一日



田村 綜







 太陽がのぼり、世界に光が満ちた。そして一日がはじまった。

 自分が目を覚ますと、すでに正午をすぎていた。もう少し寝ていてもよかった。予定や、しなくてはならない用事など、月末の支払い以外には、一年以上あったためしがない。だから、眠りからさめる必要もない。ないが、これ以上眠り続けることも出来そうになかったので、起きた。起きてしまうと、空腹感があった。
 食パンにカビが生えていたので捨てた。瓶の底にへばりついていたジャムを指ですくってなめた。明らかに足りない。部屋中に散らかった雑誌や文庫本の下から、一張羅の黒いパーカーとリーバイスのジーンズを引きずり出した。パーカーの裾はすり切れ、リーバイスの膝には穴が開いていた。靴下は結局そろったものが見つからなかったので互い違いのものを身につけた。ピアスをつけて香水を振りかけてから家を出た。
 ファーストフードで胃袋を満たすと、無性に女が欲しくなった。淫猥な場所が頭に浮かんだ。自分はまだ金で女を買ったことがなかった。一度は体験しなくてはならないと思っていた。
 そして、実のところ、自分はその場所に大層な夢と期待を抱いていた。芸術家や思想家が語るには、そこには真実の一端がしめされているらしい。自分にとって福音となる何かがそこにはあるかもしれない。
 銀行に行って三万円をおろした。それから電車で一時間も離れた埼玉県の歓楽街に向かった。

 十月も、もう終わり、そろそろ風が冷たくなる頃だ。寒くてたまらない。首をすくめて歩いていると、派手なネオンのひしめく汚い通りにたどり着いた。少し入ると、すぐに街角に立つ呼び込みの男が自分に声をかけて来た。自分は所持金を告げ、男に勧められるまま、すぐそばの店にあがった。受付の陰気な中年に一万円払うと、奥の待合室に通された。
 三十分後に出てきたのは24、5に見える、派手な髪型をした女だった。期待していたよりも遙かに世俗的な印象で、自分は多少失望をした。
 個室に入ると女はまず自分の年齢を尋ねた。自分は奇妙な羞恥心から、実際の年齢より高く「25」と答えた。女は「同い年だ」と言って驚いたふりをした。その大げさな様子に、自分はこの先この人間に対してさらに失望し続けてゆく予感を持った。そしてその予感はすぐに的中した。女はしきりにスポーツとテレビタレントとエステの話ばかりを繰り返し、来月に旅行するというオーストラリアについて語った。
 芸術家が娼婦について書いた記述は、幻想が偶像、そうでなければ大昔にとっくに失われたのだろうか。自分はその女の中に、尊敬に足る資質を見いだす事が出来なかった。
 確かに、自分は書物の中の作家の目を通してしか世界というものを理解していなかったが、だからといって娼婦の全てが美しいソーネチカだと本気で信じていたわけでもない。ないのだが、ぬるま湯で暮らす大勢とは異なった世界が、多少は存在するだろうと、思っていた。もちろん、偶然出会った、ただ一人の目の前の女をもって、同種のすべての人間を代表させるのは乱暴だが、自分にとっては一人でもこのような女がいることさえも失望するに十分だった。その女の話す内容はあまりに平凡な性質、つまりくだらぬ矜持や虚飾に満ちた表現でこりかたまっているのだ。
 過酷な環境は人間の凡俗を昇華し、人格を陶冶しないのだろうか。それとも、この女にとってこの環境はそれほど過酷でもないのだろうか。会話を続けるにつれてその疑問はやりきれなくなり、自分は次第に暗鬱たる気持ちになっていった。
 女もまた自分を不愉快に感じはじめたようだった。執拗に対話を要求する客……つまり自分は、女にとって不気味な存在らしい。やがて自分はそれに感づいてしまった。そして、それから後は、機嫌を損ねないよう、反感しか覚えない話に共感を示し、必要とあれば愛想笑いさえした。
 まだまだ、ある。自分の男性が全く機能しなかったのだ。だから自分は、その事実が相手の矜持を傷つけてしまわないために、必死で言い訳をするはめになった。
 何一つ思うとおりにいかなかった。時間が来ると、自分は女に二万円を押しつけ、逃げるように店を出た。失望と嫌悪で目の前が真っ暗になった。もう二度と来たりするものか。

