線香花火




潮なつみ






 生まれ育った故郷の空気は、この肺に吸い込むだけで其処のものと解るくらい、匂いも味も懐かしい。それはきっと、私が東京の空気に慣れきってしまっている所為なのだろう。
 近所の小さな公園。私たちは、一体ここで何度遊んだか解らない。小学生のときには、放課後が来るたびにここに集まったし、中学生になると、日が暮れてから女の子同士で恋の話をしたり、時々は男の子たちと会うのに、この場所が活用された。高校のときは、あまり来なかったかもしれないけれど、大人になってからは家から缶ビールを持ち寄って、夜風に当たりながら飲んだりもした。そんなことが一つの公園でまかなえるくらい小さい町で、私は生まれ育った。
「じゃあ、いよいよ結婚するんだ?」
「うん。たぶん来年の春にね」
「そっかあ、……おめでとう」
 路子は、手に持ったいくつかの線香花火の玉をくっつけて遊びながら、純粋に嬉しそうな顔をして、そう言った。私が結婚をするのが嬉しいのか、花火が綺麗だから嬉しいのか、暗いせいもあって、よく解らない。とにかくその邪気の無い笑顔ときたら、子供の頃と全く変わらない、と改めて気付く。

* * *

 私は、十歳にして、既に路子のことを幼なじみと呼んでいた。
 どこでそんな言葉を覚えたのかは忘れたけれど、たぶんどこかで見聞きして、私にとってその言葉に当てはまる存在はあの子しかいないと思った。
 幼い子供がそんな言葉を使うのは、きっと周囲の大人の目には滑稽に映ったに違いない。けれど、私が大人になった今も結局、彼女が幼なじみであるという事実に、変わりはない。私には、初めからそれが解っていただけなのだ。

 私たちの関係が成り立っているのは、幼稚園から中学校を卒業するまでずっと同じクラスだったという、確率的に考えるとかなり奇跡的なことや、たまたま家が近かったという簡単な偶然だけではない。彼女の両親は、私の両親よりもゆうに十歳は年上で、それでも、弟がいるとか、祖母と同居しているとか、そういう共通項もあった為か、両親同士もそれなりに交友があった。そんな背景があって、私は幼い頃から彼女と行動をともにすることが多かったように思う。
 同じピアノ教室に通ったし、同じ道場で剣道も習っていた。公文の教室にも一緒に行ったし、中学校に入ってからも同じ塾に通い始めた。そういえば、同じ時期に同じような初恋も迎えた。
 何もかもが一緒だった。
 一緒にさせられていた。周囲の大人に。

* * *

 「幸せになってよ」
 路子は、そう言って私の肩を優しく叩いた。それは、純粋な優しさが込められた、温かい手のひらだった。
「なりたいね、幸せに」
「そうだよ、私の分までね」
「何言ってるの。路子も早く幸せにならなきゃ」
 私は、彼女の温度を確かめるように、ゆるやかな微笑みを返した。

「もうだめだよ、私なんてさあ」
 彼女は、自嘲的に呟いて、また視線を線香花火に落とした。


 平凡に大学を卒業して就職し、かれこれ勤続五年。これまでの人生で大きな事件といえば、東京の大学に進学するためにこの町を出て一人で暮らし始めたことだけ。それ以外は可もなく不可もなく、遊びすぎず、真面目すぎず、莫迦みたいに平坦な毎日を暮らしてきたと思う。というのが、今の私。
 仕事は面白いわけでもないけれど、決して虚しさを感じたりすることもなく、それなりに上手くやってきた。学生時代から、いくつかの恋と失恋も経てきた。失恋というものは、何回してみても、ひどくつらいものだったけれど、それは自分にとって必然のような気がした。そして、二十四歳のときに友達の紹介で一人の男性と知り合い、何となく「この人かな」という予感がした。その予感を裏切ることなく、彼とは三年ほど付き合っているうちに、自然な流れで結婚が決まった。面白くも虚しくも無い仕事は、ひとまずここで寿退職。これが、恐らく私の人生において、二度目の転機になる。
 それが幸せなのかどうかという話になると、正直なところ、解らない。けれど、はっきり言えるのは、これは私にとっては、不幸せなことでは決してない、ということだ。たぶん、私が望んでいた通りの、想像の範囲を超えない幸せなのだ。

