メロンソーダとイチゴソーダの味ではなく色のちがい




吉川 トリコ






 イチゴのデラックスパフェはクリームのつのがぴゅんと輝いていて、おひめさまみたいだった。ティアラがきらきら、ドレスがひらひら、ガラスのハイヒール、ってそれはシンデレラか。
「ちょっち待ってちょっち待って」
 そのイチゴデラックスパフェとまちこのとりあわせが、もう絶妙にフォトジェニックで、おれはてっぺんのイチゴにいまにもフォークをつきさそうとしてるまちこを制止した。
「撮るよー」
 携帯をひらいて写真をとる。スプーンとフォークを両手に持ったまま、まちこはこちらにむかっておざなりな笑顔をむけた。うん、かわいい。満足。
「見せて」
 まちこが手を伸ばしておれの手から携帯をうばいとる。液晶に目を落として、まちこは、やだへんなかおー、といって笑った。まじでかわいい。
「あんまりかわいいから撮っちゃった」
 おれはにこにことしていう。まちこが携帯をおれに返しながら、しらけた顔をする。
「かわいい? あたしが? それともイチゴのパフェが?」
「両方」
 おれがいうと、まちこはうえー、きしょい、と顔をゆがめて舌をつきだした。うわー、まちこってかんぺきだな、なんでこんなかわいいんだろ。きしょいといわれようとなんだろうと、おれはこうなんだからどうにも止まらない。まちこは下唇をつきだして、ふうと息をする。そのたびにまちこの前髪がひらひらと宙返る。まちこのくせだ。それをみてるだけでおれはしあわせな気持ちになる。ああ、まちことやりてえなあ。
 ファミレスの中は光であふれかえっていた。店内には、テレビのワイドショーなんかで特集されるのが大得意な「破天荒な若者」や「無気力なプータロー」と思われるやつらがあちこちに存在している。「不景気の影を背負ったサラリーマン」や「不良主婦」と思われるのも。それで言ったらおれたちは「ただのバカップル」に見えるのかもしれない。そう考えると、なんだか変な気分になった。事実はもっと、退屈でつまらない。カテゴライズなんて無意味だ。誰もがわかりやすいドラマを持っているとは限らない。っていうか、おれはわかりやすくていいからまちことドラマを持ちてえよ。ここにはなんのドラマも存在してないんだからさ。
「ねえ、まちこぉつきあおうよ」
「やだ」
 たまらなくなって交際をもうしこんだおれに、まちこが即答する。
「せめて三秒、いや一秒でも考えてくれてもよくねえ?」
「いや、考えるのすらいや」
 そういって、まちこはぷいと横をむいた。ああ、ふくれた顔もかわいい。ここまで言われておきながら、それでもまちこにゾッコンラブなおれはあほなんだろうか。親にもねえちゃんにもツレにもいままでつきあった女の子たちにも、ことごとくあほ呼ばわりされてきたおれだけど、ほんとに正真正銘のあほなのかもしれないと自分で勘づいちゃうと、さすがにへこむ。それはへこむよ。
 まちこは、もうずっと長いことおれのマドンナだった。いや、マドンナなんて言葉ではかたづけられない。マドンナなんて言葉だけじゃ手ぬるい。天使で女神でヴィーナスでおぴめで妖精で魔女で太陽で海で月で花で頬をやさしくなぜる春風でアイドルで大スターでカリスマで……。
「ねえ、あたし帰りたいんだけど」
 まちこの一言で、おれはわれにかえる。ああ、またあっちにいっちゃってたみたいだ。まちこを目の前にすると、おれはついついあっちの世界にいってしまう。あんまりに焦がれて焦がれて、すきですきでだいすきで、目の前のまちこから逃げてしまいたくなる。あっちの世界でまちこはおれの恋人だ。永遠の恋人。おれは最近、おれがこんなにすきでたまらないのは、目の前のまちこなのかあっちの世界のまちこなのか、わからなくなっている。
「だめだめだめだめ、ぜったいだめ。まだまちこ、パフェ全部くってないじゃん。だめだめだめっ」
「もういらない」
 みると、まちこはパフェにほとんど手をつけていなかった。アイスクリームがどろどろに溶けて、虹色の光を放っている。
「あのねえ、それイチゴだよイチゴ。自分でわかっててイチゴにしたんだろ? イチゴに悪いとか思わねえの」
 キレた。気づいたら、そんなことをべらべらといっていた。ああ、こんなこといったらまちこは怒って帰ってしまう。はやくあやまらなくては、はやく。あせる気持ちとは裏腹に、謝罪の言葉は出てきそうになかった。
「なにそれ、イチゴがもったいないとかそういうこと言ってんの」
 まちこが首を傾げている。ああ、その傾げ方、絶妙な角度。こいつはもうにくいくらいに知りつくしているな。おれの心が、自分のどんなしぐさでふるえるかってことを! げっちゅー!
