恋する街 ―彩雲―




潮なつみ







   一、

 千草はそれほど美人じゃないけれど、だからといって、とてつもなく個性的な顔立ちをしているという訳でもなかった。平均的な顔立ちというものは、人に安心感を与えるため好感を持たれ易いという話をどこかで聞いたことがあるけれど、彼女の顔というのはまさにそういった感じなのだ。顔かたちだけではなく、身長も平均そこそこで、太っていたわけではないけれど、痩せていたとも言えない。それなりにおしゃれな感じではあったけれど、流行の最先端でもなかった。とびきり明るい性格でもなければ、もちろん暗い性格というわけでも。成績だって多分、中の中くらいだった。人にやさしい言葉をかけることもできたし、ちょっとしたいたずらをして意地悪そうに笑うことも同時にやってのけた。教師の言う理不尽なことに楯突いていたかと思えば、中庭の花が枯れたと言って哀しそうな顔をしているのも見た。しかも、不自然なくらいに、それらのすべてを自然にこなしてみせるのだ。癖が強いわけではないが、決してストレートでもない感情表現に、あの中庸な容姿。
 まるで、良く出来た平均抽出の女子高生像みたいだ、と。僕はそんなことを思いながら、彼女を観察するのがいつか癖になった。
 平均的であることの最も優れた点は、どんな人間にも「比較的、自分に近い人種だ」と思わせることが出来るところだ。千草は特に目立ったことなど一切しないくせに、なぜかクラスで一番人気のある女の子だった。人気があると言っても、モテると言う意味ではなく、男女問わず妙に心を開かせる力があり、常に周りに人がいるような感じだ。そして、いつもその中心に居ながら、彼女は静かに存在感を醸し出しているふうに見えた。
 モテるかどうかという点においては、実際のところ、彼女は「誰とでもヤる」とまことしやかに囁かれるほどは最悪ではなかったけれど、相手が誰であれ男が隣にいると、不思議と「そういう雰囲気」を醸し出す程度には色気があって、僕はそのことを特に不快にも思っていなかった。
 それが、高校三年で同じクラスになった須藤千草を三ヶ月ほど観察して得た、僕の彼女に対する考察だった。

 とはいえ、僕などは一層そんなことを言えた立場ではない。
 なぜなら僕自身、すなわち山口史雄という男こそ、ハンサムという訳ではないけれど、醜男というわけでもないし、何だかんだ言っても中肉中背、成績だって頑張って中の上、運動神経は中のやや下。私服は割と拘っているつもりだけれど、制服のほうは無難に着こなして、目立たないように過ごしている。男友達も必要最小限しかいないし、女友達にいたってはゼロ。もちろん、彼女なんて生まれてこのかた出来た試しがない。
 いや、それでは最悪じゃないか。
 弁解しておこう。自分で言うのもなんだが、僕は頭の回転が割と早く、どん臭そうに見えて意外と機転が利き、本当は女の子を喜ばせる会話なんて、ちょっとした得意分野じゃないかと思っている。実際に、時には調子に乗って、隣の席の女の子とウィットに富んだトークを繰り広げることもあるのだ。しかし、そんなふうに調子に乗るたびに「山口くんって、話してみると意外に面白い!」なんて、いちいち驚いた顔をされる。多くの人間は、意外性というものに弱いのだ。そこからややこしい人間関係が始まりそうになる気配を感じると、僕は口をつぐんでしまう。面倒くさいのだ。
 そんなわけで僕は、気がついたらクラスで一番地味で、無口な男になっていた。
 会話もしたことのない、接点もない、クラスで一番地味な男からこんなふうに分析されていたなんて事を知ったら、今さらとはいえ、千草は嫌がるだろうか。
 多分、あまり毒々しくない、少しだけ厭そうな顔を見せるに違いない。