* * *

 路子が中学生のときに初めて付き合った男の子は、十三歳にしてバイクを乗り回し、煙草を常用し、髪を脱色したり、眉を剃ってみたり、隣の中学に殴りこみに行ってみたり、ということを、率先してやるような子だった。そうは言っても、彼だって普通の少年らしいところもあって、私などは路子といつも一緒にいるからという理由で、彼から恋の相談などを持ち掛けられたりしたこともあったので、彼が根っからの極悪人ではないことは知っていた。今になって思えば、ちょっとつっぱっていただけのやんちゃな中学生じゃないの、と擁護すらできるかもしれない。けれど、こんな片田舎の小さな町では、それを理解できる大人が居なかった。彼は、あの小さな中学で、手のつけようが無い不良と言われ、そしてその恋人である彼女も、それと同等の扱いを受けた。
 二人は同じ高校に進学したけれど、夏休みが始まる前には、ともに自主退学した。その頃、私は私で、普通の高校生らしくそれなりに一生懸命毎日を生きていて、だから当時の彼らに何があったのかは詳しく知らないけれど、程なくして彼らは恋人同士ではなくなった。その結果、彼女には、かつて貼られてきた不良のレッテルだけが残り、周囲からは、高校にもろくに行かないどうしようもない人間だと言われるようになってしまった。そうなってから、彼女の身体には異変が起こった。
 明らかに、拒食症だった。
 見る見る細くなっていった彼女の身体は、ほんの何ヶ月かで殆ど死の淵を彷徨うような状況にまでなってしまった。そして、周りの人の甚大な協力を得て命をつなぎ、五年ほどかけてなんとか通常の体重に戻るに至ったらしい。今となっては、健康そうに見える程度には回復したけれど、一番エネルギーを摂取できる時期に何も与えられなかった肌は、若い瑞々しさを取り戻すことがどうしてもできず、現在の彼女はひどく老けて見える。
 彼女が健康を取り戻していく間にも、たぶんいろいろなことがあったのだろうと思うけれど、私はその時既に、この町を出て行ってしまったので、よく解らない。時々実家に帰って、彼女と会ったり、町の人から噂を聞いたりすることで、二十歳を越えてもなお無気力な状態のままで、仕事もしない、滅多に外にも出ない、そういう生活を送り続けていることは窺い知れた。

 不謹慎なことだけれど。
 いたって平凡な人生を歩み始めた私の眼から見ると、彼女の人生はまるでそれだけで立派な自伝が書けるようなものに思えて、羨ましくさえあった。

 私などがまだ芸能人のことでキャーキャー騒いでいた頃に、彼女はちゃんと彼氏も出来ていて、男と身体の関係を結ぶこともとうに知っていたことに、劣等感を抱いていた。
 髪を染めたりする勇気も私には無かったし、周りの大人が何を言っても貫きたいようなスタイルを持っている彼女が、ひどく大人に見えた。
 私が大学受験のことで焦っているときに、そんなことからは解放されていて、遥か彼方の次元で生と死を見つめていることに、ドラマ性すら感じていた。
 考えてみると、子供の頃から彼女はやたらと自分の努力で手に入らないような色々なもの――例えば、親が歳をとってからの子だから可愛がられていることとか、親がそれなりの歳だったからなのだろうけれど、私の家よりも裕福な家庭で、欲しいものはすぐに買ってもらえることとか――を与えられているという不公平感を、幼いながらに常に抱いていたのかもしれない。
 だからこそ私は、私なりに彼女とは違う幸せを掴まえたいと、心のどこかで思い続けてきた。幼い頃からだ。結果的にそれは、絵に描いたような平凡な幸せ、に見えるかもしれない。そうなることは、本当は、あの時から感づいていた。彼女には手に入れることが出来ないもので、私になら手に入れられるものがあると知ったあの時、完全に私と彼女の人生は別れた。
 路子には、未だに秘密にしている出来事。
 それは、彼女が不良と言われる男の子と付き合うよりもずっと前、小学四年生の時のバレンタインデイのことだった。

