紛れもない真実の中で、狂ったように笑いながら


上松 弘庸


 長い沈黙があった。彼は何も話さなかったし、私も話をする必要を認めなかった。沈黙が蓄積されるにつれ、彼はその重さに耐えられなくなって押しつぶされていくように思えてならなかったが、私は彼がどうなろうと構いはしなかった。彼を此処に連れてくる、それが私に与えられた役目だった。
「そろそろ」、と彼は言った。「そろそろ帰ろうと思うんだが」
「残念ながらそれは出来ません」私はうんざりしながら、この理解力の乏しい男を見遣った。「貴方は先程、自分の意志で此処に来られた。我々はその意思を尊重して此処に貴方をお連れした。従ってその意思を尊重する故に我々は貴方を帰す事は出来ない。成る程、確かに帰ろうとする貴方の意思も尊重して然るべきかもしれない。しかし、我々としては此処への来る事を希望した貴方の意思と、此処からの帰る事を希望している貴方の意思、どちらを尊重するべきか解りかねるのです。我々が解るのは、ただ貴方が自分の意志で此処に来られたという点のみで、それ以上のことは解りかねます。此処に来たいと申し出た時の貴方の気持ちと、今現在帰りたいという貴方の気持ち、どちらが大きいのかさえ我々には解らないのですから。それに、実はそれだって大した問題ではないのです。肝心なのは、我々が貴方を強制的に此処に収容しているのではなく、貴方の意思で此処に貴方をお連れしたという点なのです。従って私は貴方を帰す訳にはいかないのです」
今まで私は何度この台詞を繰り返しただろうか。此処に人間を連れて来る度に毎回のように私は同じ事を話さなければならない。私が毎回こういった煩わしさを抱える原因の一つに、彼らの勘違いがある。彼らは自分の意思で此処へ来る事ができ、そして同じように自分の意志で此処から帰れると思っているのだ。いや、或いはそれも可能かもしれない。だが如何せん私にはどうする事もできない。それにどうこうするつもりも無い。ただ、彼らはその事だけが解っていない。彼らにその事を解らせる事がどんなに不可能かは、今まで嫌と言う程経験してきたが、それでもなお諦めずにこういう話をしてやる事ができる所を見ると、私もなかなか忍耐強いようだ。加えて仕事熱心であるとも言えよう。彼らが私の親身な対応に感謝をする事など今まで一度たりともなかった。ただ、私はそれでも構わないと思う。彼らの意思を尊重し、彼らを此処に連れてくるのが私の役目なのだ。
「しかし」彼は続けた。「来る時には私は帰れるつもりでいたのだし、私がそう思っている事は貴方も良くご存知だった筈だ。それを今になって急に、そう、全くもって急だ。私は今この瞬間まで貴方からよもやこういう事を言われるとは想像だにしていなかったのだがね。全く心外だよ」
やれやれ。私は徐々に彼の顔が憎らしくさえ思えてきた。私は事前に彼の意思など知りえなかったし、そして知ろうともしなかった。
「まるで貴方は駄々をこねている子供のようですよ」
彼は少々むっとした様子だった。何故彼がむっとするのだろう?
「いい加減にして頂きたいね、私はこれでも我慢しているのだよ。私がこうして辛抱強く貴方の話の矛盾について説明しているというのに、まるで聞く耳を持っていないようですね。いいですか、私は帰りたいんです。それも今すぐ、今すぐ帰りたいんですよ!」
何故彼は自分の主張の正当性ばかり主張したがるのだろう、ふと私はそう思った。いや、彼だけじゃない。今まで私が此処に連れて来た人間は、殆ど全員がそうだった。今思い出してみると、彼らの主張には一貫して自分の意志を相手に―つまり私に―理解させようと、そればかりに集中していた。そのくせ私の意見には耳を貸さず、自分の要求が通らない事が理解に苦しむ事のように頭を悩ます。彼らは自分の主張の矛盾点に気が付いていないんだろうか?否、私は彼ら自身が自己の矛盾点に気が付いていて、それでもなお、自分の要求を受け入れて貰う事が当然の権利である、とそう感じているようだ。その上、これは非常に私には理解に苦しむのだが、彼らは自分が要求しながらも同時に、はて、自分の要求がどうやら通らないようだぞ、と、そう確信しているようなのだ。彼らは一方では自分の要求に正当性が欠けている事に失望しながらも、同時に他方で自分の意見は正しく、私の意見に非があると頑なに信じているのだ。であるから、彼らの失望は2通りの道を辿って彼らを絶望に追いやるのだ。自然な流れに逆らってまで矛盾しているのは自分ではないと、そう主張する彼らは、苦痛や不快を味わっている時にある種の快楽を感じているのではないかと私は思う。全く勝ち目がない議論ほどむきになる人間が往々にしているように、彼らもどうやら自分の主張に正当性が欠けている程むきになって自分は正しいと思い込むのだろう。「どうやら貴方はとても帰りたいようだ。自分の家に帰り、長年そうしているように、お風呂に入った後、晩酌をして眠りたい、と。ただ、それは私にとっても、そして貴方にとっても、もうどうでもいい事なのですよ。ここでは時間は無意味なんです。貴方は此処に来たい、此処から帰りたい、この2つの考えを抱いているわけです。いいですか、両方とも貴方の紛れもない考えなのです」私はもう彼を納得させるのは諦めていた。「未来も過去も今なのです」
「そうすると」彼はとても驚いている様子だった。「そうするとここは本当に終わりがないのか?」
「そうです。ですから最初にそう説明したじゃありませんか」
「すると、私は何処に居るんだ」
「何処にも居ません。逆に、何処にも居る、とも言えます」
「つまり、私は本当に時間に流されなくなった、と」
「最初から申している通りです」
「それでは、私は何処に行くのだ。何処から来て、何処に行くのだ」
「いいですか、時間と言う概念を頭から捨てて下さい。時間というのは流れるものではないのです。私達は常に今現在に存在しているのですし、今が過去になったり、未来が今になったりはしないのです。ですから先程の問いには、答え様がありません。何処からも来ていませんし、何処へも行きません」
血の海から巨大な針が一本、また一本と突出してきた。一回針が突き出る度に声にもならない声が辺りに充満する。針に突き刺さりながら悲鳴や呻き声を出す人間は、まだ時間と言う概念が頭から抜けていない人間だ。何れ血の海から突き出た針の数は血の海に居る人間の数と等しくなるのだし、そうであれば全く恐怖も苦痛もない。針の上で人間はゆっくりと血を流し、死ぬ。流れ出た血は集まり、血の海の中へ。針の数が丁度此処に居る人間の数と等しくなれば、逆に針は血の池の遥か底に沈む。水圧で針から外れた人間は、血の海の栄養で再び生き返る。全員が生き返ると、元に戻る。永い長い時間を掛けて1週しているようで、時間は全く流れていない。過去は未来であり、未来は過去である。

「貴方は何処からも来ていないし、何処へも行けない」
私は来た道へ踵を返した。まだまだ時間の迷子を捜してやらなければならない。彼らを一人でも多くこの楽園へ連れてくるのが私の使命である。私はノアの箱舟に乗り、血の海へ沈み行く彼の顔が幸福に満ち溢れているのを最大の満足をもって見遣った。


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