カラーズ4




潮なつみ






   四、アユミ

 女の子は、お金持ちのいい男と結婚して幸せになるのが一番なのよ。
 アユミはママに似て美人だから、あとはそういう殿方と釣り合うような良い教育を受けて、そこそこ聞こえの良い女子大でも出れば、幸せな未来が待っているのよ、だから、アユミ、頑張りなさいね。

 あたしは、小さな頃からママにずっとそう教えられてきた。刷り込まれてきたと言ったほうが正しいかもしれない。
 そして、ママの狙いが成功したかどうかは、微妙なところなのだけれど、今のあたし、基本的には『女の子の幸せは、素敵な男の子と恋愛すること。その素敵な男の子の条件は、やっぱり一流のエリートであること』と考えて生きてる。それがあたしの基本で、全てだった。
 あたしだって、このクラスのみんなみたいに、一流大学と言われるところを出て、一流企業に入ろうと思ってた。一流の道を歩んで、一流の女になりたい。一流の場所で、一流のお友達に囲まれて、一流の恋人と愛し合うの。それが夢なの。だけど、ここへ来て急にめげそうになっちゃった。だって、あたしはミカみたいに何か勉強したいことがあるわけじゃないし。実際には、気持ちばっかり一流で、ここへ来てやっていることと言えば、遅刻の常習犯。成績はクラスの下から数えて何番目。だけど、カッコイイ男の子は自然に寄ってきてくれるし、毎日楽しく過ごせてるし、もうこれで充分かな、なんて。
「アユミはホント、ブランド好きだよね」
 ミカには、いつもそう言われる。うん、それで良いと思うんだ。だって、好きだもん。ブランド、素敵じゃない。やっぱり、ただ名前だけと言う訳じゃないもの。中学に入学した時に、おばあちゃんからもらったヴィトンのお財布のモノの確かさを、あたしはちゃんと知ってるもの。質がよいということ、それがブランドだと思うの。
 ミカが絵や詩をこよなく愛しているのも、ヒサノがイギリスという国に惚れ込んで、それに付随する全て、語学から音楽、ファッションまでをイギリス流に統一しているのも同じことだと思う。あたしにとって、それが『ブランド』だったというだけのこと。

 なんて、ね。

 あたしはこの半年、こんなふうに自分を正当化しながら、劣等感から逃げて逃げて逃げまくってたみたい。これでいいの、これがあたしの生き方なの、ミカとかヒサノと同じなの、こだわりのあるあたしの生き方なの。そんなふうに。
「偉そうなことばっかり言ってるけれど、大学に行って何しようと思ってるんだよ。どうせ、男探しが目的なんだろう!」
 痛い。あたしに向けられたその言葉は、思いのほか胸に突き刺さった。よりによって、女ごころの解らないコウイチによる言葉だったのも、かなりの衝撃だった。あの鈍感なコウイチでさえ、そう思うんだもの。きっと、みんなあたしのことを、それだけの女なんだって、きっと思ってる。そうに違いない。
 ――ソレダケノ、オンナ――。

 十二月。
 教室の中は、さすがに受験生ムードが漂ってる。調子にのって遊んでたみんなも、なんだかちょっと険しい顔になって、学校が終わるや否や、予備校に直行してしまう。そんな毎日。
 あたしは今、恋もしてない。これは、かなり珍しいと思う。学校で付き合ってきた男の子たちは、みんな揃いも揃って、誘ってもくれなくなったし、電話さえかけてこない。ついこの前までしつこく迫ってきてた二年生の男の子も(あたしは年下とは付き合いたくないから、良いといえば良いのだけど)、この前見たら可愛い彼女ができちゃったみたいだし。ナンパしてきた大学生と遊んでも、あたしがこの高校の三年生だと知ると、「受験勉強はしなくて良いの?」なんて、気を遣う。ユミコやミカも、男の子とフラフラ遊びに行かなくなったあたしに、ちょっと調子狂わせてるみたいだし。なんだかなあ。もう、寂しいやら、情けないやら。
 こんなのあたしじゃない。