 やはりまた電車で一時間もかけてアパートに帰ると手紙が来ていた。 差出人は母親だった。巧くはないが几帳面な懐かしい癖字は故郷を思い起こさせて鬱陶しい。

「……大学へ行きたくないなら、もう辞めても良いから、実家に帰って家の仕事を手伝ったらどうですか。でも、お前の性格ですから、一度出ていった家には、帰って来たくなどないと言うかもしれません。それなら、東京で何か自分に向いた仕事を探すのも良いでしょう。とにかく、何が自分にとって正しいことなのか、よく考えて、ヤケになったりせずに、前向きに考えてください。お前の考えは尊重されなくてはならないので、私たちがああしろこうしろ、と言うことは出来ませんが、このままでは、人生を台無しにしてしまうのではないかと、とても心配です。お父さんも、お前のことをいつも気にかけています。よく考えて、後悔しない道を選んでください。お酒は控えめにして、ちゃんとご飯を食べるようにしてください。今度お米と、何か食べ物を送ります。それと、携帯電話の料金も払うようにしてください。このあいだは、連絡がとれなくて……」

 あまりにも有り難い手紙に、自分はめまいすらした。反吐が出そうだった。
 この手紙からわかるとおり、母親は、そして両親は確かに善良だ。それはその通りだ。誰にも責めることはできない。そしてまた、おそろしく冷淡であることも、間違いない。
 昔からそうだった。いつだって「お前の考えを尊重したい」とだけ言って、自分の事は自分で決めさせる。そうして、自分が、自分の決めたことを実行しているあいだ、それを良いとも悪いとも言わない。そのくせ後になって、「このままでは、人生を台無しにしてしまうのではないかと……」なんていう言葉で、人の行いを遠回しに否定するのだ。小さな子供のころでもそれは変わらない。まだ自我もかたまらない幼児に、自分のことなど決められるものだろか。それでも、自分は決めてきた。しかし、その報いと言えば、「このままでは、人生を台無しにしてしまうのではないかと……」のたぐいの、忌まわしい呪いの言葉と決まっている。覚えているかぎり、ほめられた事など一度もなかったようだ。時に、どうすれば良いのか教えてほしくて、両親の袖にすがりついたりもした。その時も、にっこり笑って「自分の事は自分で決めなさい」だった。そして、言われたとおり自分が決めたらそのあとで、「このままでは、人生を台無しに……」とくる。この繰り返しだった。自分が、自分を信じられないのは、もしかしたらこのせいなのだろうか。だとすれば、まさしく呪いにちがいない。自分はいまでも、選択のすべてが間違っているような気がしてたまらないのだ。
 だけれど、責めることは出来ないだろう。息子をちゃんと大学に行かせている。仕送りをしている。それだけでも褒められるべき、立派な両親だ。善良なのだ。だから告発することなど出来ない。すれば自分が窮地に追い込まれるだlけだ。「理解があって、とても尊敬できる両親です」と自分は何度言っただろうか。善良。そうだ、そのとおりだ。この両親は善良なのだ。
 自分もやがて善良な返事を実家によこすだろう。その文面において、あるいは恐縮し、あるいは反省するだろう。それは儀式のようなものだ。善良な両親と、怠惰だが両親には従順な息子。どうだ、立派な絵になったじゃないか。