「ねえ、きいてんでしょ、こたえてよ」
 めずらしくまちこがしつこく食い下がるので、おれは自分のメロンソーダに目を落とした。この話はできればしたくないんだけどなあああ。
「お盆とかさ、とうちゃんが家にいると近所の喫茶店とか連れてってくんねえ? こんなファミレスとかさ、つまんないチェーンのとことかじゃなくて、地元の昔からやってるようなとこ」
「喫茶店? いつもパパとお茶を飲むのはホテルのティールームとかだからよくわかんない」
「……おれはいまにまちこが人生の壁にぶちあたってくれることを願わずにおれんよ」
「それは大丈夫、もう壁は目の前にあるから」
「なにそれ、越えられそうなの」
「まだわかんない」
「おれがその壁をぶちこわしてさしあげまっす! だからさ、イチゴ、食べなよ」
 あんまりおれがイチゴイチゴイチゴとうるさいからか、まちこはしかたなく、といったかんじでパフェにスプーンをさしこんだ。
「イチゴソーダとメロンソーダあるじゃん。あ、そうかホテルのティールームなんかにはないわな。オヤジが連れてってくれるような、純喫茶にはあるのよ、そういうステキな飲み物が」
「ステキっていうかチープでキッチュでしょ」
 きっ、キッチュ? キッスのことかしらん。やだまちこちゃんたら積極的なんだから。
 おれは動揺を隠すために一気にメロンソーダをのみほした。そして話を続ける。
 いつもねえちゃんとおれととうちゃんの三人だった。とうちゃんはおれたちになにを飲むかもきかないで自分はコーヒー、こいつらはメロンソーダとイチゴソーダ、とパンチパーマをあてた喫茶店のママさんに注文した。
 しばらくして銀盆に注文した飲み物を乗せてママさんがやってくる。ママさんのひたいの真ん中にはでっかいイボがあって、大仏みたいだった。ママさんのパンチパーマは絶対ねらってやってるとしか思えない。いつか、いつかきいてみようと思っていたのに、その喫茶店はおれが高校生のときにつぶれてしまった。
 近くにでっかいショッピングモールができて、テナントにスタバとドトールがはいり、それに追随するようにコメダ珈琲がやってきた。つぶれるのもむりはない。マスターとママは、いまは田舎で農作業をしながら暮らしてるそうだ。
 その喫茶店の跡地には、あやしげな健康食品の店ができた。たまに前をとおると、あほみたいな数の自転車が停まっていて、頬をばら色に染めたじいさんばあさんたちが、うれしそうに店の前にならんでいた。うちのかあちゃんまで一度、行ったことがあるらしく、タダで洗濯洗剤と台所のたわしもらっちゃった、とうれしそうにいっていた。それを聞いていたねえちゃんが、おかあさんそれ催眠商法とかそういうのじゃないの、いまに百万円する高級布団とか何十万もするクロレラとか買わされるんだから、もう行くのやめたほうがいいよ、とすかさずいった。その健康食品の店も、三ヶ月で消えてしまった。
 あとから聞いたところによると、やはりあやしい商売をしていたらしく、近所でこつこつ貯めた年金を根こそぎやられ、手元に残ったのは聞いたことがないようなメーカーの特別な機能なんてなにもついてない普通の掃除機だけ、なんて笑えない悲劇があちこちで起こったらしい。
