fragment -12 人物 ・小川保 ・神田良輔 ・古沼静香 ・向田恵美 状況 [ワンルーム、キッチンも中に押し込められた8畳ほどの部屋。 初めはこの部屋に10人ほどがいた。大声で喋り、飲み、音楽を聴いた(下の階の住人が一度壁を蹴とばした)。久しぶりに集まった人たちだったので、お酒は美味しかった。学校のことを喋り、抱え込んでいた笑い話を喋った。笑い話も、おもしろかった。 終電時間に二人が帰った。しばらく酒を飲み、笑い話を続けた後、車で来た一人が帰り(明日仕事なのだ)、そして一緒に来た二人が帰った。彼はいちばん笑い話を提供し続けた男だった。彼が出て行くのとほとんど同時に、もう一人、出て行った。 部屋の中には4人残っている。] 向田は先ほどからかたずけを始めている。空き缶をキッチン脇のダストボックスに投げ、大皿についたケチャップをスポンジでこすり、広げた雑誌を積み重ねる。小川はそれを見ながらソファにもたれ、煙草を吸っている。古沼と神田は腕をぶつけながら小川の布団に眠ってしまった。 「ありがとう。もういいよ」小川は言う。 「洗っちゃうよ」 向田は答える。 「いいよ、適当で。煙草でも吸ってよ」 向田は小川の言葉を無視してキッチンに立ち続けた。部屋がそれなりの秩序を取り戻し、洗われた食器がカゴにおさまってからやっと、向田はテーブルを挟んで小川の向かいに座った。 特に話すこともなかった。音楽が鳴り続けていて、二人は煙草をくゆらせながらそれを聞いている。小川は特に眠くもなかったし、眠るにも自分の布団は使われていた。客をほおっておいて眠るのは、気が進まなくもある。 「今日はよく喋ったね」 向田は言った。「あんなに喋る小川は久しぶりに見た」 「そうかな」小川は答えた。 「今日は私、ほとんど聞き役だったよ」 「俺だけじゃないよ。今日はみんなが喋ったろう?」 「そうだね。久しぶりだったしねえ」 しばらく音楽が続く。 小川は音楽を意識し、向田を意識する。なにせ、この部屋で意識があるのは彼女だけだ。それでも、顔をあわせる事は多いし最近も間隔なく会っていた彼女なので、特別緊張するような意識ではなかった。 「確かに、今日は聞き役だったね」小川は言った。 「大人しくなったとか思われたかな」 「でもないよ。キミの相槌には特徴があるんだ」 「そう?」 「少し小馬鹿にしたとこというか、毒というか。でも先輩は相槌聞かないで喋る人だから、ちゃんと聞いてたかわかんないけどね」 前にも指摘した事はあったな、と思いながら小川は言った。そう言われるのは彼女は悪い気がしないようで、うれしそうに笑う。 パーティの後の寂しさは死にたくなる、と言っていた漫画家がいた。岡崎京子。 でも僕はそれほど嫌いじゃない。 と小川は思った。 厳密に言えばこれはパーティじゃないかもしれない。部屋の中で昔馴染みの友達が集まり、酒を飲んでいただけだ。知っている友人の笑い話を聞き、それを喜ぶ友人が笑った、というだけだ。踊ることもないし、新しい出会いもない。 岡崎京子が80年代、90年代にやっていたパーティはどういうものだったのだろう?――小川は考えをめぐらせる。ディスコがありクラブがあり、吉野屋の朝定食があり狂乱のディープキスがあったのかもしれない。それは僕が経験していないものすごいテンションだったのかもしれない。僕も一度DJバーで知らない女性にキスされたことがあったが、その人は僕がありがとうとかなんとか言う前にすばやく帰ってしまった。岡崎京子なら、そういう場面も繰り返し経験し、パーティも続けるごとに楽しくなったのかもしれない。 でもまあしかし、僕には不相応だな。と小川は思う。知らない人が大勢いると、僕が喋る言葉はおもしろくなくなる。それなりにかっこいい言葉も言えなくなる。それにそういう集まり自体に、岡崎京子は飽き、抜け出そうとしていたのではなかっただろうか。僕はその岡崎京子をリアルに想像できる。 岡崎京子はパーティの後に耐えられなかった。でも僕は、耐えられるようなパーティしかしない、というだけだ。 再び、音楽が続く。 今日は確かに喋りすぎたかな、と小川は思う。なにせこの狭い部屋に10人の人がいたのだ。ビールの空き缶はダスト・ボックスにあふれ、コンビニの袋に詰められて脇に置かれている。 あまりに喋ったせいか、少し疲れている。沈黙が音楽を通じて僕らに染みとおっている。向田は視点をまったく動かさずに、音楽を聞いているようだ。小川も同じだ。思いついたことがあっても、喋ろうとする体力を感じないため、なんとなく黙ることになる。もちろんそれは窮屈なものじゃない。 クーラーが大きく息を吸い込み、吐き出している。蛍光灯はそろそろ換えてもいいかもしれない。足元に一人が持ってきた雑誌が転がっている、興味はあるが、手に取るのは後にしよう。 