メリー・クリスマス




神田 良輔







 メリークリスマス。


 いつものことなんだけども、留学してる君のことを考えるといろいろ訊ねたくてたまらなくなる。僕は君がどんな生活をしてるか、まるでわからないんだからね。たとえば――昨日は何時に寝た?眠る前にはなにを考えてる?日本語のものはなにを読んでる?
 ――でもこうやって訊ねても返事を聞いてから手紙を書けるわけじゃない。僕は一方的に、何も情報がないまま話し続けなきゃいけないわけで、それって普段生活してるとまるで使わない物事だから、なかなか上手くいかないんだ。
 いつも思うんだけど、もし世界に理想的な手紙というようなものがあれば、助詞とか主語とかを抜いた、簡潔な動詞で表せるものがベストだと思うんだ。たとえば「書け」とかね。

「書け!」

 ってね。
 理想的な手紙ていうのは、もういろんな余計なものを抜いたもので、クリスマス・カードはそれだけで手紙になるみたいに、余計な物事を抜いた純粋の手紙の成分ていうのはそういうことだと思うんだ。
 そう、だからクリスマスカードしか僕は出せないというわけで、この時期になって君にようやく手紙を書くことが出来たというわけで――あーあ、なんかわかりづらいだろうな。まあ聞き流してよ。
 どっちにしろ理想には程遠い僕だから、いろんな余計なものを付け加えないと送る事が出来ないわけなんだけどな。理想まではかなり遠い。なんて。


 僕は元気だ。すごく退屈な毎日を送ってるよ。
 学校はもうすぐ終わるけど、就職はしないことにした。……知ってる?日本では、今モラトリアムが大ブームなんだ。猫も杓子も働かないのが流行ってて、景気も全然回復しないってもんさ。
 多分、こんな感覚は日本にいないと理解しづらいと思う。君が日本にいた頃は――正確に覚えてる訳じゃないけどね――日本はまだ、健全だったように思うよ。俺たちくらいの世代だと、なんか行き詰まった日本ていうのは想像出来なかったはずだから、多分君がこちらに帰ってきたら驚くと思うよ。中国の農村とかニューヨークのスラムとか良く貧困のモデルで出てきたけど、日本にいてもそういうのは想像出来るようになってる、それがすごく身近なんだ。
 ――まあ、帰ってきたら驚くだろう。でも、すぐに慣れると思うよ。驚くのは初めだけで、すぐに慣れてしまうし……こんなことは留学してる君の方がよくわかってるだろうな。人はどこへ行っても人だし、そこには特別なものがなにもないってことを。そういうのって、なかなかわからないもんなんだよね。
 ……なんか思いもよらず、景気の悪い話になったな。
 でも僕は――僕たちは――そんなに鬱屈した生活をしてるわけじゃないよ。
 楽しそうにしてる人とつまらなそうにしてる人ってのは、どんな集合でも割合はそう変わらない、って誰かが言ってた。ナチスがユダヤを迫害してたときだって、楽しんでた連中はいるはずで――それはつまりナチってことなんだろうかね。確かに、本気で楽しんでる連中なんてドイツの中のナチスくらいの割合しかいないんだろう。
 僕はまあ、精神的に貴族だから。これは日本じゃ数少ない特権階級なんだぜ。古い話で言えばゲシュタポを援助した欧州貴族みたいなもので、僕はユダヤの屋敷に火をつける将校みたいに、楽しく生活してるよ。
 ――こういうもの言いは嫌いだっけ?ごめんごめん……


 話を変えよう。最近「ジュラシックパーク」を観たよ。
 もう3が出てるんだっけ?よく知らないんだけど、僕が観たのは最初のやつ。いちばん話題になったやつだね。今までなんとなく観なかったんだけど、なんかきっかけで観たんだ。
 多分これなら君も知ってると思う。アメリカの映画は世界のどこにいたって観られるんだ。
 僕は特に恐竜もなにも興味があったわけじゃないんだけど――ああ、でも恐竜好きの気持ちはなんとなくわかるつもりでいるよ。「失われた」とか「強い」とかっていうより、なにより恐竜はデカい。それを見上げて「うあぁ」って言いたいつもりは、なんかよくわかる。
 あの映画はそういうのがあってすごく良かった。「ゴジラ」とか観たことがある?あれがマイナーで終わってるのって、そういう徹底的なデカさを表現しようとしてないからだと思うんだよね。マニアは描写が必要ないんだけど、普通の人間は触ったりいろんな角度から眺めたりしないとびっくりできないから。そういうのをわかってるのか――わかっててやってるか、諦めてるかのどっちかだろうけど――とにかくジュラシックパークは良かったよ。もし観てなかったら、観てみるといいよ。僕が観たものとすっかり同じものが観られるんだ。アメリカのなした功績の中でも、これだけは認めてやってもいいな。ハリウッドの映画は。


