ラビット・バーク


<11>

神田 良輔









17.



 私が言うことがいつか本当になるとしたら――しかしそれがどうやっても望むままではないとわかっていながら――それはものすごくつらいことになるのではないかと思う。
 想像は果てがない。私が思ったままのものは、想像で作り得る。
 誰でも知っているように、それはウソだ。
 私には、思うがままに物事をつくることができない。私は一人だし、なにに対しても無力だ。たとえ、私が一人になったとしても。

 私は神田良輔にあてて手紙を書いた。

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 もう私のことは知っているでしょう?

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 こう書いて、送りつけた。

 私の手から放れた手紙は、もう私の意識下ではない。
 その情報、データ、背景は、もう私自身の属性とはなんの関わりもない。数十バイトの、ただの情報にすぎない。


 私はもう一度、手紙を立ち上げた。

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 どうして出てこない?
 なにがやりたい?……クソ野郎!
 あんたは理想を持たない、ただの子供だ。目の前のものに飛びついて、飽きたら捨てるだけだ。
 そうやって捨てられたものたちに……今すぐではないかもしれない。
 それは当分先、あなたが本当に弱くなり、なにもかもを失った後かもしれない。
 でも必ず、あなたに捨てられたモノたちはあなたに関わってくるだろう。
 それは必ず、あなたに復讐する。……覚えてろよ!畜生!
 このままですむと思うなよ。

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 すぐに送りつける。
 そしてまたすぐに、私は手紙を書き始める。

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 おねがい、顔をだして。
 今私たちはひどく最低の状態。こんなのはそれぞれが、みんなが、かつて体験したことのないほど悪い状況に陥ってる。

 ――おそらく、あなたには力があるはず。
 私たちに関わることも出来るし、それに多大な影響を与えることもできるはず。
 ねえ、そうなんでしょう?
 あなたは私たちを焦れさせようとしてるんでしょう?
 それなら、予想通りの効果を上げることができたんですよ。もう私たちは骨身にしみて、あなたの考えるようになっているんですよ。
 ひとつあなたが見当違いだったのは――私たちが弱すぎたこと。
 ううん、違う――私たちを支えるものが、あまりに弱かった。
 こういう言い方があなたが望む言い方なんでしょう?ねえ、もう私はこんなふうに、あなたが望む通りの言い方も、使えるようになったんですよ?

 もう十分でしょ?

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 時計を見る。手紙を書き始めてから数分しかたっていない。
 こういう数分の間に、私たちがかけるのはこれくらいのことでしかない。ベストを尽くしている、と私は自分に言い聞かせる。
 涙が出ているような気がする。
 もう座って手紙を書くことができない自分を感じる。
 声を出して泣くことが出来たら――私か、小川か、清恵さんか――あの古沼という女でもいい、誰か一人でも、誰かの前で、泣くことを許すことができたら、私たちはこうはならなかったはずなのに。
 みんなが、どこかにたどり着くことができたはずなのに。


 責任は誰にある?
 それは――?
 ――いや、その前に。
 責任って、なに?


 泣くことに集中しようとしてみる。
 ばかばかしい努力なように、一瞬、思う。私はひどく気が狂っているんじゃないかとも思う。あまりにも普通じゃないことをしている気分で――悪魔に祈る魔女の気持ちとシンクロしているように思う。歴史的に存在する、感覚だ、と確認できる。
 いや、でも私はそうしないといけない、とても真剣だし、敬虔な気持ちなのだ。誰に私が責められる?

 ――そこまで考えたところで、私は振り返る。誰が私を責める?


 再び、私は手紙を書こうと試みる。記憶したとおりの神田宛のアドレスが私の目の前に現れる。

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 あなたはひょっとして死んでいるのでしょうか?

 古沼という女は、それを示唆することを言っていたような気がします。あなたはすでに、プログラムになった。肉体を失った、と。
 今思い出しました。
 それはとても自然な流れだと思います。正しいように、物事が流れている、歯車はきっちり、予定通りに回っている、というように。
 でもとても、私の気分は滅入ります。
 ――ほぼ確信してきました。あなたはもう、死んでいる、と。
 裏付けがないただの空想じゃない。裏付けがある。
 古沼が示唆しているのだ。


 死者。
 死者になって初めて、私はあなたに話しかけることを試したのですね。


 あなたはもう、この世界の人間ではない。
 それでも、この世界に存在しないとは、言えない。これは背反しないはず。
 だから、あなたは、この世界にふれているかもしれない。包括してるかもしれない、細微に入り込んでいるかもしれない――生きている私に、それはわからないこと。
 ああ、でも――私には想像できる。そこがどれだけ、あなたにとって適しているかを。
 私はいつ、あなたの知っていることを、知ることができるでしょう?


 あなたのことをもっと知りたい。
 どうしているの?どうやってそっちへ行ったの?
 ――どうやって、を想像することはとても容易ですね。
 綺麗な水着の女の子を見て、脱毛処理の姿を想像するのが容易なのと同じだ。

 ちょっと想像します。
 不器用な私たちは、そうやって生活しているのです。

 あなたはその骸を誰の目にもさらしていないと思います。
 おそらく、言葉をもって、古沼という女に別れを伝えた。そして、彼女の前に姿を現さない、とあなたは決断した。
 あなたはね――意志の強さが、あまりにも人間離れしているのです。
 会ったことすらないですが、私にはわかります。
 誰も――どれほどの異能力者でも――不可能なほど意志とは強いものだと、確信していますね。
 ――それはつまり、あなたの意志が、ついに実存した瞬間ですね。
 その場に物理学者がいたら、人間初の実存を計測できたんじゃないかしら?

 そんなものが、存在し続けることができるわけなど、ない。


 想像できます。あなたの身体がこの世に存在していた、最後の瞬間が。
 あなたは薬を使った。これは間違いないでしょ?
 あなたは、眠るように死にたい、とそう思ったはず。眠りへの興味は、死への羨望と同じですからね。
 そう、むしろ、あまりに眠ることにこだわったため、死が近くにあった、と言っても良い。
 だからあなたは薬を使った。
 あまりに演出的な理由で――

 最後の瞬間の場面。
 一人でいたことは言うまでもないですね。
 狭いスペース、光がまったく入らないような――出来うるなら、光の存在さえ、許したくはなかったはず。
 とにかく、符号させる趣味の持ち主――優れた人間はすべてそうだと、私知ってますから――だから、そういう設定に凝ったのは間違いない。
 車の中。
 箱――600*1000*800程度の、小さな箱。
 それか液体の中――海。
 バスタブ。これくらいなら、液体の種類も選べますよね。アルコール?ポカリスウェット?塩分濃度の高いお湯?
 ……ああ、どれだろう?この中から選択して想像することが、私にはできない。
 どれを選んだんだろう?本当に――


 もうしばらく、私はこのクイズを楽しむことにします。
 あなたの死ぬ瞬間は、どうだったのか?


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 しばらくの間、思いついた想像にふける。
 イメージは少しの間、展開し――動き続ける。
 動きがある間、私は苦痛をなにも感じない。自分のとりまく状況を意識しない。
 とても快適――

 動きが止まる瞬間に、私は大きな声で叫んだ。
 反響が鼓膜を大きくふるわせるように。できるだけ長い間、息が続く限りに。
 なるべく多くの人に、私の声が聞こえるように。









(<バーキング・オン,ラビット>に続く)