとか。あのいつもの兄の余裕かました態度からは伺えない、神経質な兄の様子が痛い程想像できた。

またわたしがあれこれ考えていると、佐緒里が言った。

「お召し上がり下さい。真緒さままで身体を壊されては、お兄さまをお叱りになる方がいらっしゃらなくなりますものね」

佐緒里はたっぷりと笑った。わたしもつられて笑った。それでいいんだと自分を納得させた。


どうにか兄に会えないものかと考えた。テレビを通じて意志が伝わるならそうするが、そんな事はできない。同じ家にいながら、この家は広すぎるのだ。そうやって何回も朝を迎えて、わたしは惚けた。




時間がたつにつれだんだんとおさまっていく。兄はまずは方針を統一し、全体的な改革を始めた。この度の汚名を晴らす為、接客業などはできるだけ価格を安くした。食べ物を扱う企業にはとくにお客さまの健康第一という言葉をかかげさせた。毎日兄自ら会議や講習会に出て、どんどん再興を目指す。一部のスーパーやコンビニではうちのメーカーは扱ってもらえないらしく、まず目指すはそれをゼロにする事とし、いちから歩き始める事に決めたのだった。

一度失った信用は、取り戻すのに時間は要することは昔から決まっている。兄はそれを重々承知の上でどすどすと歩いてけもの道を人道らしくしようとしている。猛々しい草は兄に逆らうが、兄の体重にいつか負けるのだ。わたしは願っている。獣は人間になるべく努力するが、なれない。だけどけもの道は、いつかヒトの体重に押し進められる。けもの道の時は途中の草で足をすったりしてケガを負うが、少なくとも人道では転ばぬ限りそこまで無意識のケガはない。でも安心は禁物である。

わたしは兄を心底尊敬し、敬礼でもしたい気持ちで毎日を過ごしていて、それはもう今までドウデモよくなかった空の色や月の色がドウデモよくなってしまったというやさぐれた気持ちになっていた時より、今度は遥かに穏やかな大きな気持ちで、わたしは空の色も月の色もドウデモよくなり、ただ兄の帰りを待っている。わたしの敬うべき兄は、未だ食べ物をちゃんと食べられない障害に悩まされているらしく(勿論、本人はけろりとした何でも無い態度をとっているらしいが)、わたしとしてはそれをどうにか克服するお手伝いがしたいと思っている。まずは兄を休ませてあげたい。



ウサギのぬいぐるみの首には十字架のネックレスがかかっている。大切なモノをふたつ重ねて、さらに大切にしようと思ったのだ。