 行き場のないあたしは、ほとんど毎日、放課後を教室で過ごすことにした。受験勉強をするっていう言い訳をしながら、学校の鍵を全部閉めてしまう時間まで、ずっと教室にいる。そうしている人は他にも何人かいて、放課後の教室は、静かではあるけれど、時々小さな会話が起こったり、みんなでおやつを食べたりして、そういうのが、すごくあったかいから。
 ユミコと、ヤスオやマモルは、もともとそうやって放課後も教室で何をするわけでもなく(もちろん、今は形だけは勉強をしているけれど)過ごしていたらしい。コウイチは、もともと学校に居座るタイプじゃないし、ミカとリョウジは、それぞれ図書館だとか予備校だとかで、かなり受験勉強をしているみたいだ。ヒサノは、週に一回ぐらいはあたしたちに付き合って、予備校が始まる時間まで教室にいる。
「さて、そろそろ予備校に行こうかな」
 西の空がうっすらと赤く鳴り始めた頃、ヒサノが立ち上がった。ずいぶんと陽の落ちるのが早くなったな、と思った。ヒサノのその言葉を合図に、マモルや、何人かのクラスメイトたちも、教室を後にした。
 結局、今日の教室に最後まで残るのは、あたしとユミコ、それからヤスオと、今まであまり話などしたことのない、クラスメイトのハシモトくんという、妙な組み合わせの四人だけになった。教科書のページをめくる音が、やけに響く。
 ハシモトくんは、色白でひょろっとしていて、背は高いけれど銀縁の眼鏡以外に特徴を思い出せないような人だった。ヤスオとは、一年生の時から一緒のクラスだったそうで、意外と仲が良い。あたしとユミコは、今まで彼と言葉を交わしたこともなかった。

「ねえ、休憩しようよー」
 勉強なんかしていなかったくせに、ユミコが教科書を閉じて立ち上がった。
「よし、休憩、休憩」
 ヤスオも乗ってきたので、自然とあたしたちは三人、集まった。
「おいおい、おまえも勉強ばっかりやってないで、たまには女の子と話でもしろよ」
 ヤスオはハシモトくんにも声をかけた。ハシモトくんは遠慮がちにあたしたちのほうを見た。
「そうだよ、お茶でも飲みながらさあ」
 ユミコが気さくな声で誘う。今まで一度も言葉を交わしたことのなかった人に対して掛けている声には聞こえない。っていうか、ひょっとしたら、ハシモトくんと会話をしたことがなかったのって、あたしだけなのかな。ガリ勉くんなんて言って、敬遠してたから。でも、それが悪いとは思わない。だって、ぱっとしない男の子に興味を持つ必要性なんて、あたしにはなかったから。
 ともあれ、こんな時ばかり気が利くユミコは、四人分のお茶をさっさと入れて、ハシモトくんを招いた。あたしたちは勝手に教室にポットを持ち込んで、お茶もコーヒーも自由に作って飲めるようにしているのだ(利用していたのは、あたしたちのグループくらいのものだけれど)。
 お茶を差し出されて、ようやく手を止めたハシモトくんは、ヤスオにひっぱられるようにして、あたしたちの近くにやってきた。せっかくだから、話しかけてみることにした。
「ハシモトくんって、いつも頑張ってるよね。一日何時間ぐらい勉強してるの?」
 ハシモトくんは、あたしに初めて話しかけられるのが嬉しいのか恐いのか、ともあれ少しうわずった声で、簡単に答えた。
「家に帰ると勉強どころじゃなくなるから、学校にいる間だけ」
「どうして家に帰って勉強しないの?」
 ユミコがいつもの好奇心むき出しの顔でそう聞くと、彼はたじたじとなって、赤面する。女の子にそこまで興味を示されたことがないのかもしれない。下を向いて何も言わないハシモトくんをカバーして、ヤスオがこの質問に答えた。
「コイツんち、両親が居酒屋をやってるんだよ。ちっちゃいけど駅前だし、毎日常連のお客さんでいっぱいになるんだ。ウチの父ちゃんも良く行くらしいぜ」
「へえ!」
 思わず、大きな声で反応してしまった。
 だって、かなり驚いたもの。あたしの場合、子供の頃は社宅で育って、今は新興住宅地に住んでいる。お父さんがサラリーマンじゃない家なんて、テレビの中でしか見たことがなかったのだ。
「ねえ、まさか、ハシモトくんって、そのお店を継がなくちゃいけないなんてこと、あったりするわけ?」
 プライベートなことだとは思ったけれど、聞かずにはいられなかった。だって、彼はクラスでもダントツに成績が良くて、国立大学一本で頑張るというのは、噂でよく聞いている。もしお店を継がなきゃいけないなら、わざわざこんな苦労をしてまで大学になんか行かなくても良いんじゃないかと思うし、その頑張りが無駄になるなんて可哀相。
「そんなことないよ。別に両親は好きな道に進めって言っている」
 ハシモトくんはまだ緊張気味な声で答えた。眼鏡の奥の小さな目が、何を思っているのかわからない。
「へえ、それで、好きな道って何なの?」
 ユミコがまた、失礼なくらい興味津々な顔で聞く。だけど、彼にとってはそれほど興味を持たれることも滅多にないことなのか、頬を赤くして少し誇らしげな位に答える。
「歴史の研究かな。考古学とか、好きなんだ。古美術品とかにも興味があるし、そっちのほうにも興味があるな。歴史って勉強してて本当に面白い」
「へえー!」
 ユミコが感嘆の声を上げた。あたしだって、声にこそ出さなかったけれど、結構驚いた。だって、ハシモトくんって、勉強ができる以外に取り柄もない男の子だと思ってたから。その彼が、好きなことのために勉強を頑張っているなんて、ミカやヒサノと同じような事を言って、彼女たちと同じくらい、目を輝かせてるなんて。ちょっとカッコイイくらい。

