悲しみの海の底の底


上松 弘庸


 悲しみの海の底の底。藻屑に絡まった人の形をした物。残骸。瓦礫の山に横たわる奴隷の上で、喘ぐ女。よく見ると、奴隷は血と骨がない。女は、海の中で溺れていた。藻屑に絡まっていない人のような物が浮遊する。人の形をした物はまだある。それらはたくさんある。たくさんあるが、互いにぶつかり合う事はない。不思議と、それらの動きには列を成して飛ぶ鳥を彷彿とさせられる。女はまだ喘いでいる。水中の魚達にとって、時折、気泡が微かに吐き出される他には、特に興味を引く事はないようだ。素知らぬ顔して泳いでいる鰯の大群はよく見たら溺れていた。何て事はない。女と一緒だ。魚如きがこんな樹海の奥深くに生息できる筈がないのだ。或いは湖でもあれば話は別かもしれない。湖の中には沢山の蛇がいた。よくよく考えると、それは湖と呼ぶには余りにも蛇が多かった。蛇の群れが湖の役割を果たしているだけのようにも思えた。鰯は蛇に食べられながら、塩味の人間の事を想った。塩味の人間は人気があるので、早めに店に並ばないとすぐ売切れてしまう。店の常連はいつも星が1回転する前位から店に並んでいた。壮絶なる戦いが始まっていた。食べなければ、あいつよりも早く食べていなければ。争う間に星は自身の回転の速度を少しずつ速めていた。誰にも気が付かないように、ゆっくりゆっくり速めていた。女がまた大きな声をあげた。あまりの速度に、振り落とされてしまいそうなのだろう。
 邦子の表層意識には、夫はいなかった。夫が何を求めているか分からなかったからだ。何も求めていないようで、その実、形の無い幾つかの概念が混ざり合って消滅するもの―例えば裏切りや信頼のような相反するもの―を同時に渇望しているようでもある。

 「隣のピアノの音が煩くて、ピストルで頭を打ち抜きたくなる」
 夫はそういうと、私に暴行を加える為に私の夢の中に入り込んできた。懸命に回転の速度を速めて夫の入る隙を与えないようにしてみたが無駄だった。塩味の人間を放さないようにぐるぐると絡めていたが、夫が奪っていったようだった。きっと不満だったのだろう。でも、その不満の原因は分からなかった。
 私は、私は一体何なのだろう。こうして生きながらえている私という概念は、一体本当にこの私の意識の中にあるのだろうか。私の表層世界の中に、仮に私という概念が存在しないというのなら、私は私の意識の外にいることになる。では私という概念は一体何処に存在しうるのだろうか。確かに私という存在は、あの人の意識の中に確固たる位置づけとしてあの人に存在を許されているらしい。私の意識内では、残念ながら私の存在は許されていなかった。
 「幸福な世界では、時間という枠に括られた存在自体が虚無になり、我々の概念は無に消え去る。それでは果たして私達に幸福というものが訪れる事自体不可能なのだろうか?」
 私は夫にされるがままになっていた。私の全ては、完全に私という枠の外に位置していた。悲しみが襲ってきた。私は、私という悪霊の外に世界を見出せなかった。未だに私は苦しんでいる。夫も同じである。この苦しみから私達を断ち切る方法は一つしかない。即ち、私の意識を閉じる事である。

 世界が悲鳴を上げた。空が割れ、意識が崩れた。それでもなお、最後まで私は夫を愛していたように思う。夫が私を愛していたように、私も私の全てを夫に捧げ、夫の愛に応えていたように思う。私の裏切りに対する夫の限りない嘆きが、もう既に消え去ってしまった私の世界をぎゅうぎゅうと締め付けた。今では私も満ち足りている。幸福とは、きっとそういうものなのだろう。


→ 目次へ