 それからその場所には、なんのテナントもはいってない。もう何年ものあいだ、ぽっかりとあいている。ニッショーの色あせたポスターが貼ってあるだけ。地元の人たちはその場所をないものとして扱っていた。さわってはいけないもの、みてはいけないもののようなふんいきがあった。ちょっとした町のエアポケット。たしかに、あの前を通るとき、なんだかおれもぞっとする。いやああな気持ちになる。
 話がそれたな。そう、で、ママさんは運んできたものをなんの迷いもなくテーブルに置いていく。とうちゃんの前にはコーヒー(どうでもいいけどとうちゃんはコーヒーをたのむときにかならず「ホット」という。かあちゃんは「ブレンド」という。子供のころは、それがかっこいいことのように思えてわくわくしたものだけど、いまそれを聞くと、おれはかゆい。なんかかゆい。コーヒーは、コーヒーでいいじゃねえか)、ねえちゃんの前にはイチゴソーダ、残ったおれは当然メロンソーダ。
 おれはふしぎでふしぎでしかたなかった。なんでおれはメロンで、ねえちゃんがイチゴなんだろう。メロンソーダも悪くはないけど、イチゴソーダの色はなんかもうたまんない赤じゃないか。赤なんだけど、赤じゃない、透けてる赤っつーか、ピンクっぽかったりもして、暗いとこでみると血っぽかったりもして。おれはイチゴソーダがどうしても飲みたくて、いつだったか言った。おれもイチゴソーダがいい。
 そしたらとうちゃんもねえちゃんもママさんまでもがげらげら笑いはじめた。おまえイチゴソーダは女が飲むもんだぞ、男はメロンに決まってんだろほんとにあほだな。とうちゃんがいった。おれは、くやしいとかかなしいとかじゃなくて、ものすごく恥ずかしくなった。なんでおれ、イチゴソーダなんて飲みたいと思ったんだろう。ほんとにすごく恥ずかしかった。ものすごく後悔した。
 それ以来、イチゴショートだとかイチゴパフェだとか、イチゴの類は絶対食べないようにしてる。イチゴは女のものだっていうことにしてる。ほんとはイチゴ大好きだし、なんかばかげてるって思うけど、それでも。
「あきれた」
 まちこが目をくるくるとさせて、ほんとうにあきれたようにおれをみた。
 おれはかまわず笑っていった。
「これがいまだに越えられない俺の壁。第一の壁とでもいっとくか。第三十七の壁くらいまであるんだけどな、越えられない壁が」
 まちこがパフェをすくう手をとめて、グラスごとこちらに押しだした。
「メロンソーダとイチゴソーダって、おんなじ味だって知ってる?」
「はあっ?」
「着色料で赤やみどりにしてるだけで、味も匂いもかわんないんだよ。ほんとばかじゃないの、ばかすぎて頭痛くなる」
 食べかけのイチゴのパフェのグラスの中をのぞくと、どろどろと溶けた白いクリームのすきまからイチゴの赤がのぞいていた。おれにくれるつもりだろうか。まちこはやさしいなあ。おれはすこし、涙ぐんでしまった。
「つめたいの食べすぎて頭痛くなっちゃった。食べちゃってよね、責任とって」
「いや、それはいんだけど……いったいなんの責任なんでしょうか、おひめさま」
 まちこが眉をつりあげた。ああ、おれはまた余計なことを言っちゃったらしい。おれはまちこを怒らすことにかけては天才級だ。
「責任? あたしはコーヒーでいいっていったのに、あんたが、いやまちこはコーヒーってかんじじゃないなどう考えてもイチゴのパフェでしょ、イチゴのデラックスパフェで決まりでしょ、とかいって勝手に頼んだんでしょ?!」
 ああ、怒った顔もかわいい。おれってマゾなのかな。まちこに叱られるとうれしい。ああ、まちことやりてえやりてえな。
