書くことがないから、おしまい(ハート)
高校生のころのことだ。当時つきあっていた男の子と私は文通をしていた。自転車で何分もかからない距離に住んでいて、週に三回は会っていて、電話だって毎日していたのに、文通もしていた。今思うと不思議だ。
文学部の学生だった彼は、元から書くことが好きだったのだと思う。ある日「休講だったから書いた」といって手紙をくれて、それからなんとなく文通のようになった。私はといえば、初めのころこそもの珍しくて楽しんだものの、三ヵ月目で早くも飽きた。だいたいのことは会って喋ってしまうし、だいいち面倒だった。それでも返事だけはだそうと思って、がんばって一行だけ書いたのだ。「書くことがないから、おしまい(ハート)」と。ポップなピンク色の便箋に、精一杯かわいい字で。
その手紙を読んだ彼は「哀しい」と言った。たぶん、それが私と"哀しい"の初めての出会いだ。泣くか、笑うか、怒るかしか知らなかった私は、哀しいはあいまいではっきりしない、さえない感情だと思った。「哀しい」と言われて哀しいような気がしたけれど、自分にはどうも似合わないと思った。
それから十年。「書くことないな」と思うと、まるで条件反射のように"哀しい"がやってくる。失ってしまった彼を思い出して哀しいのか、書くことがないという生き方が哀しいのかよく分からないけれど。
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何の因果か(後遺症か)"万年書けない病"の伽沙鈴です。
そんなわけで、かれこれ十年書けないのですが、読むのは好きでした。もちろんTBCはかなり初期から読んでいました。ここにある作品の"原石な感じ"が好きなのです。書くことがない私にとって、それは強烈な光線を発している原石です。
先月から「ブランニューヘブン」を書かせてもらっています。今月はなんとこの後記まで。今まで全く書けなかった私が、「書いてみたい」と思うようになったのは、まさにその原石の魅力に憑かれてだと思います。
私のつたない原稿も、読んで下さったどなたかの、書くきっかけになれば幸いです。