ミッドナイト・トーキング




佐藤 由香里






--- misaki が入室しました  ---
 
 もえ:misakiさんが来たあ(00:34)
 坂本:待ってたんだよー!(00:35)
 TOM:今夜はいつもより遅いんですね。(00:35)
 ケンタロウ:misakiさんが来ねーと始まんねえよ。(00:35)
 775:今日は現れないのかと思った。(00:36)



 私が入室ボタンを押すだけでこれだけの反応がすぐにくる。私はこの「求められている感じ」が快感なのだと思う。本当に私のことを待っていたのかなんてどうでもいい。だってディスプレイの向こうにいる知らない人達は、私のことを心から必要としている訳じゃない。「必要としているふり」をしているだけだ。だから私も「必要とされているふり」をする。
 ごめーん、お待たせ。
 私は発言フォームにそう入力してEnterキーを押した。



 misaki:ごめーん、お待たせ。(00:36)
 ケンタロウ:なに?今日も残業だったの?(00:37)
 775:もしかして上司にまた飲みに連れて行かれたとか。(00:37)
 misaki:そうなの。付き合いだから仕方ないけどね。(00:38)
 坂本:OLも楽じゃないっすね。(00:38)
 TOM:でも、misakiさんと飲んだその上司、いいなあ。(00:39)
 もえ:あたしはそういう付き合いイヤ。今のまま高校生でいたーい。(00:40)



 顔色一つ変えずに私はキーボードを叩く。音楽もかけていない、テレビも付けていないこの部屋に響くのは、キーボードを叩く時のカチャカチャという音だけ。手を休めると途端に部屋に静寂が訪れて、やがてそれはキーンと耳につく耳鳴りとなって私を不快にさせた。慌てて適当なことを打って再びEnterキーを押す。発言はすぐに反映され、後は黙っていても会話はどんどん進んでいく。



 misaki:でも学生は学生でいろんな苦労があったなあ。ほら、試験とか。(00:41)
 775:私なんて、高校を卒業して何年経ったことか・・・(00:42)
 もえ:そうそう、あたしの高校、もうすぐ中間試験が始まる。いやだあ!(00:43)
 775:試験とか懐かしい!(00:44)
 TOM:僕なんてなかなか就職決まらなくて。早く働きたいよ(00:44)
 ケンタロウ:でも仕事は仕事でまたいろんな苦労があるよ>TOM (00:45)
 --- 花鳥風月 が入室しました  ---
 花鳥風月:みなさん、こんばんは。(00:45)
 TOM:お。(00:46)
 もえ:わあ、お久しぶりー(00:46)
 坂本:初めまして。(00:47)
 ケンタロウ:一週間ぶりくらいなんじゃねえの?(00:47)
 花鳥風月:はじめましてー。>坂本さん(00:48)
 花鳥風月:そうなんですよ。出張で家を空けてた。<1週間ぶり(00:48)
 TOM:それはそれは、お疲れ様です。(00:48)
 775:今ちょうどそんな話してたんだよ。働くのも楽じゃないって。(00:49)



 大して意味を成さない会話が続いている。こんなやり取りを、彼らは本当に楽しんでいるのだろうか。少なくとも私はちっとも面白いとは思わない。でも、知らない人達ばかりが集まるこの世界で疎外感を感じることはまずない。みんな似た者同士なんだから。
 現実の世界も、非現実の世界も、どっちもちっとも面白味がなくて空虚だ。だったら少しでも居心地の良い方がいい。だから空虚だと感じつつも、この「私を求めてくれているふりをしている人達」のいる空間で馴れ合っていたいのだ。



