白銀に彩られた幻想の羽




上松 弘庸




 砂漠に雪が降った。
 誰も名前を知らないような、砂漠しかない国に雪が降った。
 もちろんこの国に雪が降った事なんて今までただの一度だってなかったし、人々は雪が降るなんて思いつきもしなかった。雪というものが一体どんなものであるか、知らない人さえ多かったに違いない。空から舞い降りてくる白い幻想が雪だという事を、しっかり認識できた人が果たしてどのくらいいただろう。


 この国には、王さまがいた。
 王さまは、いつも王さまだった。それは、太陽が東から上って西へ沈むのと同じくらい、当然の事だった。本当の事を言うと、その事が王さまには退屈でならなかった。王さまは時々、自分がもし王さまでなかったらどうなっていただろうという事を想像したりした。きっと、生きていく為に、日々の仕事に追われなければならないだろう。しかし、王さまは仕事をする必要はない。王さまが王さまである為にやるべき事は、自分が王さまだと認識する事くらいのものだった。
「陛下、大変です!」
 大臣が玉座に駆け寄った。
「失礼しました。閣下、大変です!」
 王さまは、もちろん陛下でも閣下でもどちらでもよかった。ただ、大臣は細かい事にうるさいのだ。
「外をご覧下さい、閣下」
 大臣の慌てぶりは物凄かった。まるで天変地異でも起きたかのようだった。
「うむ。この書類に署名をしたら、そうするとしよう」
 ところで王さまが手にしている書類の膨大な事といったら、筆舌に尽くし難い量だった。王宮に入りきらない書類が、列を成して順番待ちをしていた。あまりに退屈なので、うるさく喚きたてる書類が後を絶たなかった為に、警備を任されている護衛隊は、ほとほと手を焼いていたくらいだった。
「ところで大臣、私は一体誰だ?」
「はい。貴方様はこの国の王であらせられます」
「では、この国の王である私は誰だ?」
「はい。この国の王である貴方様は、この国の絶対であらせられます」
「そうか」
「はい。左様で御座います」
「それで、その絶対というのはどうあるべきなのだ?」
「閣下、絶対というのはどうあるべきか、という問いの答えはありえません。絶対が存在し、次にその事により規則が作られるのです」
「そんなものか」
「はい。左様で御座います」


 この国には、木こりもいた。
 木こりは、いつも木を切る為に、砂漠をさ迷い歩いていた。砂漠には、全く、完全に木がなかった。辛うじて仙人掌くらいは生えていたが、木こりには不必要な障害物でしかなかった。木こりは、しかし自分が木こりである以上、ここが砂漠だろうが樹海だろうが、木を切る事に自分の存在理由があると考えていた。木を切る事をやめてしまえば、たちまち自分という概念が消え去ってしまう。それはとても恐ろしい事だった。木こりに判っている事は、自分が木こりである事と、木こりは木を切る事だけだった。虚ろな目が映し出した白い幻想は、果たして木ではなかった。降り続ける雪の中、木こりはなおも歩き続けた。


 この国には、錬金術師もいた。
 錬金術師は、朝早くから夜遅くまで錬金術をかけ続けなければならなかった。何故なら、今ではこの国に金は溢れかえっており、金の売値がとてつもなく下がってしまっているからだった。錬金術師は、当然ながら、金を作り、それを売って生計を立てている。金の価格が高かった頃は気が向いた時に錬金術を使って金を生成するだけで良かった。しかし、金を売るに従って、つまり町に金が出回るに従って、金の価値は下がっていった。金の価値が下がると、錬金術師はもっと多くの金を生成しなくてはならなくなり、今では以前のような豪勢な生活ができないどころか、食べていくので精一杯の毎日が続いていた。彼は錬金術に磨きをかけ、更なる金を作り続けなければならなかった。朝から晩まで錬金術を続ける彼に、外の雪の事に気が付く余裕さえなかった。少しでも多くの金を生成しなければ、明日の食べ物さえ買えなくなるかもしれないのだ。


 この国には、魔法使いもいた。
 魔法使い、というよりは、魔道師や魔術師の類なのかもしれない。彼は、随分年を取っていた。実際にどの程度年を取っているのかは分からない。ただ、実際の年よりも、随分と年老いて見えるその外見は、一言で言うと疲れ切っていた。
 彼は、魔法で何でも思いのままにできるだけの力を持っていた。彼は若かりし頃、自分の魔法でみんなが幸せに暮らせる世界を作ろうとした。この国の人間全ての望みを叶えるのは大変だったが、幸いな事に、彼は大変努力家だった。小市民を国王にしたり、力自慢の者を木こりにしたり、金の亡者に錬金術を与えたりした。それらが彼らの望みだったから。みんなが幸せに暮らせる楽園を思い描いて、彼は寝る間も惜しんで幾日も魔法をかけ続けた。幾日も魔法をかけ続けた結果、遂にみんなが望む国を作り出す事に成功した。しかし、彼は幸せを与える事はできなかった。不思議な事に、自分の夢が叶えられた者の多くが、現状に不満を漏らしていたし、満足している少数の者も、徐々に不満が募ってきていた。彼は、本当に善良な魔法使いだった。寝る間も惜しんで人々の不満を和らげ、新たな望みを叶える為に魔法をかけ続けた。働く事がなくなり、何もする事がないと嘆く者には、一日かけても終わらない位の膨大な仕事を与えたし、挫折しかけている者には強靭な精神力を与えたりした。また、更なる力を望む者には、可能な限り力を強力にし続けた。
 彼は、毎日無理に魔法をかけ続けていた為、既に魔力が無くなりかけていた。魔法使いにとって、魔力とは生きるエネルギーそのものであり、魔力がなくなると、己の生命活動も停止してしまうのだった。最後に、彼は思った。今の自分にできる事は何だろうか。この国の人間を幸せにする為に、今の自分にできる最善の方法はなんだろうか。今まで自分がしていた事は、本当は全く無駄な事だったのかもしれない。人々を幸せな気持ちにさせる為には、ほんの些細な切欠を与える事だけでいいのではないだろうか。そう、例えばこの砂漠の大地に雪を降らすような……。
 白銀に彩られた幻想の羽を手にし、彼は自身最後の魔法をかけた。鮮やかな魔法だった。今までで最高の出来である魔法を、満面の笑みで見守りながら魔法使いは息絶えた。


 白銀の粒が収束し、膨れ上がった可能性は、やがて光と共に破裂した。波長が短い為に光は可視光ではなかったが、恐らく多くの人間が、その見えない幻想をはっきりと認識した事だろう。


 砂漠に雪が降った。
 誰も名前を知らないような、砂漠しかない国に雪が降った。
もちろんこの国に雪が降った事なんて今までただの一度だってなかったし、人々は雪が降るなんて思いつきもしなかった。雪というものが一体どんなものであるか、知らない人さえ多かったに違いない。空から舞い降りてくる白い幻想が雪だという事を、しっかり認識できた人が果たしてどのくらいいただろう。
 雪は、なおも降り続いた。打ちひしがれ、疲れ果てた荒野に染み入り、一時の潤いを与えた。相変わらず太陽は燦々と輝いていたが、しかし、透き通る空気の喜びが波となって、力強く大地に降り注いだ。大地は、しっかりと力強くそれを受け止め続けた。