メイキング(前編)



潮なつみ





 「ゆいちゃんの好きな人はだれ?」
 と、聞かれることがあります。私は、そういう時には、決まって竜くんの名前を答えるようにしています。
 竜くんは、キンキの堂本剛くんにちょっとにていて、クラスの男子の中で一番かっこいいです。それに、とてもおもしろくて、いつもみんなを笑わせています。勉強は、あんまり好きじゃないといっているけれど、テストではいつも八十点以上取っているし、スポーツも得意で足がとてもはやいのです。だから、私は竜くんが好です。けれど、女子のほとんどが、同じように竜くんのことを好きです。ただ、それだけなのです。
 少女マンガとかを読んでいると、女の子はみんな好きな人がいて、告白しようかどうかドキドキして迷ったり、けんかをして「好き」と言いにくくなったり、好きな人がほかの女の子と仲良くしているときずついたりしています。だけど、最終回ではちゃんと「好き」と言えて、両想いだったことがわかって、ハッピーエンドになります。
 私も、竜くんが好きなので、告白をしようかと思うこともあります。けれど、告白をして、もしも竜くんも私のことを好きだったことが分かったら、その後はどうすればいいのか分かりません。ハッピーエンドは、本当は物語の終わりではないのに、どうしてみんなそれから後を教えてくれないのだろうと思います。
 そりゃあ、私にだって、少しは想像できます。いっしょに学校から帰ったり、放課後にお家にあそびに行ったりするだろうと思います。両想いだから、キスとかもすると思います。だけど、キスには何の意味があるのかもよく分りません。外国では、キスはただのあいさつらしいです。両想いになったからといって、あいさつを外国式にするのも、おかしい話です。たぶん、本当はキスにはもっと何か意味があるのだと思います。それか、キスはあいさつなのだから、そのあとに始まるものがあるにちがいないと思います。だけど、だれもそのことを教えてくれないし、気になるけれど、聞いちゃいけないような気がします。

 冬休みがおわってすぐのことです。五時間目に、先生から話があるからといって、四年の女子だけが、視聴覚室に集められました。おねえちゃんから聞いていたので、そういうときに何の話をするかは、知っていました。もうすぐ私たちに初潮が来ることとか、ナプキンは何のために使うのかとか、そういう話でした。だいたいは分かっていたことだったけれど、体がどういう仕組みで毎月血を流すのか、それがどうして子供を産めることと関係があるのかまでは知らなかったので、少し勉強になりました。
 生理というのは、体の中で赤ちゃんのために作られたベッドが、使われないと古くなるから血として出てくるのだそうです。赤ちゃんは、男の人の体で作られる精子と、女の人の体で作られる卵子が合体して、ひとつの命になるということも分かりました。男の人の体のことも、どこで精子が作られているのかを説明していました。人間の体は、とてもふしぎです。ただ、ここでも分からなかったことがありました。それは、どうしたら子供ができるのかということです。どうしたら精子と卵子が合体するのか、いろいろ考えてみたけれど、ぜんぜん分かりません。違う人間の体の中にあるものどうしが、どこでどうやって出会うんだろう。
 ひょっとして、キスをすると口から合体するのかなぁと思ったけれど、そうすると外人はあいさつするだけで子供ができてしまうことになるのだから、大変です。それに、男の人の精子は、おちんちんから出てくるらしいので、ぜったい、そこにヒミツがあると思うのだけれど、なにしろ私は本物のおちんちんを見たことがないし(お父さん以外の人の)、それ以上は、想像だけではとても分かりませんでした。
 とにかく、先生が『初潮が来た時から、女の子から大人の女性になるんですよ』と言っていたのが、心に残りました。私はまだたった十歳だし、生理もまだまだ来そうにないと思うのだけれど、大人になる日は意外と近いのかもしれないなあと思いました。とっても不思議です。

 先生の話が終わって、教室に帰るとちゅうで、まみちゃんとトイレに行きました。視聴覚室の近くのトイレは、教室の近くのトイレとちがって、うす暗いし、いつも人が少なくて、こわいのです。「ゆうれいが出る」とうわさになったことがあるくらいしずかで、とても冷たい感じがするので、たまに行くと、きもだめしみたいでおもしろいです。
 そっとトイレに入り込むと、ひとつの個室のドアがしまっていました、先に人が一人入っていたみたいです。こんな怖いトイレに一人で来る人がいるなんて、とてもびっくりしました。
「だれだろうね?」
「おばけかもよ」
 まみちゃんと二人でこそこそはなしていると、トイレの中からいろいろな音がしました。テープをはがすような音とか、トイレの中にある小さいごみばこをあけたりしめたりする音です。私はピンときて、まみちゃんに小さい声で言いました。
「今トイレ入ってる人、生理だね」
 ついさっき、先生から使い方を教わってきたばっかりのことなので、なんだかおかしくなりました。そういえば、あの小さいごみばこは、おぶつ入れと言うそうです。「女子トイレにはこういうのがあるでしょう? これは、使ったナプキンを捨てるためのごみばこです。女性のマナーとして、きちんと紙でつつんでここに入れましょう」と言ってました。あのごみばこはナプキンを捨てるためのものということは、生理が来ない男子のトイレには、置いてないのかなあと思いました。あのごみばこがないトイレなんて、想像できません。
 まみちゃんとこそこそ話をしているうちに、トイレに入っていた人が水を流して出てきました。その人の顔を見て、とてもびっくりしました。六年生のビタ子さんでした。ビタ子さんは、この学校の有名人なのです。
 ビタ子さんは、こそこそ話をしていた私とまみちゃんをギロリとにらみましたが、何もしないで急いでトイレを出て行きました。こわかったです。
「あのビタ子さんにも、ちゃんと生理が来るんだねー」
「そう言えば、胸も結構あるよね。秋の運動会のとき、ブラジャーの線がせなかに見えてたんだよ」
「ほんと? うわぁ、あのビタ子さんも、女なんだね」
「大人の女だよー」
 ビタ子さんのうしろ姿が完全に見えなくなってから、私たちはこそこそとそんなことを話しました。ビタ子さんに聞かれていたら、何をされるか分からないので、本当に小さい声で話しました。