* * *

 あの頃、路子には好きな男の子がいた。だのに、ちょうどバレンタインデイに、彼女はおたふくかぜで外出できなくなってしまったのだ。私はその日、学校帰りに彼女の家に連絡帳と給食のパンを届けた。彼女はそれと引き換えに、私に小さな包みを渡した。
「Kくんに、これ、渡してきてくれない?」
 私は快くそれを受け取った。もちろんそれは、この日のために彼女が用意しておいたチョコレートの包みだった。
 Kくんの家もまた、私たちの家からそれほど遠くないところにあって、よく一緒に遊んでいた。そうしているうちに、路子はKくんを好きになってしまったらしく、それを意識するようになってからはますます、私たちはKくんを交えて夕方までこの公園で遊んだりするようになっていた。Kくんの家に遊びに行くのも、慣れたものだった。だから、私は気軽に彼女の申し出を受け入れたのだ。
 Kくんは家にいて、私がチョコレートの包みを差し出すと、驚いたような顔をした。
「私じゃなくて、みちこちゃんからだよ。ほら、かぜひいて学校休んでたでしょ。だから、代わりに持ってきてあげただけ」
「そう、どうも」
 彼はぶっきらぼうに答えた。受け取るだけ受け取って、家の中に戻ってしまうのだろうと思っていたけれど、そうしなかった。
 私は、急にどうしたら良いか解らなくなった。よくよく考えてみると、いつもは路子が必ず一緒にいたから、放課後にKくんと二人きりで会うのは初めてだったのだ。私は急にそれを意識して、鼓動が高くなるのを感じた。場を持たせるために、私は思わずお節介な質問をしてしまった。
「あ、あの。Kってさ、みちこちゃんのことどう思ってるの? 好き?」
 すると、Kくんは言葉に詰まって紅い顔をした。私はそれを、Kくんが路子のことを好きだから照れているのだと解釈して、面白がった。
「あー、好きなんだ?」
「違うよ」
「うそだあ。じゃあ、わたしとみちこちゃんのどっちが好き?」
 今思えば、どうしてそういう訊き方をしてしまったのか、自分でもよく解らない。ひょっとしたら、私が無意識のうちに、常に自分と路子を比較している所為かもしれなかった。とにかく、何の気なしに、口をついてそんな質問が出てしまった。それに対し、Kくんは意を決したように答えたのだ。
「あんたのほうが好きだけど」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。Kくんは俯きながら、とても小さな声ではあるけれど、確実に、とんでもない答えを呟いたのだった。
「うそでしょ?」
 幼い私の語彙では、半笑いでそんなふうに切り返すことしかできなかった。今になって思えば、それは彼を傷つけるやり方でしかなかった。Kくんはそんな私を一瞥し、「もういいよ」と言いながら、家の中に戻っていってしまった。私は暫く途方に暮れた。
 その日を境に、Kくんは私たちと公園で遊んだりしなくなってしまった。
 路子は、自分があのチョコレートの包みの中に入れたメッセージカードが原因で気まずくなってしまったのだと言って、ひどく後悔していた。私は、本当はそれが理由ではないことを知っていたけれど、話さなかった。

 たぶん、優越感も抱いていた。
 ほんの少しだけ。


 私は、十歳にして、既に彼女のことを幼なじみと呼んでいた。
 幼い思春期の始まりに、私たちは色々な言葉を覚え、使いたがる。あの頃、私の周りでは「親友」という言葉を使いたがる子が、多かったと思う。「私たちって、親友だよね?」などと確認し合いながら、たぶん、人とのかけがえのないつながりを形成してゆくことを覚える段階だったのだと思う。だけど、私は彼女にその言葉を使わなかった。敢えて使わなかった。

 私と彼女は幼い時期の多くを一緒に過ごした。習い事も、遊びも、初恋も同じように迎えて過ごした。けれど、私は彼女にある意味では常に劣等感を持ち続け、大人になった時にはまったく違った未来を歩んでいくであろうことは、初めから感づいていた。きっと、将来私たちがお互いの人生において共有することになるのは、ただ幼い頃の時間だけだということを、知っていた。

 だから、幼なじみ。

* * *

 私が手に持っている線香花火は、決して大きな玉にはならず、彼女のものほど美しい炎の形を作り出しはしなかったけれど、とても長く続いた。花火を持つ手がやけどするのではないかと思うくらいの短さになるまで、花火は消えることが無かった。
 その間にも路子は、幾つもの線香花火に次々と火をつけ、二つも三つも玉をくっつけて、大きくする。大きくしすぎた玉は、その重さですぐに落ちてしまうけれど、派手で美しい炎の形を作り出す。

「本当におめでとう」
 そう言いながら、路子は片手で二本目の缶ビールを開けて、私に勧めた。それと同時に、また彼女の手かだぶら下がった大きな玉が、地面に落ちて光を失った。
「ありがとう」
 ビールと、おめでとうの言葉、両方に対して、私はお礼を言った。

 私たちの生き方は、たぶん、どちらも間違っているわけではないのだ。