fragment -2 人物 ・王女 ・護衛兵 ・侍女 ・大使 状況 [狭い部屋。奥に木造りの簡素な寝台がある。その前、パイプイスに寝巻き姿の王女が座り、その斜め後ろに侍女、斜め前に剣を携えた護衛兵が立っている。数歩離れて向き合う形で大使が膝をつき、頭を下げている。壁には場違いに荘厳な、大きな絵が飾ってあり、大使は王女の後ろにその絵を見る。] 大使がゆっくりと頭をあげる。 しばらくは誰も言葉を発せず、誰も動かない。大使の言葉を待っていると大使自身気がついているが、言葉がまとまらない様子で視点を王女の足元に向け、黙り続ける。侍女、衛兵、そして王女は黙ってその姿を眺めている。 さらに時間はすぎる。王女は寝巻きの姿のまま、羽織るものでも持ってくればよかった、と侍女は考える。あられもない姿のままでお会いになることはなかった。こういうことは、私が気をつけなければいけなかったのだ。 しかしそれでも、今は私は動くべきではない、と侍女は思う。王女の緊張感を損なわずに動き出すには私はあまりに粗忽だ。王女たちの邪魔になりたくない。ゆっくり息を吸い、吐くことだ。目の前の空気さえ揺らさないように。 そう思い、侍女はそのことに集中する。大使の視点がゆっくりとあがる。沈黙の長さを意識しない動きで、唇が動き始める。 「この度の我が王の心中を察しますに」大使は抑制された声で喋り始める。「けっして貴国を侵そうとの御考えではない、と思います」 「貴王は平和を望まれる御方だと私は知っております」王女は言う。「ロマンを好み、酒を愛される、好人物です。あの方と食事をするのは、楽しい経験でした」 王女は笑う。大使はそれを見て、頭を下げる。 「貴方には、わが国のために奔走いただきました。申し訳のたたない思いで一杯です」 「いえ」 大使は短く言う。俺という小人物が動いた程度ではどうにもならないことだったのだ、と大使は思う。 もうこうなっては、俺の所在などはまったく意味のないことなのだ。王女と王、二人の威厳と尊厳の関わりでしかない。それは俺などが扱える問題ではない。 俺はもういないようなものだ。 大使はまたゆっくり頭をあげ、王女を見る。 凄惨な顔だ、と思う。この存在感はどのように作り上げられたのか、俺にはとても考え付くことができるものではない。俺の想像のつかないようなものを食い、儀式を行い、人と接しているのだ。憧れとか憎しみとかで見れる対象ではない。 俺は人間だ。しかし、この王女は人間ではないのだ。 「この度はありがとうございました。礼を申します」 王女は言う。 「私に他になにか言いたいことはあるでしょうか?」 「いいえ」 大使は短く言う。俺に言うことなんて、あるわけがないのだ。頭を下げながら思う。 「あなたにはとてもすまなく思います」 王女は言う。「心からそう思います。あなたには生活もありますし、それを私が侵すことになるのは、とても悲しく思います」 「いえ」 大使は短く答える。 「兵士様、このお方を斬ってください。その躯を王のもとに届け、そしてそれを私の意思と思っていただきます」 王女は言った。 喉を振るわせるだけの返事を護衛兵が返す。そして滑らかな動きで、剣を抜く。 「これから私は、私自身のために戦うでしょう。そしてそれは私自身であるわが国のためでもあります。私はそのために朽ちようと後悔するものではありません。そう、貴王にはお伝えするつもりです」 こうして俺の存在は消えて行く、それだけだ。と、大使は思った。 ←_ |