 ビタ子さんは、そう言えば、本当はなんていう名前なのか分かりません。今年の四月に六年二組に転校してきた人です。顔が平べったくて、とても背の大きい人です。その上、なぜかいつも怒っていて、ブツブツ文句を言っているので、転校してすぐに有名人になりました。
 変わっている人なので、人からよくからかわれます。からかわれるたびに、ビタ子さんは顔をまっかにして、ビタビタビタビタという変な足音をたてて、からかった人のほうに向かって走って行くのです。そして、からかった人が逃げる間もないいきおいで、ビッターンという大きな音を立てて、その人の背中をパーでたたきます。そんなふうにからかうのはだいたい男子なので(女子はこそこそとうわさ話をするだけです)、私はたたかれたことがありませんが、ビタ子さんにたたかれると、しばらく背中に赤い手の形がついてしまうことは、この学校の誰もが知っていることなのです。
 ビタ子さんのあだ名は、あの変な足音を意味しているのか、それともパーでたたく時の大きな音を意味しているのかは、分かりません。とにかく、私たちはあの人のことをビタ子さんと呼んで、ひそかにおそれているのです。
 だから、そんなビタ子さんにもちゃんと生理が来ているということは、かなりびっくりしました。でも、よく考えてみたら、ビタ子さんはあんなに背も大きいし、力も強いのだから、もう体は大人でも当然なのかもしれません。なんだか、すごいなぁとしか思えません。大人になるってどういうことなのか、まだ私には分からないみたいです。

 ある朝、学校に行くと中で、竜くんとバッタリ会ってしまいました。
「おはよう、竜くん」
 私が声をかけると、竜くんは「あ、長谷川」とびっくりしたようなかおでこっちを見て、それから小さな声で「おっす」と言いました。
 前から思っていたけれど、竜くんはクラスの女子の中で、私だけを名字で呼び捨てにするのです。他の女子のことは、みんなあだ名で呼びます。なにしろ、竜くんはあだ名をつける名人なのです。クラスの子のあだ名は、男子も女子もほとんど竜くんがつけたものです。白と黒の服ばかり着ているからパンダとか、山本だからジョージとか、おとうさんがとこやさんだからとこやだとか、あと理由はわからないけれど、ピーマンとかポッチとかグリーンとかワシントンとか、いろいろあります。いろいろと、よく思いうかぶなあと思います。
 そんな竜くんが、あだ名をつけないのは、竜くん自身と私だけなのです。だから、竜くんは男子からは「竜」と呼ばれるし、女子からは「竜くん」と呼ばれます。私は女子には「ゆいちゃん」と呼ばれるけれど、男子からは「長谷川」とか「長谷川さん」とか呼ばれてしまうので、少しさみしいです。
 どうして竜くんは私にあだ名をつけてくれないんだろう、と考えたことがありました。いろいろ考えて、竜くんが私のことをとてもきらいか、ひょっとしたら好きかのどっちかだと思いました。だけど、あだ名をつけたくないほどきらいだったら、きっと今日だって、あいさつもしてくれないだろうと思います。どっちにしても、ほかの女子とは違うと思われているような感じがするので、少しだけ特別あつかいされていると思うと、うれしいです。
 竜くんとあいさつをした後、少しだけいっしょに歩きました。別に何も話をしませんでした。ドキドキしてしまって、ことばが出てこなかったというのもあるけれど、こんなふうに二人で歩いてしまって、しかも仲良くおしゃべりなんてしたら、みんなから「あのふたりはラブラブだー」とか、うわさされるから、こまります。それに、竜くんは女子にモテモテなのです。あとで何て言われるか分かりません。女はこわいのです。
 竜くんも、何もしゃべらないで、キョロキョロとまわりを気にしながら、ずっと近くを歩いています。竜くんも、私と同じようにドキドキしているのかもしれません。そうだったら、とてもうれしいなあ、と思ったちょうどそのときです。竜くんが後ろを振り返って、大きな声で言いました。
「あ、ビタ子だ!」
 その竜くんの顔は、とてもうれしそうでした。てれかくしなのかもしれません。だけど、竜くんのうれしそうな顔を見たら、私は何も言えなくなってしまいました。
「ビタ子って呼ぶな!」
 そう言いながら、ビタ子さんはビタビタビタビタと変な足音を立てて、竜くんを追いかけてきます。竜くんは、小さな声で「長谷川、あぶねえぞ」と私に言うと、じまんのはやい足で、走りながら逃げていきました。
「ビ・タ・子! ビ・タ・子!」
 竜くんは時々ビタ子さんをはやしたてながら、走っていきます。そういえば、ビタ子さんのことを「ビタ子」と呼び始めたのも、竜くんだったかもしれないと思いました。あだ名をつける名人なのだから、ビタ子というへんな名前をつけるくらい、竜くんにはかんたんなはずなのです。
 ビタ子さんは、まだビタビタ走りながら、真っ赤な顔で竜くんを追いかけています。
 竜くんは、あんなに大きなビタ子さんにも追いつけないくらい、とてもはやく走って逃げていきます。とても楽しそうにわらっています。
 私は、男の子っていつまでたっても子供だなあ、と思いました。私だって、まだ生理もきていない子供なのだけれど、それはさしおいて。



(つづく)