道化師、踊る踊る




朝倉 海人






「寿命とはどう決まるのか? 私たちはその前提に立ち返ることで新たな発見を見いだしたのです」
 演壇に立っている男は三十分ほど前から、ある時には静かに、またある時には大きな声で演説をしていた。男の眼前には聴衆が百名ほどだろうか、目を輝かせて男の話を聴いていた。――まるで、救世主を見るかのような熱い眼差し――と、誰しもが表現しそうな光景がそこにあったわけだが、実際彼ら聴衆にとって、演説男は救世主そのものなのだから仕方ない。
「動物は本来、身体の大きさ、もっと言えばそうですね、心肺機能の大きさによって寿命が決まると言って良いでしょう。鼠よりもライオンの方が長生きしますし、象の方がさらに長命です。そこで私たち人間をご覧なさい。これだけの小さな身体、心臓で八十年も生きるのです。これは驚異的なことではないでしょうか?」
 聴衆がざわめく。所々で、「そうだよなぁ」だとか、「人間は生き過ぎなのか?」などという声が聞こえる。
「人間は生き過ぎた、と仰る方の気持ちはよく解ります。私たちは、ほんの五百年前には、『人間五十年』などと言っていたものです。それが今では八十年どころか百年生きられる方もいらっしゃる。これは人間が科学によって、生物界の常識に勝ったと言う以外に何と表現すれば良いのでしょう?」
 演説男は身振り手振りを大きく使い、聴衆に疑問を投げかけたり、脅しのようなことを言ってみたり、また「科学」という現代人が盲目的に信仰する根拠を使って話す。これが「感動」の方程式だ、と言わんばかりに男は満足そうな顔をする。
 聴衆は静まりかえっていた。早く男の話の続きが聴きたい、多くの聴衆は恐らくそう思っているのだ。
「さて、では『不死』は可能なのでしょうか? これはとても難しい問題です。人間、いや動物どころか生物さえも産まれた瞬間から臓器を使用しています。物を使うということは、その物が疲労を蓄積させているということです。これはどうしようもありません。今まさに、このように私が話している瞬間でさえも、皆さんは呼吸をすることで肺を駆使し、心臓が血液を送ることで使われているのですから」  場が再びざわめき始める。「不安を煽るのは演説の常套句だ」と、どこかの国の独裁者が自伝で書いていた。その箇所が頭に甦る。ふふっと思わず口元が緩む。それを隠すために片手を口に当てた。聴衆から見ると、その姿は悩む科学者そのものだったろう。



 カマウチはベッドの上で横たわっていた。視界には、退屈な天井の風景が相も変わらず続いていた。テレビもなく、新聞や雑誌などもない。娯楽は何もないこの場所に移り住んで一月ほどが過ぎた。この一月の間、緊急時以外ベッドから立ち上がることは許されなかった。おむつをこの年で付けられ、寝返りする回数すら決められていて、一日がこのベッドの上で終わっていく。寝るぐらいしか時間を潰す手段もないのだが、一週間も眠り続けられるわけもなかった。
 空想が頭の中を駆け巡る。女性の裸、セックスでの肌の感触……。空想はいつも卑猥で俗っぽいものばかりだった。こんなところで、将来についてやこの国の政治についてなど考えても虚しくなるばかりだ。脳波計が振れた。
 カマウチは死ぬことが怖かったわけではなかった。それよりも自分が存在しなくなったこの世界がどのようになっていくのかが知りたかった。そのためになるべく長生きし、二十二世紀や二十三世紀の世界がどうなっているのか、自分の目で見たかったのだ。もしかしたら自分が死んだ直後にタイムマシンが完成するかもしれない。それを知らないで死んでしまったら、あまりにも自分は不幸ではないか、という思いからこの研究所にやって来たのだ。
 ――スケルス生命科学研究所――人間の寿命について研究し、寿命を延ばすことで、より進化した人間社会を築く、というのが彼らの理念だった。つまり、アインシュタインがもっと長生きをしていたら世の中は劇的に変わったはずだ、という理論である。
 研究所という名前であったが、どこかの大学や国家による研究所ではなく、スケルスという一個人の研究所である。マスコミなどからは、「研究所という名前の新興宗教だ」と言われていたが、「私たちはあくまで科学的学術的な団体であって、宗教団体ではない」と、スポークスマンが繰り返しインタビューに答えていた。
 カマウチは一月前のスケルスの講演会に参加し、スケルスの話に感銘を受け、この研究所にやって来た。研究所はM県の南西部、周りを山で囲まれている場所にあった。かなりの広大な土地を所有しているようで、辺りに街などは見あたらず、一番近い集落にさえ車で一時間以上かかった。敷地には真っ白な建物が幾つか建っており、中央棟と呼ばれる十階建ての建物と、それを囲むように小学校の校舎のような二階建ての実験棟が七棟ほど建てられていた。
 B棟二〇五号室にカマウチはいた。部屋は四人部屋で薄いベニヤのような壁とはお世辞にも言えない板で仕切られていた。同室の者同士で話すこともなく、部屋は時折聞こえる咳や鼻をすする音、研究員の声ぐらいのものだった。
「会話をしてはいけません。会話によって人は興奮し、脈が速くなります。寿命がそれだけ縮むのです。私はどんなことがあっても脈を一定に保つ方法を会得したからいいものの、あなた方は注意しなくてはいけません」
 スケルスは研究所に入る時にそう言った。
 一、なるべく動かないこと。
 一、イビキをかかないこと。
 一、妄想をしないこと。
 一、運動をしないこと。
 などなど、これらの規則が言い渡された。



「駄目ですよ。変なことを考えては」
 脳波計の針が振れたのに気づいた研究員がすぐさま部屋にやってくる。全てが管理されていた。体温や心拍、脳波などなど全てである。額や胸などには様々な器具が付けられ、端から見れば重病患者のようだった。
 この脳波計が感知しないようにするには、完全なる「無」の境地になるか、興奮しないような詰まらない――羊を数えるのようなものだが――空想しかできなかった。
「なんで、俺はここに来たのだろう?」
 ふと、カマウチは声に出した。
「長生きしたいからでしょ? あなたは確実に寿命が延びてますよ。ほら、お喋りは呼吸回数が増えるから良くないですよ」
 研究員が笑顔で言う。
 生きたいから……。そうだ、俺は生きたかったんだ、とカマウチは今まで忘れていたかのように心の中で呟いた。でも、もう生きることにすら飽き始めていた。目の前では蛍光灯が切れ始めているのか、早く細かい点滅を繰り返している。それは自分の寿命のようにも感じた。蛍光灯はゆっくりと点滅の速度を落としていく。そして、いつか完全に消える。カマウチは消えるのだろうか? 不安で仕方なかった。
「不安になることはありません。なぜなら、人間の寿命は科学によって引き延ばされるのです」
 どこかで、スケルスが啼いている。


(了)