A sweet sigh bites an ear




藤崎あいる













綺麗な空は好きだ。

ここのところ、シンヤはずっと学校を休んでわたしの傍らについてくれている。シンヤなりに、なにか予感でもあるのだろうか。例えば、わたしがココから抜け出してしまわないか、だとか。シンヤと一緒にいる生活はわたしにとってとても楽しいものだった。シンヤとはぴたりと一致するように話があったし、一緒にいて惹かれてくる気持ちもあった。シンヤは決してわたしにおかしな真似はせず、夜眠る時もわたしとは離れた所で眠った。

シンヤと一緒に行った遊園地。あれは簡単に言葉に言い表せなくて、あらかじめ用意された単語を使うなら『楽しい』になるんだけど、それに装飾したいのは『今まで生きてきた中で最高に』というような。手を繋いで昼間に歩いた遊園地は、夜になると色とりどりの光に埋め尽くされていて、また印象が違っていた。わたしはそれに見とれながら、喋らずに歩いた。シンヤが途中振り返って、それもまた今まで見た事のない色の光に包まれたシンヤで、少しだけ見とれた。それからわたしたちはメリーゴーランドに乗って、そしてあのアパートに帰った。まるで夢のようだ、と思った。

歴史博物館にも行った。シンヤはわたしと来る前にも何度も来ているらしい。シンヤはここの内容にとても興味を持って、何冊も本を読んだと笑いながら話していた。なるほどシンヤの知識は広く、その博物館に入って写真や史料などを見ながらわかりやすく説明してくれた。その話から、シンヤの頭の良さがうかがえるようで、わたしはあらためてシンヤを尊敬した。何も持たずにいきなり転がり込んだ、昔の恋人とはいえ何もかも忘れている女を、身体を求めずとも泊めてくれるようなシンヤがわたしは好きだった。


できるなら、わたしはここで暮らしたいとココロに願っていた。だけどそれはどうやら無理な願いであるようで、わたしはここを早くも立ち去らないといけない。兄が雇った探偵と言うのが、どれほどの者かはわたしは知らないが、わたしの過去の経歴など調べらてここがわかってしまったらしい。今日シンヤがコンビニまで出掛けている時に、電話が鳴った。ぷるるるるぷるるるる。わたしは胸騒ぎを覚えた。勘がよくあたるから、嫌だったけれど、もし外れていたらの事を思って電話に出た。しまった、とわたしは思った。

その電話は、胸騒ぎの通り、やはり、兄からだった。

「真緒、戻ってこい。お前が自分で戻ってくるなら手荒な真似はいっさいしない。だから、戻ってこい」

兄はそう一心に言った。それがひしひしと伝わった。だけど一生懸命にわたしは抵抗した。受話器を持つ手にじわりと汗が滲むのがわかった。

「嫌。お兄さまのもとへ戻るのは嫌よ。どうかわたしをお兄さまのココロから消してしまって。もともとわたしはいなかったのだから」
「どう忘れろと言うんだ。お前は俺の女だ。戻ってこい」
「わたしはお兄さまの妹でしょう!?どうして、どうしてわたしをそんな目で見たのよ!」

わたしは兄が叔父だと言う事はあえて知らない振りをした。わたしを逃がしてくれたのが、大谷さんであることがばれてしまう事をわたしは恐れたのだ。わたしの目は泳いでいるが、当然電話を通しているので兄には気付かれはしないだろう。ただ、わたしのコエが、うわずっていないかだけが心配。

「わたしはお兄さまを男のヒトとして愛する事はできないわ」

はっきりとそう言っておきたかった。この言葉には別の意味もこめた。男のヒトとして愛する事はできないけれど、わたしは兄として、貴方をとても愛していました、と。兄として、わたしを養ってくれた事を、とても感謝しています、と。

「どうしてそんなこと。ちゃんとグループもまた立ち上がったではないか」

わたしの気持ちは全く届かない事がこの言葉でわかった。諦めたくなかったが、わたしは諦めなければならない。兄のココロはわたしなんかでは癒されない。もう、かちかちになってしまっている。だけどわたしは戻るわけには行かない。

「お兄さまの事をわたしは尊敬しています。どうか、お元気で」

わたしはガチリと静かに電話を切った。手ががくがくと震えているのには自分でも驚いた。兄はもう、取り返しのつかない所まで行ってしまっている。兄はもう兄ではない。まして、叔父でもない。兄はただの男になっているのだ。暗い過去を持っているせいであろうか。兄は寂しいヒトなのだ。大事にしすぎて、お互いの体温も知らぬまま世界をわけられた前の恋人。大事に大事に抱いていたのに、自分の手からはなれてしまったわたし。されど同情も出来ない。わたしはわたしのシアワセを考えなければならないから。

手荒な真似、というのがどういうものなのかわたしには想像がつかないが、わたしはどこかへ行かなければ行けない。もっともっと遠くへ。わたしひとりなら、荷物は少なく、簡単だ。

シンヤはわたしを止めた。ドアの前に立ちはだかって。行ってはいけないと言った。わたしはそれを振払うようにドアの取っ手を掴もうとすると、シンヤの大きな手に肩を捕まれ、無理矢理ベッドの上に座らされた。

「行っちゃいけない。もし君が行くのなら、俺は2回も同じ間違いを犯す事になる」

その一言で、わたしの頭の中にまた様々な映像が写し出された。