小川は煙草に火をつけ、音楽を聞いている。 古沼が急に起き上がる。 眼をこすりながら、黙って流しまで歩くのを、小川と向田は見つめる。コップに水を汲みそれを一息で飲み干すと、布団の上にもどり、今度は神田の身体に触れない位置に転がった。神田はまったく気付いた様子もなく、眠り続けている。 古沼が動かなくなると、小川は再び眼を煙草の先に戻す。見るものが、それしかないのだ。 「ねえ、CD変えていい?」向田が言う。 小川が応えると、向田は中腰になりコンポからCDを取り出す。音がやむ。新しいCDを入れるとハスキーな女性ヴォーカルが歌いだす。今までのオフ・ヴォーカルと比べて、この部屋に人が一人増えたような気がする。 「今日はここでこのCD聞こうと思ってたんだ」向田は言う。 「持ってってもいいよ」 「んー、いいや。ここで聞くから」 向田は座っていた位置にもどり、テーブルに腕を組んで頭をその上に乗せた。 唐突に小川は思い出した。 「そうだ、キヨエさん、もうすぐ誕生日だ」 「そうだっけ?」向田は応える。 「7月16日だよ。去年誕生会したんだ、ってキミだっていただろう」 「あー、そうかも」 向田は頭をおこす。 「今年は集まれないだろうな。どうする?なんか渡そうか」 「花、かなあ」 「デリバリ出来る店知ってる?」 「知ってるよ。家の近くにある」 「じゃ送っといてよ。後で折半しようぜ」 「ウィスキーもつけようよ。渡せば一緒に届けてくれるんだよ」 「ウィスキー?ワインじゃん?そういうのは」 「度数高いほうが喜ぶんだよ、あの人は」 向田は言って、笑う。 「そうかもしれないけどさ」小川も笑う。 「そうだよ。ウィスキーのほうがいい」 「じゃ、頼むよ」 「うん、いいよ」 向田は頭をまた組んだ腕の上に乗せる。 「眠い?」 小川は向田を見て、尋ねる。 「眠くない」 「眠くなったら、布団を出すよ」 「あんたが眠いんじゃないの?絶対寝ないよね、みんなが寝るまで」 「家主だから」 「関係ないじゃん」 確かに関係ないな、と小川は思う。「あんまり眠くないんだよ。俺も」 キヨエさんは今年26になる。自分もキヨエさんの後に誕生日が来て、24だ。と小川は思う。 キヨエさんは今年から働き始めた。歯医者の事務だ。働き始めるなりそこの医者と付き合い始めた。「まあ、働き始めれば誰かと付き合う、と思ってたけどね」と彼女は言っていた。特に焦ってるでもなく、悠々と遊んでいる印象があった彼女だった。でも働き始める話をしてから、実際に就職までは手際よく進めた様に見えた。結婚とかいろいろ考え始めているのかもしれない、と小川は思った。 僕だってもう24だ。まだ学生をしてるし、働き始める予定もない。なにもしようと思わないし、なにかできるとも思えないのだ。 この部屋にいる4人とも同じ年だが、なにかを考えているようにも、小川には見えなかった。神田は小説を書くとか言っている。古沼は美術館の仕事を辞め、コンビニで働きながら自動車教習所に通っている。向田はまだ仕送りを貰い、遊んでいるだけだ。 その数字は僕になにをさせようとしているのだろう? 24。 小川は、まだわからなかった。その数字を思い浮かべるとゆっくりと自分の足元から浸っていくような感覚があった。でも、それだけだった。数字を忘れることで、その水位を減らすことしかできない。それでも足元には彼を押し流すような川が常に流れており、それはいずれ間違いなく自分の背いっぱいまでのぼり、抗う方法もなく自分を押し流すのだ。 向田は目を閉じ、頭を完全に傾け力をぬいているように見えた。小川は小さく呼びかけてみた。返事はなかった。 向田は決して、眠い、とは言わないのだ。どうしてかわからない。いつの間にか、倒れこむように眠ってしまう。 小川は立ち上がり、クローゼットから毛布を取り出し、向田に被せた。一瞬迷ったが、彼女の座る脇に布団もしいてやった。そのうち布団に倒れこむだろう。彼女がそうするのを、小川は何度も見ていた。 向田を見下ろしてから、眠っている古沼と神田に眼を向ける。そうしていると、自分が眠らない理由が解った気がする。こうして人が眠るのを見るのが好きだからに違いない。三人は三様の体勢で、顔つきで眠っている。古沼が小さく寝息をたてており、神田は頭から布団をかぶり壁をむいている。向田は小さく口を開けていた。間違いなく眠っているのだ。 小川は座っていたソファにもどり、煙草に火をつけた。 しばらく三人を見つめる。 ヴォーカルが止まり、音楽が止まる。CDが回転する音が小さくなり、止まる。窓から見える空が黒一色でないように見える。 小川はもう一度三人を見回した。 そして灯りを消し、煙草の火を消す。 窓から見える空が間違いなく青みがましていることに気がつく。小川はソファに倒れ、眼を閉じた。 ←_ |