暗送秋波


(2)

桂野 ラクダ









私は自分の浮気の話をした。
なにも気持ちが入っていたわけではなかった。彼を本気で怒らせたいわけではなかった。ただ、電気の話の後で自然な返事なだけだった。話し始めて、私は近頃になってこのことに堰をかけてなかったことに気がついた。話し始めた時は、もう遅かった。
でも話し始めてしまうと、それは自然なことのように思えた。電気を浪費することだって、男を浪費することだって、まったく同じだ、と私は思った。


勢いにまかせて、私はしゃべり続けた。
私は意識的に、セックスの話を中心にした。浮気をした日を一日づつ思いだし、そしてその日にしたセックスについて、ひとつづつ話をした。私たちは一つとして、同じ場所では会わなかった。大抵ラヴホテルだった(安い部屋もあったし、奇妙な部屋なこともあった)が、遊園地へ行ったこともあったし、買い物に行ったこともあった。彼の家へも一度だけだが、行った。そしてかならず、セックスをした。だから、それぞれのセックスを違った印象で覚えていた。
そうして、私はセックスについて喋った。順を追って数えていくと、私たちが会った回数は延べ12回だった。セックスをした回数も、12回だった。私はそれをすべて思い出すことができた。話もらすことなんてない、と思った。
そうやって一つ一つ思い出していくと、私の浮気はとても美しかったものになっていった。話しているとどんどんエスカレートしていくのがわかった。私はそれをとどめなかった。つまらないことは言わないように気をつけて、どれだけ私の浮気が楽しかったかを、浮気相手が魅力があったかを強調した。言葉で、自分の快感を伝えるのは、とてもやりにくかった。実際私はセックスについての言葉をほとんど喋ったことがない。小説とエロビデオに使われる単語を、私ははじめて口にしなければならなかった。でもそうやって快感を伝えることで、本当に私がその浮気を楽しんでいたように思わせた。決して嘘はついていなかった。それらのセックスのひとつひとつには、間違いなく快感があった。

彼は私の話を黙って聞いていた。でも今までと決定的に違っていたのは、彼が相づちをうたなかったことだった。こうやって一方的に話をしたことなんて一度もなかった。彼に向かって話をしているというよりも、彼の前でセックスをしているようなものだった。彼のことは意識していても、無視していたのだから。
だからはじめは彼は、間違いなくとまどっていた。話し始める私に対して、なにを言えば良いか、わからなかった。彼を驚かせて喋らせなくさせるくらい、私にだってできる。
でも4回目、5回目の浮気について喋っていくうちに、彼が意図的に黙っていることが私にわかった。一方的に喋らせているほど、彼はプライドのない人間ではない。
つまり、後になって反撃が来る。
そのことに気がついた。私はだんだん怖くなった。
こうなったら、あとは戦いだった。もうこっちの浮気を正当化しないといけない。こちらの浮気がいかに楽しくて、満足したものであったかを伝えないといけない。だから私は、勢いをどんどん増していった。数を数えるように、浮気した順に、追いかけていった。


12回目。最後の浮気は、私と浮気相手の彼が最後に会った時でもあった。
はじめに浮気をした時は、楽しくて、知られたらまずいとすら思わなかった。そういうことを考えている余裕はまったくないくらい、目の前の物事に緊張していたのだと思う。
数回会っていくと、これはこれで成り立っていける、と私は思っていた。実際、私には恋人の時間のほかに、私自身の時間もあった。その時間を使えばいいだけの話だった。週に一度睡眠時間を減らし、電話をとらなくするだけのことだ。それならば生活に、なにも影響はしない。
でも、この頃にはそのことにも疑いが入っていた。数を追うごとに、楽しくなくなってきているのが私にわかった。一回のセックスは、一回の嘘をつく価値がないのかもしれない、と思うようになってきていた。
そういえば。
そうやって、物事を比較することは、目の前の、彼に教わったことだった。彼がなんでも比較をするから、私はまねてしまった。
それは間違いなく、彼に教わったことだった。



私は話を止めた。
止まってしまってどうしよう、と私は思った。ここから先、私には、もう彼に対して言う言葉はなにもなかった。後は、彼に言われるがままでしかない。
私はそれに耐えられるのか、わからなかった。すごく怖かった。
「それで終わり?」
と彼は言った。「うん」と私は応えた。彼は優しいひとだ、と私は思った。すぐに言葉を喋ってくれた。
「それでけっきょく、君はどうしたい?おれと別れたい?」
「うううん」と私は首を振って応えた。
「じゃいいさ」と彼は言った。「つうか、おれは傷ついたけどな」
「え?」
と私は言った。
彼はなにも言わない。
「それで終わり?」私は言った。
「そうだよ」彼は言った。
「怒ったりしないの?」
「次は君のばんだよ」
意味がわからなかった。「え?」
「次は君がいやな思いをする順番」
「どうして?」
「だって、今、君恥ずかしいだろう?」
そこまで言われて、ようやく私もわかった。
「うん」と私は言った。
「あとは君がそれを思い知る番だよ。それで終わりだ」
だんだん私は腹がたってきた。
「なによそれ。それって――それじゃあ」
「なに?」
「私のほうがつらいよ。絶対」
「大丈夫、君なら耐えられるよ。絶対」
「ちょっと待ってよ!なにそれ!」
「僕じゃ無理だけどね」
「もう……なんでまた」
「なに?」
「もうなんでもない」
私は言った。

車はそろそろ、高速を降りるところだった。
彼はなんでもないように車線を変更した。