傷だらけの左頬の理由




イシザワマサキ






 僕の左の頬は、ひどく変色している。それは真っ赤と言っていいほどの色合いで、ひどく腫れあがり、傷だらけで、時には表面から血が流れていることもある。こんな顔をしているものだから、初対面の人はたいてい僕に嫌悪感を感じる。
 この傷のことについて述べるには、多少の勇気がいる。酷くみっともない思い出を掘り返して、それを明け透けにして見せるのは、なるべく避けてきた。この傷は僕の憎しみの証だから。それでもいつかは述べなくてはならないとは感じていた。まだ時が早いのかもしれないし、もう手遅れなのかもしれない。どちらにしろ、僕は述べる準備を、ここに来て、急に整えようとしている。

 高校一年の夏は、出会いと共にやってきて、別れと共に去っていった。僕はひと夏という期間を使って、ひどく松本を愛したし、そして裏切られた。その裏切りについて述べるには、時間が短すぎるので、別の機会にでも述べるとしよう。
 ともかく、僕はひどい裏切りを抱えて、二学期を迎えた。

 夏休みが終わると、体育祭が待っていた。
 歴史ばかり古い学校なものだから、時代錯誤な競技がいまだに残されている。例えば、学校沿いにある小さな河の中を走り抜ける「渡河レース」だとか、二メートルはあろうかという大きな丸太で出来た櫓を乗り越える「大障害走」だとか、そういった類のものだ。
 その中でもひときわ時代錯誤なのが、男子だけで行われる競技「俵運び」だ。
 この「俵運び」のルールは至極簡単なもので、十数メートルの距離を開けた両チームの中央地点に、数十個の俵を置く。俵といっても、米が入っているわけではない。この競技に使われる俵には、砂がぎっしりと詰められている。これを、多く自分の陣地に持ち帰ったチームが、勝ちとなる。
 これだけ述べてしまうと、なんだか他愛のない競技のように思えるかもしれない。しかし、この競技では百と数十年の月日の間に、競技の趣旨とはまったく違う催しが行われるようになった。それが、両軍入り乱れての激しい「殴り合い」だった。
 先輩から聞かされていた話では、毎年この競技になると、俵を運ぶなんてのはそっちのけで、誰彼構わずに殴りあいになる、ということだった。なぜそのようなことが公然と行われるようになったのかは定かではない。ただ、一年に一度のこの機会に、皆が若さという醜いものを曝け出して、大いに暴れるということが伝統になっていた。
 
 僕はどちらかというと温厚なほうで、ろくに喧嘩もしたこともない。それに誰かを殴るのには、僕には理由が無さすぎる。だから、いざ「俵運び」の開始時間になり、集合がかかったのを合図に、上半身を裸にする息巻いた集団からは、少し浮いていたのかもしれない。
 皆、気合を入れるために、叫んでいた。中には、殴ったときの衝撃を増す目的で、掌に石を仕舞いこんでいるやつもいる。こんな野蛮な競技、早く終わればいい。僕はそう思いながら、裸の集団の中にいた。
 周囲には、この男臭い競技に、並々ならぬ興味を持つ女子達が群れていた。そして、俵の置かれるあたりには、体育教師たちが、羽目をはずしすぎた者を食い止めるために、待機していた。
 異様に空気は緊迫していた。公然と人を殴ることができるのだ。皆、すでに正気ではなくなっている。
 今にもはちきれそうな暴力的な匂いの中、競技開始のベルが鳴った。
 怒号とともに、自陣から男達が走り出す。時を同じくして、対面の陣地からも、怒号が聞こえてきた。ものの数秒の間に、それこそあっという間に、殴り合いが始まった。
 それは無残な光景だった。本能をむき出しにして、拳を振り回す。そんな光景が幾十も重なっている。殴り、殴られ、叫び声がこだまする。大勢に組み敷かれる者は、すでに口から血を流している。血と、汗と、暴力の匂いでグラウンドは埋め尽くされた。
 僕はその集団とは離れたところで、黙々と俵を運び続けていた。中央ラインは激しい殴り合いが続いているので、なるべく端のほうの俵を、運ぶようにしていた。
 ひとつ、またひとつ、砂がぎっしりと詰まった、重い俵を運んだ。上手い具合に、僕に殴りかかってくる男はいなかった。競技時間も終わりに近づき、僕は残されていた最後の俵を運ぼうとしていた。
 タイミングが、悪かったのだ。ちょうど自陣の方を向いてしまっていた。敵に背中を見せた僕は、すきだらけの獲物だった。
 気づいたときには、空が紫色をしていた。そして、真上にあるはずのその紫色の空は、なぜか僕の右隣に浮かんでいた。一瞬にして方向感覚を失った僕は、どうにか立ち上がろうとするけれども、足がもつれて、立つことができない。紫の空はゆっくりと青に戻っていったけれども、僕は完全に意識を朦朧とさせていた。
 ああ、やられたのだな、と思った時には、左頬に激しい痛みが襲ってきていた。これは、骨をやられたかもしれない。そう思えるほどに激しく刺さるような痛みだった。
 