  夕方になって日が落ちる頃、Tがアパートを訪ねてきた。
 Tは自称画家志望の美大生だが、授業以外では、おそらく一度も絵など描き上げたことがないに違いない。根気というものがないのだ。そもそも、画家志望だなど、ただの言い訳にすぎないのだろう。画家志望という看板をかかげて、ただ自分の怠惰を、現状を、覆い隠しているだけの薄ら馬鹿に違いない。
 そのTが言った。
「どうだい、少しは小説を書けたかい?」
 自分は答えた。
「どうも、だめだ。一行も書けない」
「ああ、だめだなあ。結局、書き上げたことなんかないじゃないか。本当に、小説家になるつもりなんかあるの? 言ってるだけじゃないの?」
 Tの薄ら馬鹿は笑った。  
「大きなお世話だ」
 本当に、大きなお世話だ。
 このTというのは筋金入りの人格破綻者だ。財布の底に穴が開いていて、半月もしないうちに生活費がなくなり、実家に電話をかける。友人に、恋人に、借金をする。返せない。馬鹿にされても、やはり翌月は同じ事を繰り返す。学習能力などないに等しい。そして本格的に行き詰まると、アルコールに逃げる。もちろん、いくら酒を飲んでも、何一つ解決するはずもない。やがてアルコールも飲めなくなって、ようやく人並みに返済について考え、苦しみはじめる。しかし、返済すれば忘れてしまう。そのうち人格だけでなく生活も破綻するだろうことは目に見えている。
 その日もTは、大量の酒と、つまみを持って来ていた。借金、アルコール、返済、と並べた場合、これはサイクルの第二段階だ。
「アツコと二人で旅行に行こうって、冷凍庫のなかに貯金してたんだ。そこから、少し借りてきた。見てよ。すごいだろう? スコッチもバーボンも清酒もある。こっちは、焼き鳥にサラミに生ハムだ」  
「いいのか?」
「大丈夫、全部使ったわけじゃない。それに、だって、仕方ないじゃないか。お金がなかったんだ。 お金がないというのは、みじめなものだよ。ねえ、だって、ほんの数千円あれば、酒が飲めて、何か食べられて、幸せになれるんだよ。その数千円すらないなんて、使っちゃいけないなんて、それはあまりにもむごいじゃないか。そりゃあ、僕だって、使いたくないさ。なんてったって、二人で大事に貯めたお金だもんね。アツコなんか、いつも旅行の話をして、本当に楽しそうにしているんだ。そりゃあ、大事なお金なんだよ。それを使っちゃうなんて、ひどい話さ。絶対に使っちゃいけない。だけどね、ほら、わかるだろう? だって、どうしようもないんだ。何にも出来ないじゃないか。緊急事態なんだよ。行く場所がなくなっちゃった。だから、どんどん、飲もうよ。仕方ないんだ。ほかに方法はないんだよ」
「お前は本当にクズ人間だな」
「まあ、仕方ないよね。芸術家ってそういうものさ。キミだってそうだろう? もう駄目なんだ」
「何が芸術家だ。……なあ、その<仕方がない>はよせよ。クズが使う言葉だ」
 そして自分たちはその酒を飲んだ。飲んで吐いた。Tは吐瀉物のすっぱいにおいを漂わせながら笑った。
「楽しいなあ! ねえ、楽しいなあ!」
 自分はその浮ついた表情が気にいたなかったので、Tの顔をひっぱたいた。Tはひっぱたかれても、ニヤニヤ笑っていた。だらしのないやつだ。酒を飲んで、楽しいと叫ぶなぞ、もってのほかだ。それが出来るのは、Tの品性が下劣だからだ。まともな人間なら、酒を飲んで、浮かれ騒いだりはしない。アルコールによって作り出される世界を、自分の行き場所とは、考えない。Tにはそれがわからない。アルコールが作り出した世界は、現実の、たとえば電車にのっていけるようなどこかと、まったく変わらないらしい。現実に行き場がなくなると、少し妖しげな繁華街に繰り出すようなつもりで、アルコールの世界に旅立つ。
 その日の「旅行」は三時間ほどで終わった。Tが帰ってしまうと、自分は再び一人になった。
 テレビをつけながら少し寝て、目が覚めるとアルコールは完全に抜けていた。時計は深夜の二時をさしている。もう今日は誰も訪ねてこない。どこへ行っても、たいていの店はしまっている。電車だって動いてはいない。
 そして、「完全に」する事がなくなった。
 自分はとりあえず布団にくるまった。少し寝たばかりだから、まだ眠くはない。今日一日に自分がした行動について考え始めた。お得意の自己分析モードだ。テレビを消すと、時計が「カッチ、カッチ」とやかましく音をたてはじめる。……

