鏡の中の彼女




織る子






「だからね、台風がやってきて、船がのまれるって映画。」
「どんな映画? 名前わからんよなあ。」
「うーん。漁船でね。魚をたくさん収穫したいがために台風が接近しているのをわからないでずんずん進んでいっちゃうの。家族は心配するわけよ。でも男達は頑張っちゃうわけ。で、結局台風にのまれて死んじゃうの。」
「……はしょるとあまりにもあっけない話やなあ……。」
 不意打ちの連想ゲーム。僕はその時『クイズミリオネア』ごとく解答者席に座り、気合いだけはみのもんたばりの彼女に付き合わされる事になる。(まぁ、クイズミリオネラは連想ゲームではないが)あの番組はいい。正解すれば賞金が貰える。けれど、今僕が回答しようとしているこのクイズ(連想ゲーム)は賞金はないし、しかも正解できなかったら2〜3日は口もきいてもらえないというペナルティー付きだ。更には「愛が足りないからわからないのよ!」と理不尽な言いがかりまでつけられる始末。
 だから僕は彼女の言葉をいつも聞き逃さず過ごしてきたのだ。意味を持たないような言葉ひとつも彼女にとったら重要な事だったりするから叶わない。数日経って忘れかけた頃に「あの時言った〜」と始まったりするんだ。

 ある日の彼女はこうだった。僕の仕事が早く終わったからどこかでご飯を食べようと携帯に電話した。彼女は喜んでそれに応え「じゃぁ、あのお店にしよう。ほら。ロブスターがパスタの上に乗っている美味しいお店。」と言う。僕はその『ロブスターがパスタの上に乗っている美味しいお店』というものが2軒浮かんで「あぁ。あれやろ? ダンス教室の3軒隣の店。」と言った途端電話を切られた。
 どうやら僕が言い当てた店は彼女のそれとは違っていたらしい。慌てて電話を掛けなおすと「電波が届かないところにあるか、電源が入っていないため掛かりません」と無機質な声が僕の耳を貫通し、ちょうど目の前にあったゴミ箱を蹴り倒してやろうかという衝動をグッと堪えるのに大変だった。
 万事こんな調子なので僕もいい加減疲れ果て彼女にちゃんと話をしなければいけないと思い、「土曜の夜部屋へ来い」とメールをしたままその日まで一切連絡をとらなかった。少し懲らしめてやらなくてはいけない。
 彼女の会社の同僚は「物事をはっきり的確に伝える事ができる女性ですよ。」と言っていたけれど、それは僕という存在への社交辞令に違いない。僕の前で彼女の短所を言える程の仲でもないし、彼女の前で彼女の短所を言えば後々問題が起きるのかもしれない。僕は「そうですか。」と笑って返事をしたけれどきっとその笑顔は疑心に満ち溢れていた事だろう。

 約束の土曜日。彼女はいつも通り合鍵で僕の部屋のドアを開け、GUCCHIのバックから煙草とZippoを放り出しいつも通り僕の冷蔵庫からビールを取り出して「シュポ!」といい音をさせながらプルタブを外すとゴクゴク喉仏がすごい速度で動く程勢いよく飲んだ。
「美味しい〜。」と彼女の喉が潤ったのを確認してから僕は話を始めた。「あのな。お前の言っている事はいつもわからへんねん。もっと具体的に話てくれる?それとな…」続けてまくしたてようとしたら彼女の携帯が鳴り響いた。「あッ! ちょっと待って。会社からだ。」そう言うと彼女は僕には今まで見せた事のない顔をして、僕が今まで聞いた事のない言葉をはっきり毅然とした態度で言い放った。「はい。ですからそのお客様の宅地の設計図は敷地の大きさを考えまして通常なら1000分の1で作成するところを…」
 ……。
 はぁ? おかしいだろう? なんだ、今僕が目の前で見ているこの光景はなんなんだ? あれか? 今まで僕が困る顔を見て楽しんでいただけのか? 心の中でぺろっと舌出して笑っていたというのか? あの時彼女の同僚が言っていた言葉は本当だったのか! そうだよ。そう考えれば今までの彼女の連想ゲームに僕が正解できないのだって当たり前だ! 彼女は僕に正解を求めたいたんじゃない! まんまとしてやられたよ……。
「あぁ〜疲れた〜。で、なんの話だっけ?」僕に普段見せる顔に戻った彼女はまたビールをグビグビ飲み煙草に火を点けて僕の顔を覗き込んだ。「何これ?」腹立たしい気持ちを最小限に食い止めて出した言葉はいつもの彼女の連想ゲームのようだ。ここで怒りに任せて彼女をなじったら、僕は更に負ける事になる。彼女の罠にもっとはまっていってしまうに違いない。
 彼女は少し考えてから「ん〜。会社の私はね作り物なのよ。結局会社って使えない人は簡単に切り捨てる場所でしょ? 私は切り捨てられないように必死にがんばっているわけ。でもね。それは私にとってものすごく苦しいのよ。だからあなたの前ではだらりんってしてる事にしたの。」
 ……。
 だらりん……。それは要するに僕には心許しているという意味だよな。彼女も僕と同じように守られない場所でひとり必死に闘っていたわけだ。疲れているような顔をしている時に「会社で何かあったか?」と聞いても彼女は「何もないよ〜。」と答えるだけだった。僕に心配させないようにしていたのだろうか。そういえばそんな時に限ってこの連想ゲームに付き合わされていたような気もする。我儘で甘えん坊だと思っていた彼女は、実は強がりでその裏返しがこういう形で表れていただけだったのかもしれない。
 沈黙して考え込む僕の顔を見てくすりと笑った彼女がこう言った。
「今日はロブスターがパスタの上に乗っている美味しいお店でご飯しよう。」
「あぁ。あれやろ? 2階建てのビルの奥にあるパスタ屋さん。」
「そーそー。」
 彼女は安心しきった顔をくしゃくしゃにして笑うと僕に抱きついた。僕はぎゅっと抱きしめ返したんだ。


了