 昼休みになり、皆が昼食を取るために教室に戻っていく。僕は皆からは一足遅れて、濡れたタオルを頬に当てながら、ゆっくりと教室に入り、そのまま壁にもたれかかるようにして、座り込んだ。
 後から聞いた話では、僕は敵の飛び膝を顔面に食らったらしい。まるで無防備だった僕は、それをもろに浴びて、もんどりうって倒れたということだった。
 左頬の痛みが脳髄まで響いてきて、とても昼食を食べれそうになかった。何人かの同級生が、大丈夫か、と聞いてきたけれども、僕にはそれに返事をする気力も無かった。
 じんじんと響く痛みに耐えながら、僕は目を瞑った。すると、聞こえてきた。あの声が、松本の声が。
 はっと目を開けると、松本は仲間の女子三人と、楽しそうに昼食を食べていた。僕に背を向けて、愉快そうな声を、女子達と交わしている。まるで僕のことなど、気にとめていないようだった。
 僕は、痛みに耐えながら、松本を見ていた。少し前まで、彼氏だった男がこうやって苦しんでいるんだ。多少の心配くらい、してもいいのではないか。せめて、一言くらい、声をかけてたら。そう思いながら、松本を見ていた。
 僕の視線に気づいたのは、松本ではなく、仲間の女子のほうだった。僕のほうを指差し、三人でなにやら言い合っている。そして、そのうちの一人が、松本の肩を叩き、僕のほうを指差した。
 僕は、これで気づいてもらえるだろう、激しい痛みに苦しんでいる僕の姿を見てもらえるだろう、そう思い込んでいた。
 しかし、松本は、僕のほうを見ようとしなかった。ほんの、一瞥さえもくれなかった。振り返ることを、拒否するかのように、頑なに前を向いたままだった。
 不思議に思ったのだろう、仲間の女子は、しきりに僕を指さす。しかし、松本は振り向こうとしない。
 
 僕は、そのとき思った。捨てられたのだ、と。彼女の心の中には、僕の存在は、微塵もないのだ、と。
 
 やがて松本は話題を変えたのだろう、僕のことなどおかまいなしに、笑い声を上げていた。その笑い声が聞こえるたびに、この頬の痛みよりも、もっと激しいものが、胸の中に刻み付けられていった。憎しみという名の、傷が、僕の心を抉り取っていた。

 結局のところ、僕の左頬の骨は陥没していた。そして、まったくといっていいほど、左頬の感覚を失っていた。おそらく神経が粉々になったのだろう、手を触れても、何も感じなくなっていた。
 陥没した骨は、ゆっくりと時間をかけて治っていったけれども、頬の感触だけは、なかなか元に戻らなかった。神経が少しずつ繋がっていき、そのたびに電気のような痺れが起こるのを感じた。痛みが消え、痺れが起こるたびに、僕は左頬をさすってみた。
 僕は頬の痺れを感じるたびに、あのときの松本が僕にくれた、冷酷な無関心と、嘲るような笑い声を思い出した。それは延々と続く地獄のようにも思えた。頬に触れるたびに、僕は恥辱にまみれ、激しい憎しみを感じながら、生きてきた。

 十年ほどの時間をかけて、僕の頬はようやく普通の感覚に戻った。それと共に、憎しみは薄れていき、今では化石のような塊になって、僕の心の中にひっそりと佇んでいる。心にできた深い溝のような傷は、ずっと血肉を持って僕の中にあったけれども、それもすっかり塞がってしまった。
 それでも、僕は左頬をいまだに触る。時として、爪をたてて引き裂くこともある。何度も皮がむけて、血が噴出し、肉は汚く染まった。
 書くことには、源となる強い力が必要だ。僕の場合、それは憎しみ以外の何者でもない。どうしても何も書くことができないとき、僕は化石となった憎しみを羽化させるために、左頬に傷をつける。そうすると、あのときの憎しみが、色鮮やかに浮かび上がってくる。
 僕の頬の傷は、あのときの憎しみの残骸だ。それを思い出すことによって、僕は力を得て、またこうやって書くことができるようになる。
 
 いつか、僕の傷が癒えて、憎しみの化石も葬り捨てることができたのなら、どれほど平穏になるかとも思う。でも、今の僕には力が必要だ。だから僕は左頬を傷つける。赤い血が僕に、強い力を与えてくれる。そうして僕は、書き続ける。