後記

 個人的な話をします。

 冬目景という漫画家を知ってますか?スコラ・コミック、アフタヌーン・コミックなどで連載をしていた作家で、「僕らの変拍子」「羊のうた」「黒鉄」「イエスタデイを歌って」などの単行本を出しています。あまり漫画を読まない人は知らないかもしれないけど、少し詳しい人なら知ってるだろう、という感じの漫画家です。
 彼の作品についてはあまり語らないことにします。それがこの文章での目標ではないので。
 センチメンタルなことを書くのが目標です。
 なにしろ――冬目景の話ですしね。

 この作家の作品を初めて手に取った時、瞬間的にある感情が浮かびました。まだ全然ストーリーを読んでなくて、その絵柄とシーンに触れただけでしたが、その感情は非常にはっきりしていたし、 、あまりに独特だったので強く僕の中に残りました。今でもその感情は鮮明です。他の漫画家が与えてくれるものとはまた別でした。言ってみれば――小学生の頃好きだった女の子の写真を見たときのような感情だったと思います。
 ――聞いたことのない名前の恋人を作り、肌に基礎化粧を施し、2002年に使われている言葉を使うだろう、そんな24歳の姿が全く想像できない彼女の、小学生の頃の写真を見たような気分。

 僕は漫画を書こうと思ったことはなく、漫画を読む際には100%個人的に楽しみます。小説やその他――音楽や映画でさえ、こちらに入るとも思うのですが――に触れる際には、自分の能動性が回転してなにかを喋りたくなったり、その中にあるストーリーを自分で弄って変形させたりしたくなるのですが、漫画ではそういうことがほとんどありません。おそらく漫画の持つ、理不尽と思えるような手間、労力が発揮されるため、僕はただ受け入れる一方になってしまうのでしょう。
 冬目景は、僕に能動的に関わりたいと思わせた作家でした。
 僕がもう少し無目的で可愛らしさがあったら――2Bの鉛筆を手に取り、模写するところから始めてしまったかもしれません。


 彼の作品を見るたびに、自分が歳をとったな、ということを感じます。
 かつて自分がいたところから遠く離れてしまったな、という感情です。

 かつての僕は――冬目景を読む前の僕は、明らかに冬目景的なもののために生きてきました。冬目景的恋をし、冬目景的夢を持ち、冬目景的世界を創造したくてうずうずしてました。僕は冬目景的世界のためにこれから生きていくだろう、と思っていました。
 でも違う、そうではない、僕は冬目景的世界を失っている、そう気づかせたのは冬目景の作品でした。気が付けば僕は冬目景的ではない恋をし、冬目景的ではない将来を考え、冬目景的ではない世界のために躍起になっていた、そのことに気が付いた。
 そこには、もはや失われた感情と、それを思い出しながらストーリーをなぞる僕の姿しかありませんでした。


 彼の作品を手に取ると、僕には喋らなければいけないことがあることを明確に意識します。批判し、それを暗黙の中で了解する作品を持って返したくなります。「それはたしかにかっこいい、でもこっちのほうがかっこいいぜ」と突き返してやりたくなる。プライドをかけて乗り越えたくなる。


 ――客観的に見てみると、やはりまだ僕は彼に対して見せられるものが出来ていないな、と思います。
 僕ももう若くはないし、いつまでもモラトリアムを決め込むというわけにもいかない、と焦りさえ思ってしまったり。ふと省みると自虐と自嘲の嵐にヤられる。
 どうよ?オレはどうよ?
 ――と。






東京文芸センター Vol.17

 執筆 :上松 弘庸 
        :神田 良輔 
        :潮 なつみ 
        :岩井市 英知
        :c h o c o
 後記 :神田 良輔 
 タイトルページデザイン
    :岩井市 英知
 監修 :東京文芸センター