 予定調和のはずの何かが、変わる瞬間というのがある。僕にとって、一学期の期末試験が終わったあの日の出来事が、まさにそれだったと思う。
「物理、難しかったな」
「難しすぎて、腹減ったよ」
「たまには飯でも食って帰ろうぜ。これでテストも全部終わりだし」
「そうだな。もう夏休みだぜ」
「受験生だけどな」
 そんなことを言いながら、僕は男ばかり三人で、高校の近くのお好み焼の店に行くことにした。通学路にしている駅前の商店街から少しばかり路地を入ったところにあって、老夫婦が二人で切り盛りしているようなところだ。古臭い店ではあったけれど、なかなか旨いし、それに安くてボリュームがあったから、うちの高校は何十年も前の先輩から代々お世話になっていると聞いている。それなりに、有名な店なのだ。
 有名なだけあって、店は同じ高校の制服を着た学生で混雑していた。僕たちは運良く、タッチの差で最後のテーブルに座ることが出来、お好み焼をこころゆくまで食べ、しばらくその店の座敷席で、まさに受験生のつまらない息抜きみたいなくだらない話で大いに盛り上がった。それから店を出て、「せっかくテストが終わったんだからさ、ちょっとくらい遊んでいこうぜ」と、誰が言い出したわけでもなかったけれど何となくそんな雰囲気になって、駅前通りをブラブラした。
 電車に乗ればすぐにターミナル駅につくような場所なのだが、僕の通う高校があるこの街には、高校生が遊ぶほど気の利いた場所があるわけでもなかった。私鉄沿線、古くからの住宅街と、いくつかの新しい高層マンション。人は多いはずなのに、昼間はとても静かな街で、僕は昼間のこの街が、都会の穴場といった雰囲気で、割と好きだ。
 僕たちは、何となく駅前通りに面した寂れたゲームセンターにフラフラと吸い込まれていった。幾つかの格闘ゲームで対戦をして、勝ったの負けたのと言い合って、地味に遊ぶ。ゲームは嫌いじゃないけれど、というよりは、どちらかというと非常に好きなのだけれど、僕はこういう場所でゲームに熱中するのは余り好きではなかった。
 そのお陰か、ほんの偶然なのか、幸か不幸かまったく解らないけれど、僕はゲームに対して注意散漫だった。そして、プレイ中にふと店の大きな入り口から外をチラッと見たとき、同じ学校の制服を着た女の子が、一人で駅前通りを歩いていくのを見かけたのだった。
 とても平均的な。
 個性の無い。
 そんな姿で歩いていくのは、同じクラスの須藤千草に違いなかった。
 こんな街の中を一人で歩いていても、あの個性の無さじゃ目立たなそうなものなのだが、その時の須藤千草は、街の中で異様なオーラを放っており、そのせいでとても目立っているように感じた。
 なぜなら、彼女はそのとき、目にたっぷり涙を溜めているくせに、やたらと毅然とした態度で歩いていたからだ。

