メトロノーム




たもつ





腕時計を見ると夜中の3時を回っていた。汗が出るほどの激痛に、手で腹を押さえると、真っ赤な血がドロドロと垂れてきた。冗談じゃない、このままじゃ死んじまう。痛みで頭がクラクラしてきた。視界はぼんやりしてきたが、目はしっかり開いていた。目を瞑るとヤバイ気がした。目を開いてる間は間違いなく生きている。死ぬ気なんて無かった。これからもやりたい事、やってない事なんて腐るほどある。そういえばフグだって食った事無い。誰か居ないのかと辺りを見渡しても、こんな時に限って人っ子一人、猫すら歩いていない。ついていない事は重なるもので携帯電話も車に置いてきた。歩いていこうにも痛くて歩けない。この時ばかりは漫画のような根性が欲しかった。諦め半分で口を開けてアスファルトを背にしたらまん丸のお月さんが居た。そんな妙なロマンチックな演出のお陰で、額からは余計に汗が出た。その時だった。人の足音が聞こえ、俺のすぐ側で止まった。ゆっくりと上体を起こし振り返ると酒の好きそうな汚いおっさんが居た。

「なぁおっさん救急車呼んでくれよ頼む」

俺がそう言うとおっさんは、ポケットから煙草を出し火をつけるとこう言った。

「無理」

一瞬何を言ってるのか理解できなかったが、理解できた途端に腹が立ち怒鳴りつけた。

「てめぇ人が血だらけで倒れてんのに無理とかぬかしてんじゃねぇよコラ、てめぇそれでも人間か?」

イライラしながら睨みつけるとおっさんは困ったような顔して答えた。

「いやぁよぉ、それが人間じゃ無いんだわこれが、ごめんなぁ、俺神様なんよ。」

「アホかお前、神様が煙草吸うわけねぇだろアホ。」

「じゃあお前さん神様見たことあるのかい?」

「ある訳ねぇだろアホ」

おっさんは煙草を深々と吸うとニヤリと笑いこう言った。

「じゃあ良かったな、俺が神様だ。神様は煙草吸うんだよ、知らなかったろ?勉強になったろ?そうかぁ、お前神童貞だったんだなぁ。でも良かったなぁ、死ぬ前に神様に会えてよ」

「や、もうそういうのいいから頼むよ、救急車呼んでくれよ。ほんとに死んじまうよ。マジ頼みます。この通りです。」

おっさんは呆れた様な顔をした。

「お前さんもわかんない男だなぁ、お前さん半分死んでるんよ。だからわざわざ様子見に来てやったってのにさぁ、それは無いんじゃない?神様ショックよ?略して神ショックよ?ハハハ」

呆れた。このおっさんには何言っても駄目だと思い、ため息と共に再びアスファルトに転がった。だんだん腹の痛みは麻痺してきて現実味も無くなってきた。そういえば何で腹から血が出てるんだっけか、記憶すらも曖昧になってきた。間違いなく確かな事と言えば腹の怪我と目の前の使えないおっさんと夜だという事だけだった。

「なぁ神様」

「お、やっと認めたか、うんうんなんだ?神頼みか?もしかしたら聞いてやるぞ」

「はは、神頼みか、頼りねぇのな神頼み、俺ってば結構頼んでたのによ、連れねぇのな神様ってば、たまには助けて欲しかったよ。へへ」

「あぁね、ごめんなぁ。俺日本担当の神様なんだけどもさぁ日本つっても広いからなぁ。やっぱりいちいち全員拾ってやれねぇんだわ、ごめんなぁ。でもお前の頼みってギャンブルばっかりだったからなぁ、一回くらい聞いてやっても良かったなぁ、ま、遅いけど」

「知ってるんなら当ててくれよアホ、まぁいいや、元々金の使い道なんてたかが知れてたけどもさ、そういや初めて神様に本気でお願いしたのいつだっけなぁ、あ、あれだ」

「ん?なんだ。」

「ガキの頃さぁ、小学生の頃な。地元の野球チームに入ってたのな、それがまた弱くてよ、勝った事が無いんだまったく。でもなぁ、負けると悔しいのさ、手抜いてた訳でも無いのにさ、なんでか勝てなくてな、いつも試合じゃぼろ負けして泣いててさ、勝ちたい勝ちたいって思ってて、んで六年生の時にさ、ほんと小学校生活の最後にさ、九回裏で一対一でランナー二塁のサヨナラのチャンスでさ、もう本当ツーアウトで俺の打順よ、今でも覚えてるよあの信じられないくらいのプレッシャー。もう頭ん中真っ白でさ、神様神様打たせて勝たせて!そればっか頭ん中グルグルグル回っててさ、気がついたら凄い勢いで飛んでるのよ球が、俺はぼんやりそれ眺めてて、後ろから走れ走れって聞こえてさ、はは。」

麻痺していた痛みが又襲ってきたが、どうでもよかった。中途半端な清々しさに救われた気持ちになった。


「なぁ、神様、お願い聞いてくれよ」


「ん?」


「たばこ一本ちょうだい」


おっさんは一瞬驚いたような顔をした後ニヤニヤしながら俺の口に煙草を咥えさせてくれた。得意気な顔でサービスだとか言いながら、火までつけてくれた。チリチリと先っぽが音を立てたと思うと、腹の中に柔らかい煙が入ってきた。美味い煙草だ。銘柄が知りたかったけど後にしようと思った。視界に黒いポツポツが入りこんできて、だんだんお月様が見えなくなった。ポツポツポツポツ真っ黒になって何も見えなくなった。おっさんが俺の肩をゆすってるのがわかる。なんとなくだが声も聞こえる。しっかりしろ頑張れとか。矛盾だらけのこのおっさんが少し面白かった。


そんな俺の人生には、目覚めたら病院のベッドの上でしたなんていうドラマチックなオチはありませんでした。