知的な国のパリス




越前谷 千







 おう、兄弟、飲んでるかい。俺の名はパリス。こう見えて七つの海を股にかける貿易商人さ。え? その顔の傷はどうしたって? おうおう、よくぞ聞いてくれたよ、兄弟。実は昨日帰ってきたばかりなんだよ。え? そうだよ。相棒にうまい商売ができるって噂を聞いてな。行って来たんだよ。え? それは俺の口からは言えないなあ。まあ、「ジャ」から始まって最後に「ク」がついて、間に「ス」とか「ラ」とかちっちゃい「ッ」とかが入るあの国のことだよ。それ以上は口が裂けても言えねえな。
 わかってるよ。傷の話だろ? そう焦るなよ。そうだ、あれはたしか三日目の朝だった。前の晩もいつものように、しこたま酒を飲んだ俺はいい気持ちで鼾でもかきながら朝まで寝てたもんだ。ところがその俺の幸せな朝の静寂を不逞にも邪魔するやつがいる。俺の泊まった安ホテルのドアを朝っぱらからトントントントンと叩き続ける阿呆がいるんだ。ほら、諺でもよく言うだろう、「早起きの鳥は虫を得る」ってな。トリアタマめ。
 まあ、でも俺は考えたわけだ。もしかしたら、俺に一目惚れした物凄い引っ込み思案な異国の美少女が、一晩悩んだ挙句にようやく勇気を振り絞って俺の部屋のドアを叩いてるのかもしれん。「徹夜は肌に悪いよ。お嬢さん」 ういんく。俺も朝っぱらから大変だぜ。べいべ。

 でもそこに立っていたのは肌の荒れたオッサンだった。そいつは趣味の悪い一流ホテルのボーイのような格好をしていて、黒地にキンピカの飾り物をたくさん身に着けていた。それで俺は頭にきて、その鳥肌みたいな顔した阿呆に言った。「ルームサービスを頼んだ覚えはないぞ。俺に何の用だ。ローストチキン」
 すると、ローストチキンは両手を顔の前で小さく開きながら言ったんだ。「私はボーイではありませんよ。著作権省から来たのです。使用料の徴収にね」 そしてニカッと笑って色とりどりの金歯を俺に見せつけやがった。たぶん、たいがいの奴はこれでやられる。世の中にはそういう類の笑いがあるんだ。覚えておくといいぜ、兄弟。怒鳴り声で脅すような輩は下等だ。一番怖い奴らは笑顔で脅してくるんだ。抵抗するのも馬鹿馬鹿しくなるような、相手を無気力してしまうような笑顔だ。たとえ、あんたがグリーンベレーでも虹色の金歯に対抗するのは無理な話さ、覚えておくんだぜ、兄弟。
 しかしこちとら百戦錬磨の貿易商人だ。俺は言ってやったよ。「虫でも食ってろ。チキン野郎」 だがさすがの俺でも完璧にとはいかなかったんだ。そう言ってドアを叩き閉めようと思ったときには、すでに奴は部屋の中に入っちまってたんだ。俺は気付かなかったが、金歯を見せられた瞬間に俺は無意識に一歩足を引いてしまってたんだ。いいか、兄弟。金歯を見たら下半身に力を入れろ。覚えておくんだぜ。
 チキン野郎は慣れた手つきで後ろ手にドアを閉めると言いやがった。「あまり陳腐な台詞を吐き続けないほうがあなたのためですよ。陳腐な台詞にも著作権使用料がかかるのです。黙って払ってれば2876クレジットで済んだのに。2922クレジット頂戴します」
「なんだと?」
「2926クレジット」
「ふざけんな。お前だってしゃべってるじゃねえか」
「徴収官の発言は著作権法第32項特例その4で著作権使用料が免除されているから問題ないのですよ。徴収官に対する抗議には課金されますがね。2949クレジットですよ」
 不公平だ。俺は口の中で言った。信じられるかい、兄弟。あの国じゃ、どうやら  文 字 通 り  すべての行動に著作権使用料が課金されるみたいなんだ。馬鹿馬鹿しいだろう? そしてそんな馬鹿馬鹿しさのために口の中で「不公平だ」なんてもごもごしなきゃいけない馬鹿馬鹿しさと言ったらない。それで俺はそんなルールに一瞬でも従ってしまった自分にも腹が立ったよ。3000クレジットだろうが4000クレジットだろうが取れるもんなら取ってみやがれってんだ。で、俺は開き直ることにしたんだ。
「勝手にしやがれ、鳥肌野郎。だいたい最初の2876クレジットっていうのは何のことだよ? あんたの無課金の話を聞いてやろうじゃないか」
 鳥肌は虹色の金歯が生えた顎を無課金で動かしながら言った。「楽曲の無断使用料ですよ。あなた、昨夜寝言で鼻唄を歌いなさったでしょ。記録が残ってるんですよ、ちゃんと」

 それで、俺は完全にキレちまったんだ。気が付いたら俺の顔には傷がついてた。奴の制服のキンピカの金具で切っちまったのさ。床にはチキン野郎のバラバラ死体が血塗れになって転がってた。そして俺は裁判にかけられることになったんだ。
 裁判長は言ったよ。殺人は死刑だと。でも俺は生きて帰ってきた。俺は裁判に勝ったのさ。無罪放免ってやつさ。すごいだろ? どうやったって? 少しは自分で考えてみろよ、兄弟。簡単なことさ。裁判長が言ったんだ。
「それにしても、なんとひどい事件だ。徴収官を殺すなんて前代未聞だ。おぞましい」






 わかったかい、兄弟。そうさ、そうなんだ。それで、俺は言ってやったんだ。
「ふん、前代未聞ね。俺に言わせれば、今まで一人も徴収官殺人が起こらなかったこと自体が異常に思えるがね。でもまあ、そんなことはどうでもいいや。とにかく、そうだな、あれかな? ということは、この殺人事件は、この俺の、完全にオリジナルな著作物ってことになるのかな?」
 ああ、あんたにあいつらの馬鹿面を見せてやりたかったよ。世の中には想像を絶する馬鹿ってもんが存在するのさ。馬鹿どもは言ったよ。
「ふむ、そうだな。たしかにそういうことになるな。よろしい、君は我々に著作権使用料を要求すると言うんだね。この裁判は君の殺人の二次著作物ということになるからな。約束しよう、使用料は君の遺族に必ず届けよう」
「使用料は要求しない」 俺は言った。「そんなもんはいらん」
「使用料を請求しないだと! そんな不謹慎な!!」 奴らは奴らのマナーどおりに両手を顔の前で小さく開きながら、そう叫んだよ。
 俺は言った。「使用料は要求しない。俺は俺の著作物の独占使用権を要求する。俺はお前らに俺の著作物の使用を認めない。したがって、俺の殺人の二次著作物にすぎないこの裁判の続行を認めない」
 ドンドンドン。
「そういうことなら」 裁判長は小さなため息をつきながら言った。「この裁判は棄却する。君は無罪だ、帰ってよろしい」 ドンドンドン。

 これでおしまいさ、兄弟。いいか、よく覚えとけよ。あの国に行ったら注意しろよ。交通事故なんかで陳腐な死に方でもしてみろ。葬式代どころか陳腐な死に方の著作権使用料のほうが高くつくぜ。