  おれは今日女を買った。やたらと理屈をこねくりまわしていたが、要するに好色なのだろう。食事のあとだ。食欲が満たされれば、次は性欲というわけか。どうやら、おれは自分で思っていたよりも単純で本能的なやつらしいぞ。もちろんそれだけの理由でおれを責めることは正当じゃない。だって、世の中にこれだけ人間があふれているのを見れば、そんなことは説明するまでもないじゃないか。人間がもし好色であることを本心から否定しているなら、これほど無節操に地表に満ちるはずがない。しかし、それはそれだ。今日おれがやったことについての弁解には、なりはしない。おれが今日女を買ったのは、どこからどうみたって弁護の余地はない。たとえ、世界中の人間が好色を肯定したとしても、だ。
 出発にあたり、おれは自分に言い訳をしたじゃないか。「一度は体験しなくては」なんて、もっともらしい、しかもとってつけたような意見で正当化していたね。「ソーネチカ」「福音」……笑わせる。本当にそんなことを、信じてたわけじゃないだろうさ。要は自分を納得させるための理由付けじゃないか。しかも、そんな理由が必要だったってことは、つまりおれはその行為に罪悪感を感じていたというわけだ。罪悪感を感じていながら、快楽への欲望に負けてそれをねじふせて断行したのだ。まったくみっともない話じゃないか。
 本気で信じているならいいさ。狂信者ってのは、ある意味一番純粋で正しいものだ。信じてもいなくせに、ただ気持ちよさそうだからって、その場だけ信じたフリをするなんて、もっとも恥じるべき行為じゃないか。おれはそれをやったんだ。そのくせ、少しでも自分を高級な人間だと信じているのだから、人間というものは恐ろしいな!  

 あの女が言っていたことだって、それほどおかしくはなかったろう? やりたいことや、したいことを素直に喋る。それは誰にだって許された行為じゃないか。体を売っているからって、気軽にしていちゃいけないわけじゃあるまい。そりゃ、オーストラリアにだっていきたいさ。金だって、あればあるほどいい。そのためには、ソープランドで働くなんて、もっとも効率的な労働のひとつだろうね。商売と考えれば、必ずしも追いつめられる必要なんかないのさ。もちろん、道徳観念が許せば、の話だけれど。
 それだ、道徳観念。おれに我慢がならなかったのは、まさにその点なんだ。おれは、自分の道徳観念をねじふせて、その場所までやってきた。実際のところ、その時点ですでに気がついていたさ。自分で自分を欺き、そうして罪を背負ってここまで来たってことは、最初からわかっていたんだ。もちろん、意識の表面ではなく、奥のほうで、だけれどもね。とにかく、薄ぼんやりとだが、おれはそのことに気がついていた。だから、平然としていた女が許せなかった。……ひとつ言い忘れていた! いや、ひとつ嘘をついたというべきだな。ふん、おれはとことん薄みっともない人間だな。まあいいさ、とにかく、おれが女を買いに行ったのは、単に好色だけじゃなかったんだ。「ソーネチカ」「福音」……さっきそんなことはありえないといったが、少しは本当に考えていたさ。そこに救いがあるんじゃないかってね。でも、そんな理由で行為を正当化するつもりはなかったさ。それだけは本当だ。おれは、そんな理由のためだけに、救いなんて言葉を持ち出せるほど余裕があるわけじゃない。おれにとって、その言葉は本当に重要なんだ。
 なにがって、とにかく、孤独だったんだ。おれのやっていることは、いつでも罪深いことばかりだ。おれは自分で決めたことすら、守り通すことが出来ないんだ。やっちゃいけないことくらいは、いつだってきちんと理解している、それでも、やってしまう。そうやって罪をおかさないと、生きていけない時もあるし、他人を傷つけてしまうときもある。誰にも知られず罪をおかすか、自分を……ときにはほかの誰かを……ひどいめに遭わせるか、何度も選択を迫られて、耐えられないんだ。だからといって、許されはしない。罪は罪だ。そうだろう?
 しかもだ、いったん罪を犯してしまったら長い間、罪悪感に苦しまなくちゃならない。自分が犯罪者だ、価値のない人間だって思いなやまされるんだ。それは本当にいやなことだ。恐ろしい。
 かといって、罪を選ばなければ、もっと苦しい目に遭うかもしれないんだ。罪をおかさなければ生きていられないのさ。自分という存在はそういう不都合な人間なんだ。そもそも、世界から見放されて生まれてきたようなものだね。そう思うと孤独なんだ。本当にやりきれないんだ。
 この気持ちを、あるいは商売の女なら、わかってもらえると思ったんだ。体を売るのはいけない、とわかりがらも、どうにもならず罪をおかしつづけ、生きているのだとすれば、そこには必ず苦しみや葛藤があったはずだろう? それは、あるいはおれの苦しみと少しは通じるかもしれないじゃないか。
 だけれど、その女にはそんな道徳観念はなかった。ただの商売だったんだ。あの女にとって、売春するのは、ハンバーガーを売ったり、コンビニでレジを打ったりするのと、そう大した違いはなかったのさ。それがおれには我慢がならなかった。自分と同じじゃないから、苦しみを共有出来ないから、おれは、その女を軽蔑したんだ。まったく、何を考えているんだろうねえ!  あの女はおれじゃない。おれと感覚が違うからって、それは咎める理由にはならないんだ。そんなの当たり前じゃないか。だいたい、孤独がそんなに怖いっていうのが、臆病じゃないか。おれなんぞ、普段、あんなに偉そうにしているくせに。
 それだけじゃない。この構図をもう一度よく考えてみろ。このおれという人間は、自分が金を払って女を求めていながら、その女が体を売ることで苦しんでいないからといって、憤っているんだ! どうだい、ずいぶん滑稽な話じゃないか。おまけに不能者ときている!

