バーキング・オン,ラビット






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神田 良輔












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 ガイドは深々とアタマを下げた。上げた顔には綺麗な笑顔が浮かんでいる。はきはきとした声でしゃべり出した。
「ようこそカンダ様、私はガイドです。まずあなたにはこの世界の成り立ちを知って頂きます」
 僕も曖昧にアタマを下げる。
「この世界は、おそらくカンダ様が知らないような仕組みで動いているものと思います。はじめは驚くことが多いでしょう。しかし、結局は満足して頂けるでしょう。この世界は新しい、画期的なシステムに覆われた世界なのです。一度暮らせば、二度と元の原始的な世界には戻りたくなくなるに違いありません。
 ここは、カンダ様が基本的に自由である世界です。たとえば、私の話が面倒だと思ったら、もう聞く必要さえありません。いかがですか?」
「あんたとヤりたい」
「申し訳ありません」
 彼女は冷静な口調で言った。笑顔が変わらない。僕の言葉を予想していたかのようだ。
「セックスならば、娼館があります。そちらならば、カンダ様はご自由に楽しむことができますので、おすすめできます。いかがですか?」
「行くよ」
「はい。了解いたしました」






 娼婦はアタマにウサギの耳をつけていた。シャワーを浴びる時もペニスを口に含む時も、それを外すことはない。腕の長さほどある耳はフェラチオの際に僕の胸にぱたぱたとあたって乾いた音を立てた。それがなんとも気になって、集中できなかった。
 でも基本的に僕は彼女に満足した。女性を買うのはあまり慣れていない。相手に殺意を思うか、本気で恋しくなってしまうかのどちらかを感じてしまう。どちらにしたって満足できないのだ。
 でも彼女はステキだった。僕が挿入するととても静かな表情を浮かべた。橋の向こうから祭囃子が聞こえてくるのを聞いているような、そんな静かな表情だ。僕はそんな彼女の顔を見つめ、激しく動き、射精した。
「やっぱり女だよ」
僕は荒い息の合間からつぶやく。
「え?なんて言ったの」
「なんでもねえよ」僕は言う。






 彼女に金を払おうとしたが、なにももっていないことに気がついた。財布自体持っていないのだ。
「しまった。財布を持っていない」
 僕が言うと、彼女は笑って言った。「まだこの世界の仕組みを聞いていなかったの?」
 僕が頷くと、彼女はたんたんと教えてくれた。
「お金は必要ありません。だって、どうして私があなたにお金をもらわなければいけないの?セックスは、二人が同時に行うものでしょう?あなたが一方的に私にしてくれることじゃないでしょう?だから、原則的にはあなたが恩義に思う必要はないの」
 話はよくわからなかったが、ともかく金を払わなくて良いのは助かった。気になったので、更に尋ねてみる。
「ひょっとしてこの世界は金が必要ではないの?」
「そうよ。ここは『ラビットランド』。完全な秩序と自由を持った街」






 僕は住居を選び、ここに住むことにした。もちろん、住居にも費用はかからなかった。細かい注文もしなかったが、特に文句のない住居だった。どこに行くにも適度に便が良く、清潔で、そして静かだ。文句はない。
 住人として認められ、細かい規則を教わった。日常会話のレッスンを週に12時間受ける必要がある以外は、特にすることもない。このレッスンが修了するまでは、働く必要もないしすることもない。好きなことをしていられる、ということだ。むろん文句もない。
 一つだけ、守らなければいけないことがある、とガイドは言った。 「なんですか?」僕は訊いた。
「外の世界の言葉で言えば、人間関係を形成することが禁じられています。友達になる、恋人になる。そういうことはこの世界では認められません」
 まあそんな、おかしなところもあるだろう、と僕は納得した。






 レッスンは特に他愛もないものだった。会話場に行くと様々な話し手がいる。そこに行き、適当な相手と、適当に話をしていれば良いだけだった。
 はじめにあたった話し手は、僕と同じ外からの移住者だった。
「どうです?ここの暮らしは?」彼は僕に訊ねた。
「まだ来たばかりですから、なんとも言えません。でも相当変わっていますね」
 彼は笑った。見事な笑い方だ。心から楽しそうに見える。
「膨大な自由は慣れないともてあましてしまいます」彼は言った。「なるべく早く仕事につくことですな。あなたのいう『変わってる』の正体も掴めることでしょう」






 次にあたったのは、自らを詩人と名乗った。
「この世界では詩人というのが認められているのですか?」
「ええ、もちろんです」彼は言った。「言語というのは常に新しいものを求められているのです。私も、微力ながら、その発展に協力しています」
「そういうのは、この街のルール違反にならないのですか?」
「もちろん。どうしてですか?」
「いえ……外の世界の言葉とか言って、なんとなく憚られたりするのかと思ってました。」
「詩人は、常に、新しい言葉を模索し、作り続けて行かなければいけません。ルール違反の言葉というのは、存在しませんよ」
「たとえば――友達とかも?」
友達。もちろん使うことはできますよ。ただ言葉は強く訴えかけるものがあるとか、また逆に無視されるに等しいものであるか、なんらかの意味を持っていなければなりません。その言葉になんの意味がありますか?」
「そうですね――愛着があり好感を抱く相手であるという事ができる」
「――よくわからないのですが、『愛着をもてる行為』というのはわかります。『愛着をもてる行為をする人』というのもね。でも、そんな行為なんて、誰でも出来るものではありませんか?その人が持つ固有性とは、いったいなんでしょう?」
「個性というのは存在しませんか?」
「個性に愛着をもつ事が、果たしてできますか?」
 僕にはわからなかった。「あなたの言うとおりかもしれません」






 娼館には足げく通った。特にすることもないからだ。
 初めに相手になってくれた娼婦をいつも選んだ。彼女は十分に綺麗だったし、良いしゃべり相手にもなってくれた。
「よく見ると君はとても綺麗な身体をしているね」
「あら、ありがとう」彼女は言った。「あなたはとても綺麗な声をしているわ。初めに会ったときからわかった」
「ありがとう」
「でも私の身体も朽ちてしまうわ。今だけよ、綺麗なのも」
「でも、今の君の身体はとても綺麗」
「そうね、今の私の身体は綺麗」
「ねえ、どうしてそんな耳をつけているの?」
「私がこの耳をつけていたいからよ」
「そういうのじゃなくてさ――」
「実は私は小さい頃ウサギを飼っていたんだけど、不注意で死なせてしまったの。その晩私の夢に現れて、『僕のことを忘れないなら、耳をつけていておくれ』と彼が言ったわ。だからこの耳をつけているの」
「そうそう、そういうの」
 僕らは二人で笑い合った。






 一週間ほどすると、ガイドがやってきた。
「この街に順応されますと、職につくことになります」彼女は言った。
「様々な職がありますが、それらは皆強制ではありません。ただ、名前を名乗れるようになります。一つの職に一つの名前。これがこの世界のルールです」
「あなたの名前は?」
女子高生です」






(続く)