牛乳大学




上松 弘庸







 牛乳大学においでよ。辛い事も、悲しい事も、全部忘れて牛乳大学においでよ。ここは楽園、牛乳大学。いいかい、牛乳大学だよ。
 牛乳大学においでよ。僕らと一緒に遊ぼうよ。いいかい、ここは楽園、牛乳大学さ。よく覚えておくんだよ。僕らの楽園、牛乳大学、右も左もミルクでいっぱいさ。
 牛乳大学においでよ。そして、嫌な事は全部捨てちゃおう。いいかい、君がまず最初にやる事は、牛乳大学目指して全速力する事さ。力の限りの全速力さ。もうなりふりかまっちゃいられない。とにかく、牛乳大学さ。
 牛乳大学においでよ。今すぐ、今すぐおいでよ。いつまでも待ってるってわけじゃない。僕達も暇じゃないんだ。だから、後にしようなんて思っちゃいけない。いいかい、一刻を争うんだ。今すぐ、今すぐ牛乳大学へ急ぐんだ。
 牛乳大学へおいでよ。僕らに選択肢は無いんだ。いつまでもたもたしてるんだ。急ぐんだ、今すぐ牛乳大学へ。もっと急ぐんだ。がむしゃらに突き進め。かき分けろ。皆殺しだ。そうだ。いいぞ。牛乳大学は待っちゃくれない。もっと速く、もっと急いで。
 牛乳大学へおいでよ。僕らにはもう牛乳大学しか残されちゃいない。守るんだ、僕らの最後の砦、牛乳大学へ一刻も早く。急ぐんだ、僕らにはもうそこしか残されてない。見つけるんだ。たった一つの牛乳大学。全部投げ捨てて。全部忘れて牛乳大学へ。もう何もいらない。あるじゃないか僕達には牛乳大学が。
 牛乳大学へおいでよ。甘ったれるんじゃない。誰が連れて行ってくれるってんだ。自分の力で行くんだよ。いいかい、信じられるのは自分だけだ。他人に助けを求めるなんて愚鈍な真似は止してくれ。聞こえてるのか?お前だお前。耳を塞いだって無駄だ。牛乳大学は逃がしちゃくれない。お前、そんな甘っちょろい考えで本当に牛乳大学に辿り着けると思っているのか?
 牛乳大学へおいでよ。もうそれしか残されていないだろ。牛乳大学の他にはなにもないんだろ?な〜んにもありゃしないんだろう?だったら、もっと頑張ってみろよ。諦めんな、挫けんな。悔しさで胸いっぱいか?情けない顔しやがって。いつからお前はそんな捻くれた態度が取れるようになったんだ?いいから、何も考えるなこの愚図め。馬鹿が。お前にはもう牛乳大学しかないんだよ。
 牛乳大学へおいでよ。生まれ変わるんだ。今回限りのチャンスかもしれない。もうすぐ門が閉まっちゃうぞ。いいのか、門が閉まるぞ。間に合わないぞ。絶望だ。嘆き、悲しみむがいい。自分の無能さを呪うんだな。お前が悪いんだ。そうだ、お前だ。お前が全部悪いんだ。誰のせいにしようってんだ?
 牛乳大学へおいでよ。まだ門は閉じきっていない。まだ間に合うかもしれないんだ。急ぐんだ。考えている暇はない。急ぐんだ。急ぐんだ。最後の最後の可能性が残っている。とにかく力の限り急ぐんだ。
 牛乳大学へおいでよ。門は閉じたけど、まだ何とかなるかもしれない。とにかく、牛乳大学へ急ぐんだ。ここに来ないと始まらない。何にも始まらない。何も始まらないんだ。速く来るんだ。
 牛乳大学へおいでよ。楽園なんだ。本当さ。間違いない。牛乳大学。牛乳大学。牛乳大学。ほら、君にも聞こえるだろう?あの声が牛乳大学さ。
 牛乳大学へおいでよ。本当は、まだ間に合うんだ。でも、早くしないといけないよ。お願いだから、早く来てくれ。
 牛乳大学へおいでよ。まさか、僕達を見捨てるつもりじゃないだろうね?信じているよ。君が来てくれるのを。
 牛乳大学へおいでよ。君は呑気にしていられるかもしれないけど、僕達にはもう時間がないんだ。早く、早く。
 牛乳大学へおいでよ。もう本当に時間がないんだ。助けてくれ。


 以来、牛乳大学からの連絡はぱったりと来なくなった。私は牛乳大学がどんなものかを想像した。大変魅惑的な、それでいて現実的な牛乳大学を。私の選択が正しかったのだろうか。ただ言える事は、もし私が牛乳大学へ行っていたのなら、私は今の私とは決定的に違った形の存在になっていただろう、という事くらいだ。その概念がどのような方向性を持つものであるか、私には今の所説明する事ができない。ただ、終焉を目前にして私は思う。牛乳大学はやはり楽園ではあったのだ。そして、その楽園では少なくとも牛乳大学の学生達が、偽りではあるが、現実味溢れる時の流れを謳歌しているのだ。私に入学する資格があっただろうか?私はその可能性が手の届く範囲に存在しているにもかかわらず、入学を辞退した。理由は簡単だった。私は楽園に興味はない。
 それでも、今までに少なからず牛乳大学の事を夢に見てきた。夢の中の牛乳大学は、凄惨たるものだった。響き渡る生贄の阿鼻叫喚。群がるようにその光景を覗き見ながら狂喜乱舞する学生。しかし、繰り返し言うが其処は確かに楽園なのだ。少なくとも我々にとっては、それらの光景が我々の深層にまで恍惚をもたらす、偽らざる楽園となるのだ。何をしても許されるパラダイス。ただ後悔の念に押し潰される事さえなければ、罪を受ける事はない。耐えられない程の苦痛に醜く顔を歪ませながら眼下で跪く裸の女を見下しながら、私は確信した。まだ私には体力も精力も残されている。私は牛乳大学へ入学するべきだったのだ。
 しかし、果たしてその牛乳大学たるやなんであったのだろうか。私にはもうそれを知る術もない。きっと、牛乳大学の学生達も分かっていないのだろう。彼らにはそんな事を考える必要はないのだし、そうであれば学内で牛乳大学の鮮やかに彩られた楽園に酔いしれていれば良いだけの話だ。助けを求めても、楽園からは逃げられないだろう。それが、牛乳大学の牛乳大学たる所以だ。
 しかし、今でも私は考えずにはいられない。娘は牛乳大学へ入学してしまったのだ。そして、娘は牛乳大学の絶対的な自由空間の中で生活している。私は此方で羨望の眼差しで彼ら学生達を見続けている。果たして牛乳大学は楽園であった。牛乳大学、牛乳大学……。