  そのことは別にそれでもいいさ。おれは金を払って、あの女は金がほしかったんだ。全部うまく行ってる。どこにも不都合はない。たとえおれが何をどう思おうが、それは女にとっては少しも関係ないんだ。おれがこれ以上ネチネチと自分をいたぶるつもりがなければ、その話はそれで終わってかまわない。だいたい、おれがおれを追いつめる材料は、それ以外にだっていくらでもあるんだからね。あの女はもう解放してやってもいい。
 そして母さんからの手紙だ。これもちょっとした事件と言えるだろうね。相変わらずおれといったら、ろくな事を考えない。
 なんだいあれは? もちろんおれの両親は大した人間じゃないさ。だが、だからといってとりたてて酷いというわけじゃない。そりゃ理想に比べれば少しは冷淡かもしれないさ。でも、だいたいどんな人間が親になったところで理想通りというわけにはいかないだろうし、たいていの人間はその事実と和解していくもんだ。世の中には信頼にたる人間なんか一握りもいないし、そんな、あまりにもまれな人格者に、自分の親が該当しなかったからといって不満を漏らすなんて、よっぽど幸せな頭に生まれついているんだろうね。普段、親以外の人間に期待出来ないようなことは、親にも期待してはならないんだ。
 だいたいおれは親の一挙一動に意味を求めすぎるんだ。残念ながら彼らは、おれが思ってるほど思慮深くないし、賢明でもない。自分の発言や行為がこの神経質すぎる息子にどんな影響を与えるかなんて想像もつかないだろうし、また、そんなひねくれた発想は頭のなかに存在すらしないだろう。金を与えることと心配することだけが親の仕事だと思って、百姓が春になれば畑を耕すみたいにずっと義務的に同じ作業をくりかえしてそれで満足なんだ。もちろん悪くはないさ。おかげでこのおれは、こうして働きもないのに生きていられるんだからな。だが人間とは言えないな。夫婦だから性交して、子供が出来れば、親だから金を与えて心配して、かといって判断は何一つくださない。設定されたタスクをこなすだけのロボットみたいなもんだ。だけれど、まあ、いくらかの幸運に恵まれれば、この単調な生活はずっと続くだろうさ。そうして、老後は貯金で細々と暮らして、なんだか知らないけれど、周囲の連中がみなそういっているからこれが「幸福」なんだろうと、わずかな想像力で納得してただ死んでゆくのだろうね。本人が良いなら別にそれでいいさ。息子としては我慢がならないが、本人が選んだなら、おれには何も言う権利なんかないんだ。そもそも、そんな親にたかってどうにか生き延びているようなこの息子が、何一つだって言えるもんか。従順な息子のふりをして金をせびることしか考えていないようなこの息子がね。

