( さて。ここの後記を僕こと岩井市が書くのも久しぶりなのですが、何を言いたいかと申しますと、「皆、一様に『書く』という行為の崇高さに捕らわれているのだなぁ」という感慨をです。だいぶん、平たく私語のように言いましたが、それが一番分かりやすいのは自明の事実です。これを例えば、(スキルとして可能だとして)大江健三郎の文体で書いたとしたら理解することが出来ないでしょう。僕などは今だに大江健三郎が各作品で何を言いたいのかが分かることが出来ません。私語の「分かり易さ」はともすれば「馬鹿のように」見えるだけに誤解も招き易いのです。
反して、「何かを整然と論理的に紐解くこと」はそれは訓練があれば誰にでも出来ることです。まぁ、僕には出来ません。それは僕が訓練を積んでいないから出来ないのであって、能力の問題ではありません。いや、もしかしたら訓練を積む段になって「結局は僕にはその才能がなかった」とは言えるかも知れませんが、それは洗練されてゆく過程で言えることであり、誰でもが私語で喋ることが出来るようには出来るようになるでしょう。それが様式の存在意義であり、培ってきたものであります。「書く」ということは、何も特権的な行為ではありません。それが僕の中心的な哲学であり、それの欠けていると感じる輩が多いことに辟易としている、という次第であります。と、ここまでが前書き)
そういや、「恋する街」とかいうのが始まりましたよ。
「恋する街-夜明け前-」執筆者:岩井市