 呆然と、見とれてしまった。
 多分、それがあまりにも彼女には似合わない空気だと思った為かも知れない。だから、僕はそれにただならぬものを感じたし、気になった。我に返ってゲーム機の画面を見ると、既にゲームオーバーになってしまっている。もう一度挑戦しようと思うほどの熱意は、僕には無い。
「やべえ、急用思い出した。先帰るわ」
 僕はあまりにもわざとらしい様子でそう言ったけれど、ゲームに夢中になっている二人の友人は「ん? ああ、じゃあな」という反応をしただけだった。僕はそのままゲームセンターを出て、須藤千草が向かっていった駅のほうに走っていった。
 それほど混雑しているわけでもない、午後の駅前通り。僕は須藤千草の後ろ姿をすぐに見つけることが出来たし、早足で彼女に追いつくことも簡単だった。彼女と肩を並べるまで、残り二メートルというところへ来て、僕は自分が何をしたいのか、自分でも良く解っていないことに初めて気が付いた。
 クラスメイトといっても、実際は一度も言葉を交わしたことも無いのだ。何の関係も無いけれど、毎日同じ電車に乗り合わせている程度の関係と変わらない。僕は幸いこの人間観察癖のお陰で須藤千草のことをよく知っている。けれど、彼女にとっての僕なんて、顔を見たことがある程度の、どうでもいいエキストラに違いないのに。
 僕は躊躇し、須藤千草の三メートルほど後ろを、彼女と同じ速度で歩いた。暑いからか、緊張しているからか、背中にはじっとり汗をかいた。そうして一分ほど歩き続けたところで、須藤千草は突然、くるっと振り返って、僕の顔を見たのだった。
「……なーんだ、山口くんか」
 僕の顔を数秒凝視した挙句に、彼女の口から出たのはそのセリフだった。今となっ思えば、初めて言葉を交わす相手に向かって、「なーんだ」はあまりに失礼だと思うのだが、その時の僕はそんなことを考える余裕が無いくらい、必死だった。
「あれ、須藤……さんか。うちの制服着てる人が歩いてるなとは思ったんだけど」
 上手に話せているのか解らなかったけれど、僕は話しつづけた。
「『山口くんか』って……、誰だと思ったの?」
「追いかけてきたのかと思った」
「だから、誰が?」
「ひみつ」
「ああ、そう……」
 須藤千草の目には、もう涙は溜まっていなかった。あまりに普通の振る舞いなので、僕は先ほどみたあの表情が間違っていたのではないかとすら思った。
 駅前の赤信号で、僕らは肩を並べて立ち止まった。信号が変わって、この横断歩道を渡ってしまえば、駅の改札は目の前だった。彼女が僕と反対方面の電車に乗って帰るのを、僕は知っていた。肩を並べたものの、たいした話もしないまま帰るだけか。そう思って僕が小さな溜息をついたと同時に、彼女は言った。
「ノド渇いたぁ」
「ああ、暑いからな」
「……お茶でも飲んでかない?」
「え?」
 彼女は、作ったような顔でニッコリ笑った。今思えば、その笑顔は確かに、一生懸命作っていた表情に違いなかった。
「ああ、うん……」
 僕はボンヤリと、頷いた。

 「普通、お茶飲むとか言ったら、喫茶店とかファーストフードとか入るものじゃないかなあ?」
 僕のその言葉もほとんど気にかけず、千草は良く冷えた缶紅茶のプルタブを爽快な音をさせて空けると、ちょうど木陰が出来ている公園のベンチに腰を下ろした。
「そう? だって、お金も無いし、店を決めるのもメンドクサイし、ほら、ここなんてめっちゃ涼しいよ。座りなよ」
 僕は黙って、言われたとおりに千草の隣に座った。隣、と言っても、僕と彼女の間には一メートル近くの距離があった。
「ぷはー」
 彼女は満足そうに缶紅茶を一口飲んで、それから、まるでついでのように言った。
「実は、ついさっき振られちゃってさあ」
「やっぱり」
 思わずそんな言葉が出てしまった。彼女がキッと僕を睨んだのも、仕方が無い。
「『やっぱり』って何!」
「あ、いや……。ごめん。さっき、ちょっと泣いてたように見えたから」
「……そっか」
 千草は、急に黙った。
 と思ったら、良く見たら彼女は泣いていたのだった。
 なんだかやっぱり、こういうところがどうしても平均的な女の子らしい反応だと思う。そして、それは同時にとても千草らしいような気もした。
「山口なんて、今まで一度も喋ったこともない人なのになあ」
 気が付いたら彼女は、僕の苗字を呼び捨てにしていた。
「ああ、まあ俺は地味キャラだからね」
「地味ぶってるだけでしょ、なんか解る」
「そうとも言うけど」
 彼女は、僕の話を聞いているのかいないのか、とにかく自分の話を続けた。
「完全な片想いだったの。すごく仲良かったし、あの人も私のこと好きかなあって思ってたのに、告ってみたら玉砕でさあ」
 彼女は、涙目になりながら一人で自分の失恋の顛末について語り尽くした。僕は、この件に関しては何も口をはさまないことが賢明だと気が付いた。彼女が今求めているのは、ただ話を聞いてくれるだけの相手だった。だからこそ、たまたま遭遇した、一度も言葉を交わしたことの無いようなクラスメイトでもいいからと、こんな話をしているのだ。僕は黙って、時々は相槌を打った。