 ハシモトくんは、そこそこで話を切り上げて、また自分の机に戻っていった。よく見れば、彼の世界史の教科書は他のものよりも遙かに汚れていて、ものすごい愛着を感じる一品だった。
 あたしは、なんだかまた落ち込んできた。
 あたしが今まで目指してきた「一流」って、本当にそんなに意味があるのかな。一流の大学に行けば、それで一流の女だって認めてもらえる? ちょっと自信がない。一流の男の子にだって、好きになってもらえるか怪しいものだわ。もっと原点に立ち返るとすれば、ママが繰り返しあたしに吹き込んできた「一流」って、一体どういうモノだか。解らなくなっちゃった。本当に。
 しばらくして、ユミコが部活の後輩の様子を見てから帰ると言って、教室を出て行った。あたしとヤスオは、ハシモトくんに「頑張って」と声をかけて、一緒に帰ることにした。

 「ねえ、あたしって、本当に何の取り柄もない人間なんだなぁって思っちゃった」
 帰りの坂道を下りながら、あたしは独り言のようにつぶやいた。
「あるじゃん、おまえ」
 ヤスオは立ち止まってあたしの顔をのぞき込むように、その長身をかがめた。
「どんな男でもすぐその気にさせるっていう、最大の取り柄が」
 そう言い放って笑うヤスオに、何か言い返したかった。けれど、何も言葉が出てこない。悔しいなあ。
「でも、大学に行ったって、そんな能力を磨くための学科なんてないじゃない」
 やっとの事で、あたしは中途半端に現実的なことを言いかえした。完全に負けてるけど。
 ヤスオはプッと吹きだして、「そりゃそうだ」と言った。
 それから、何十歩か、しばらく沈黙したままで、あたしたちは歩いた。この話は、ここで終わったものだと思った。あたしはぼんやりしながら、暗くなってしまった空を眺めて、小さく溜息を吐いた。息が白い。
 坂を下りきったあたりで、ヤスオは静かに話し始めた。
「でもさぁ」
「うん?」
「たとえば、ホラ、恋愛小説の歴史を研究するとかさ。あとは、うーん、心理学でも勉強してますます男の口説き方に磨きをかけるとか? 考えようによってはいろいろ学問への結び付け方があるんじゃねーの?」
 あたしは、はっとヤスオの横顔を見上げた。
 彼の言葉があたしの胸に染みた、というわけじゃなくて、沈黙してる間に、この人がそんなことを一生懸命考えていたんだって思ったら、心が大きく動いてしまった。なんだか泣きたいくらい。
「まあ、俺としてはおまえには幸せな結婚をして、いい母親になって欲しいと思うけどな。結構、似合ってるよ、そういうのも」
 照れたように、ヤスオはそう言った。
 あたしはみっともなく口を開けたまま、彼の目を見た。その言葉、ちょっとした愛の告白に聞こえなくもないんだけど。まあ、ここは気付かない振りかな。
「ヤスオって、ホント、いい奴だね」
 それが、あたしに言える精一杯の言葉。
 なんとなく、その日の帰り道は、足取りが軽かった。本当に軽くなったのは、心のほうかもしれない。

 そしてその夜、あたしは家に帰るやいなや、制服を着替えもせずに、ずっと本棚の端に追いやっていた大学ガイドを広げてみた。そこには、あたしにもできることが載っているかもしれなかった。