後記
 
 

 語るべき事柄はなにか。なにを語るべきか。
 というようなことを僕はよく考える。人間に勢いがないため、いちいち考えないと喋りはじめることもできないのだ。

 しかしこのことは考え始めると延々と同じところを回り続け、答えは結局見つからない。考えに疲れ、もうどうでも良くなったところで、ようやく喋り始めることが出来るような気がする。つまりは語るべき事柄なんてなにもないのだ――少なくとも、僕はそのことについて、考えることをあきらめてしまっているのだ。

 ウェブ上では、エキスパートたる熟練の技術者が書いたメソッドを簡単に手に入れることが出来る。さもなければ、メディアとして読み手にスムースに物事を伝えるための、やはりエキスパートはいくつも存在している。
 ウェブでは小説はそぐわない。そのことは、もう考えつくした筈だった。ウェブどころか、この世界にはもはや小説は必要ない。個人体験は、すでに分解しつくした。個人体験が天才の色彩に彩られることなんか、もはやありえないのだ。

 ではなぜ小説を書くのか、とさらに自問する。
 天才でありえず、熟練の技術者でなく、メディアに徹するつもりもない、この自分はなにを書いているのか。疲労のあげくの排泄か。射精に似た反復行為か。
 そこに希望はあるのか。それもわからない。
 そうして考えに疲労し、なにもかもどうでも良くなったところで、この後記を書き上げる。
 そこに希望はあるのか?



 今回は3周年記念ということで、多くの方にご協力頂きました。
 皆尊敬に値するエキスパートである、と僕は考えます。
 その技術の名前は疲労、もしくは反復。トランスの先にあるハイな境地を皆で持ち合い、共感していただければ、と思います。
 とにかく皆様、ありがとうございました。
 真剣に、感謝してるよ。



東京文芸センター Vol.37


執筆 :<『迷いこんだ世界』参加者>
後記 :神田 良輔
構成 :岩井市 英知
表紙 :佐藤 由香里
監修 :東京文芸センター