  おれは本当にいやなやつだ。それにつきあっているんだから、 Tというのはよほどイカレているね。
 おれと似たようなところがあるよ。やるやると言って、結局何もしないんだ。自分がうまくやりとげたところを想像して、それでだいたい満足してしまうんだ。まあ、賢明と言えばそのとおりだ。どうせ、やったところで失望するだけなんだから!
 新しい原稿用紙を前に座っていると本当に良い気分だ。そりゃ、おれだって原稿用紙くらいは持ってるさ。道具はちゃんとそろえて、いつでも使えるように机の上に並べてある。といっても、小説書くのに必要なものなんか、ペンと鉛筆と紙くらいのものだけれど。 とにかく、そうやって道具を目の前に並べると、わくわくしてくるんだ。これからどんな物語が生まれるのか。どんなに感動的で、どんなに深淵で、どんなに賞賛されるのだろうか、ってね。真っ白な紙には無限の可能性がある。芥川だって三島だって、ドストエフスキーもシェイクスピアも、みんなこの真っ白な紙からはじめたんだ。
 しかしだ、おれが一文字並べるにつれて、芥川もドストも遠ざかってゆく。それはものすごいスピードで去っていくもんさ。ページの半分も書いたら、もう誰の背中も見えなくなっている。そうして、いつのまにか無限の可能性を秘めた夢の世界へのチケットはただの紙くずになっているんだ。おれは、生まれるはずだった不朽の名作を死産に終わらせてしまった罪悪感で、しばらくのあいだ後悔にうちのめされることになる。最初から、ありもしない名作だというのに、ばかげた話だ。そして、結局なにもしなくなる。
  Tの場合は、もっと徹底している。道具さえならべない。ただ薄ぼんやりと頭のなかだけで想像して、それだけだ。何もしないから、打ちのめされるということがない。だから、いつでもありえないような希望に満ちた空想をしている。Tはおれと類似性が多いが、そのあたりが正反対だ。おれは空想を実現しようとして、あの失望を思い出す。そしてそのたびに自己嫌悪に陥って結局なにもしないのだが、Tの場合、空想はいつまでも空想のまま、現実化なんて考えたこともないものだから、妄想は美しい夢物語としていつまでも奴を楽しませ続ける。幸福そうだが、やがて破滅するだろう。破滅しなければ、わりにあわない……と思うのは、おれのひがみか。ひがみだな。しかも、筋違いだ。第一、おれは、自分で勝手に苦しんでいるだけじゃないか。Tの破滅を願うのは間違っている。
 何にしろ、Tの朗らかなのは一つの美質だろう。それは確かだ。おなじ破滅するなら、Tのようなやり方のほうがましなのかもしれない。といっても、おれには到底あんな愚劣な行き方など出来るものか。

 とはいえ、結局おれは破滅なんかしないだろうがね。そうさ、あの、息子を心配することに関しては天才的な両親がいるかぎり、おれはのうのうと生き続けるのだ。いよいよとなったら、卑屈な本性をさらけだして、 おめおめ実家へ帰るんだろう。これは罪悪だ、と自分をののしりながら。
 おれなど、怠惰な自分をののしることで、社会人としての義務を果たしたつもりでいるんだから、いい気なものさ。救いだ、福音だ、なんて、よくも思い詰めたふうなことを、言えるもんだね。まったく、楽なものじゃないか。一体、おれのいるこの場所が、絶望の淵だなんて、そんな馬鹿な思いつきが、どうして出来るんだろうね? そんな見当違いな解釈を、欺瞞にみちた言い訳を、こねあげやがって! おれの苦しみは、結局のところ、あるはずのない苦しみで、おれは、その、あるはずのない苦しみのために、七転八倒しているってわけさ! どうしようもねえや。ああ、本当に。くだらねえ。……


 そうして自分は、寝床のなかから、窓が白みはじめているのを見た。

 太陽がのぼり、世界に光が満ちた。そして一日がはじまった。





■おわり■