 「あたし、美人に生まれたかったよ」
 ふっと話が途切れたあと、一息ついた千草が言ったのは、そんな一言だった。僕は、それを聞いて少し笑った。
「なんで? ブスじゃないじゃん」
「そう?」
「そうだよ」
 千草は怪訝そうな表情で僕の顔を至近距離から覗き込んで、僕の言葉に嘘がないかどうかを確認した。不思議なことに、彼女にそうされて、ドキドキするようなことにもならなかった。彼女はそんな僕の心情を察したのか、さらに付け加えた。
「ブスじゃないけど美人じゃないもん。なんていうかさ、そういう顔かたちだけの問題じゃなくて、女らしく、かわいらしくなれたらいいのに、そういうキャラになれないんだもん」
「でも、男まさりってワケでもないじゃん」
「そうかもしれないけど」
「確かに、女の子らしいとも言えないけどさ」
 千草はのんびりとした動きでもってこちらを向き、僕を恨めしそうな目で見て言う。
「山口って、かわいい顔してるくせに、割とむかつくこと言うね」
「そうかぁ? アハハ」
 僕は単純に、今までそんなことを言われたことがなかったので、思わず笑ってしまった。けれど、千草にしてみれば、自分の言うことを言ったそばから否定していく人間など気に入らないのは当然だった。遠まわしに厭味を言ったつもりだったのに、その当人が笑っているのだから、ますます手応えがないというものだろう。
「とにかく」
 さっきまでメソメソしていたくせに、苛立ったように突然立ち上がって、やや興奮した口調で彼女は話し続けた。
「私はね、今、こんな自分がいやなの。ブスじゃないけど美人でもないとか、男まさりじゃないけど女の子らしくも無いとかさ。全然ワガママになれないのに、控えめには見えなかったり、あげく、トモダチとしてはすごく大切だけど恋愛対象にはならないとか言われちゃってさ。こういう中途半端な自分が本当にいやなわけよ。解る?」
 一気に思いの丈をぶちまけるような勢いで(それは、僕に口を挟ませないための作戦だったかもしれない)、千草は一人でそこまで言い切った。僕はそれを聞いて、あくまで反射的に思ったことを口にしてしまった。
「俺は好きだけどね」
「は?」
 あれ?
 何だかはずみでひどく大胆なことを言ったような気がする。僕は、彼女のことが好きなのだろうか。今まで気が付かなかったけれど、ひょっとしたらそうかもしれない。
 これは、思いがけず大変な展開になってきた。千草は本当に聞き取れなかったのか、それとも僕の言葉に何らかの衝撃を受けたのかは解らないけれど、きょとんとした顔をして、穴があくほど僕の顔をただ見つめるだけだった。まるで時間が止まったみたいに。
「あ、いや、だからね……」
 なぜだか僕はしどろもどろになって、弁解しようとした。小さな風がさわさわと吹いて、僕らの座っているベンチに降り注ぐ木漏れ日が揺れる。なんだか、これじゃまるで青春じゃないか。僕がそんなことを思いついたのとほぼ同時に、千草は「ぷっ」と吹き出した。
「な……、何だよ?」
 ここは吹き出すような場面じゃないだろう。僕は憮然とした表情で彼女に尋ねると、彼女はますます可笑しそうに、声をあげて笑い始めた。僕が困った顔をていると、ようやく彼女は、その笑いの意味を教えてくれたのだった。
「山口! 前歯に青のりがついてるよー! あはははは」
 こんな青春、あるもんか。
 僕は、完全に逆恨みだけれど、お好み焼屋の人の良さそうな老夫婦をたいそう憎らしく思って、ますます憮然とした表情になった。だけど、この日をきっかけに千草との関係が変わっていったのは、確かなことだった。