「まちこ、愛してるぜ」
 ぱしーん。
 みぎ……じゃないな、あれ、えっとこっちが右手で、こっちは反対だから、えっと左だ、左頬に痛みがはしった。
 なんてことだ、おれはまちこにビンタされたらしい。ほんとに本気の正真正銘の愛の告白をして女に殴られるような男にあんたを育てたおぼえはありませんっ、とかあちゃんが泣きながらわめく姿が浮かんできた。かあちゃん、泣くなよ。泣きたいのはおれのほうだ。
「まちこはいい女だよなあ」
 おれはためいきまじりにいった。おれを殴ったまちこの手は、もうテーブルの下におさめられている。
「壁なんていくつあってもいいよ。いくらでもいっしょに越えられるもんな。そらひとりで越えなきゃならんときもあるだろうけど、おれ、死ぬ気でまちこの壁をぶちこわしてやるよ」
「あんたいっぺん死んだら?」
「まちこが死ねというのなら」
「ごめん、言ってないから。あんたほんとに死にそうでこわい」
「じゃあいったいおれはどうすればいいんだ! まちこのためならなんだってできるのに」
「あたし、レズなの」
 心臓が止まった。比喩などではなく、まじに、おれの人生が終焉をむかえた瞬間だった。短い生涯を終えて、おれは愛する人の目の前で息絶えた。とうちゃんかあちゃんいままでありがとう、先立つ不幸をおゆるしください。ねえちゃん、中学生んときねえちゃんのパンツを盗んでインターネットのオークションで売ったのはおれです、ねえちゃんのパンツは写真つきでも(写真つきだから?)620円にしかなりませんでした。ゆるしてください。
「わかった」
 一瞬のうちにうまれかわってよみがえって20歳まで成長を遂げたおれはいった。
「おれ女になる! 女になるよ!」
 まちこは心底蔑んだような目でおれをみて、深いためいきをついた。
 ちょっと待てよ、まちこがレズだっていうんなら、ま、まさかまちこは処女?! おおお男をしらないぃぃぃ?! や、やべえ、鼻血でそう。できれば女になる前に、一度でいいからまちことやりてえ。ああでもまちこはレズだ。おれはいったいどうしたらいいんだ。
「やっぱいっぺん死んだら?」
 まちこはそういって立ちあがった。そうはいってもまちこ、おれはついさっきいっぺん死んだばかりだ。まちこはおれに背をむけて、店の外に歩いていく。
 いつもまちこはそうやっておれを残して去っていく。でも今日ばかりは思い通りにさせない。徒歩圏内に公共交通機関のないファミレスを調べつくしてここにきたんだからな。まちこはすぐにもどってきて、おれにすがるはずだ。おねがい、家まで乗せてって。おれは、べつにいいけど、ただじゃあ乗せられないな、とニヒルに笑う……。
「って、むかえがきてんじゃん!」
 駐車場に見慣れた車が停まっているのをみつけて、おれは叫んでいた。まちこの彼氏の車だ。……って待てよ、彼氏ってまちこはレズじゃなかったのかよ?! そうだ忘れてた、まちこはおれの知ってるかぎり6人の男とつきあっていて、誰とでもやる女だって評判なんだった。だってあっちの世界でまちこはおれの恋人でおれたちはプラトニックラバーズでつまりまちこは処女でおれたちは運命のふたりでおれは結婚するまでまちことはやりたくてもやらないと誓っていて……。
 まちこを乗せて、車は国道をすべっていった。目を落とすと、ほとんど液体になったアイスクリームに、イチゴがぷかぷか浮かんでいた。
 ああ、まちことやりてえなあ。