エピローグ




――登場人物――
僕 / 彼







 ふと、時計の秒針が動いていない事に気が付いた。訳も分からず、違和感だけが空間を支配していた。しかし、一瞬の後、秒針はまるで気付かれた事に慌てているように、せわしなくその長身を小刻みに回転させ始めた。と共に、止まっていた時間が流れ出した。
 まるでダムの決壊のようだった。次から次へ、時間の波が、秒針の動く間隔と共に世界を支配した。
 僕は泳げなかった。
 深く深く沈みながら、僕はふと気が付いた。この世界の矛盾さに。絶対的に信じていたものの儚さに。
 時空が僕を押し潰した。視界は反転した。僕は世界の何処にも存在していなかった。気が付いた時には、僕の世界観というものは、とっくに崩れ落ちていた。
 果たしてこの世に絶対というものが存在するだろうか。
 やがて僕は収束し、存在できる可能性は限りなくゼロになった。
 でも完全にゼロにはならなかった。だってこの世界にどんな事象であれ、絶対に存在しない世界なんてないんだから。それこそ絶対に。絶対的な規則が存在するとすれば、それは神に違いない。信頼をおける絶対的存在の必要性は、人々には必要だ。絶対的存在が他に見当たらなければ、僕らの存在は矛盾してくる。だからもし、神がいないとすれば…。
 体中に電撃が走った。

 僕は、誰かに描かれている。

 僕の存在する世界は、誰かの小世界のごく一部に過ぎないかもしれない。そうであれば、この矛盾は解決する。絶対的な事象がこの世界に存在しないのは当たり前だ。僕のいる世界は、その誰かが考えを巡らせただけで、絶対が絶対でなくなる。この世界で絶対的なものがあるとすれば、それはその誰かの想像できる概念の外にある事象だけだ。すると、その概念で構成されている僕の世界には絶対的な概念はない事になる。
 しかし、彼は気が付いている。自分もまた、誰かによって描かれている事を。
 そしてそれは、彼が描いている僕自身だという可能性は絶対にないと言い切れるだろうか?
 僕が彼の世界の秒針を止めてしまう事が出来ないと言い切れるだろうか?



(上松 弘庸)