 そう、それと――メリークリスマス。
 クリスマスはどうだったろう?これを読む頃には君のクリスマスも終わってるはずだね。恋人と仲良く過ごしただろうか?勉強に追われてた?ダンスパーティにでも誘われたかい?
 僕の場合は、一人でいる間に終わってしまったよ。とても静かなクリスマスだった。後から顧みてもなにも覚えてないくらい、平穏で静かなクリスマスだった。
 その日はバイトもなかったし、里帰りとか仕事とか旅行とかで誰も遊んでくれなかったんだ。巡りが悪かったんだな。90年代の日本だと部屋でぶつぶつ呪いの言葉でも呟いてるものだったけど、特にそんな気分にもならなかった。時代に感謝してる。
 でも静かなクリスマスも――これはこれで悪いものじゃなかったよ。食事して、風呂に入って、洗濯をして、音楽聞いたりビデオ観たりしてるだけで終わってしまった。
 そうそう、それでも一つだけ変わったことがあった。まあすごくちょっとしたことだけど。
 風呂に入ろうとしたときにシャンプーがないことに気がついたんだ。数日前から無くなってて買っておこうと思っていたのだけど、服を脱いで湯船に浸かってから気がついてばかりで、水で足したりしてなんとかやり過ごしてた。ようやく入る前に気がつくこと出来たから、じゃあコンビニのシャンプーで間に合わせよう、て思ってね、外に出たんだ。最近じゃめっきり夜遊びもしなくなっちゃったし、0時過ぎて家を出るなんてすごく久しぶりだった。
 僕が住んでる街は住宅街で、いつもだって静かなところなはずなんだけど、なんかその日は本当になにもなく静かだったような気がした。
 アパートの脇を抜けて、公園を見て、コンビニまで行くんだけど、もの音ひとつしなかった。もちろん車なんて通らなかった。部屋の窓から灯りが見えてて、それを見てやっと人がいるってわかったくらいだった。
 コンビニに着いて、シャンプー買ってついでにクリスマス用のスパークリングワイン――日本のコンビニはワイン売ってたりするんだよ――買った。外に出て歩き出すと、またすごく静かで、真っ暗だった。それにすごく寒い。
 帰りながら、僕は電灯のひとつを見つけてその下に立ち止まり、ワインを開けてみた。瓶の口まで包装を解いて、手で口をひねった。今のシャンパン――て、つい言っちゃうんだ――は手で開けられるからね。瓶を持った左手がやけに冷たかったけど、すぐに口はあいたよ。
 でそれを僕は飲みながら帰ることにした。左手にシャンプーの袋をさげて、マフラーもしてない格好で、シャンパン飲みながら住宅街を抜けていった。なんというか、ひどく祝祭的な姿だろ?小さな子供でも歩いてたら「メリークリスマス!」とでも笑いかけてたかもね。でももちろん誰にも会わなかった。静かな住宅街だからね。
 瓶を持つ手はものすごく冷たかったけど、それでも悪い気分じゃなかった。そのまま凍りついてしまっても全然かまわないとも思った。この街に住んでる人が寝てる間に、僕は一人で凍える思いで必死に働いてやろうと、闊歩切って歩いてやろうとずっと考えてた。
 みんながすべて安らかに眠れるように、俺がこの街の平和を守ってやるんだ、とね。
 で家に帰ると、すぐに風呂に入って、震える手を暖めた。ゆっくり湯船に浸かって頭洗って、それから部屋に戻ると飲み残しのシャンパンがあって、湯上りの身体で一気に飲み干しちゃった。
 それで、僕のクリスマスのすべては終了したんだ。


 ええと。とにかくまあそういう感じでね。
 僕は今君のことを考えてるよ。
 いろいろと忙しかったり、あわただしかったりしてると思う。留学しててヒマだなんて話は聞いたことがないものな。
 君は僕の知らないところにいるわけだし、知らない人たちと過ごしてるわけだ。それは想像するしかできないし、想像じたい上手く働かないことではある。
 それを思うと、手紙なんか書いても仕方ないじゃないか、という気分にもなったりもする。
 でも、僕らはまたいつか再会するだろう。
 そう考えてやっと、僕も君になにか書いてやろうと思った。

 だから、まあ、メリークリスマス。