 misaki:確かに楽ではないよね。(00:50)
 ケンタロウ:俺の会社の上司なんて、ずげーうぜえ。(00:51)
 ケンタロウ:この前なんて自分のミスを部下の俺達に押し付けて(00:51)
 ケンタロウ:俺達は残業したのにその上司はさっさと帰りやがって。(00:52)
 坂本:うわ、それ最悪! (00:52)
 花鳥風月:なんとも理不尽ですね。(00:52)
 775:私なんて毎日毎日ダンナと子供の世話。私、まるで家政婦!(00:53)
 775:仕事してた頃の方がまだ楽しかったかもね。(00:53)
 もえ:結婚への憧れを壊さないでください(笑)>ななこさん(00:54)
 TOM:僕のバイト先でも派閥みたいなのがあってやな感じ。(00:55)
 坂本:仕事出来ない奴の下で働くのはやだよ。(00:55)
 坂本:お前に言われたくない!ってね。(00:56)
 ケンタロウ:ああ、あるねあるね<派閥。(00:56)
 花鳥風月:でもそれが社会の歯車ってやつで。(00:56)
 花鳥風月:俺だって、会社の言われるままに出張出張また出張。(00:57)
 もえ:てゆうか、あたし試験勉強しなきゃ!(00:57)



 毎晩毎晩こんな話題。みんな各々に日頃の鬱憤が溜まっているのだ。きっとそういったストレスをどこでどうやって解消していいのか解らない人たちが、こんな風に一つの場所に集まって吐き出し合うことで、お互いを慰めあっているのだろう。
 本当にうんざりするのだけど、それでもここが私にとって一番居心地のいい世界。それは不本意ながらも、自分自身、認めざるを得ない事実なのだ。 



 misaki:私なんて、またこれから忙しくなりそう。(00:58)
 775:どしたの?(00:59)
 坂本:何かあるんですか?(00:59)
 misaki:うん、実は新しいプロジェクトを任されることになって。(01:00)
 もえ:なんかカッコイイ。キャリアウーマンって感じだあ。(01:01)
 ケンタロウ:でも、働きすぎなんじゃねーの?最近毎日遅いみたいだし。(01:01)
 TOM:そういうの聞くと、まだフリーターでもいいかなあと(笑)(1:02)
 花鳥風月:確かに。睡眠時間は学生の頃より今の方が全然少ないし(笑)(01:02)



 いつも想像する。
 (笑)という文字を無表情で打っている、ディスプレイの向こうにいる他人の顔を。でも、それこそが、私だけではなく他の人達も、面白くもないのにそれでも馴れ合っていたいという証拠なのだと、彼らも私と一緒なんだと確信する。

 他の人達は気付いているのだろうか。自分がこの場所で求めているものはコミュニケーションではなく、傷を舐め合える仲間だということを。少なくとも私はそれを自覚している。ただ、だからといって、やめるつもりはこれっぽっちもないのだけど。


 
 

 

 突然、勢いよく開けられた部屋のドアの音が静寂を破った。

「こら、美咲。本当にあんたはインターネットばかりして。」
 そこには、パックで顔を真っ白にした母が、歯磨きをしながら憮然とした表情で立っている。
「ああ、お母さん。まだ起きてたの?」
 そう呑気に答えると、母は歯磨き途中の手を止めて私を怒鳴った。
「もうすぐ中間試験でしょ!もしまた数学で赤点取ったら今度はお小遣い減らすからね!もう、勉強しないのなら早く寝なさい。」
「えー、それは困る。じゃあ、そろそろ寝よ。」
 母が突然つきつけてきた現実によって、私は一瞬で非現実の世界から戻された。
「中学生なら普通はもうとっくに寝てる時間だよ。全くこんなことならパソコンなんて買ってあげるんじゃなかった。」
 母はふうと溜息をついて、再び歯磨きをしながら部屋を出て行った。
 既に1時過ぎている。確かにもうそろそろ寝ないと明日の授業に響くな。さて、もう寝るとするか。
 私は最後に一言だけメッセージを入力し、送信した。



 misaki:明日、朝イチでクライアントとの打ち合わせがあるからもう寝るね。おやすみ。(01:05)