メタモルフォシス

−発端−


朝倉 海人






 突然の失踪、深まる謎――三月一六日未明、A県Y市在住のTさん(二十六歳)が、行方不明になったとして、家族からY署に対し捜索届けが出された。Tさんは、同月十三日に会社同僚と別れた後、十四日、十五日と無断欠勤したことから会社側が実家に連絡、行方不明になっていることが判明した。尚、部屋は荒らされた様子はなかったが、茶褐色の粉のようなものが部屋中に撒き散らされていた。警察は、事件と失踪の両面から捜査している。

 それは、いつもと何ら変わりない退屈な日の朝だった。朝刊の社会面には気になる記事が掲載されていたものの、毎日のように起こる事件、事故を考えればそれほど目新しい記事でもなかった。しかし、それは、それほど大きい扱いをされている記事ではなかったものの、何故か私の目を引いた。A県Y市というのが、私の住んでいる所だからというのも理由として考えられるかもしれない。しかし、それだけではない何かもっと根本的な理由がありそうな気がするのである。
 その記事には、それだけではなくある学者の解説が載せられていた。
「茶褐色の粉というのが、今回のキーポイントになりそうですね。直接見たわけではないので、詳しくはわかりませんが、茶褐色の粉が部屋にあったということになりますと、断定はできませんが、D・D作用によるものと考えられるかもしれません。D・D作用とは、「ドラマチック・デストロイド作用」と正式には言いまして、人間の肉体が茶褐色に変質し、砂塵のようにボロボロと崩れていく現象のことを言います。学会でもまだまだ新しい研究領域でして、未だ詳しい原因や対処法などは判明していません」
 記事はそう締めくくられていた。私は、「D・D作用」という言葉を初めて知った。高度に情報化された現代社会というのは、医学、科学などあらゆる分野の研究が盛んであるが、それに比例して言葉の複雑化も激しい。このように毎日私の知らない言葉が生まれていくのである。

 このいつもと変わらない日に、いつもとは違うことが一つあった。見知らぬダンボールが私の部屋のテーブルの上に置かれていたのだ。郵便として受け取った記憶がない私は、そのある種不気味な「届け物」がいつからそこにあるのかわからなかった。ダンボールには、届け先である私の住所と、送り主の場所が明記されていたが、その場所に私は心当たりがなかった。
 取りあえず、私はダンボールを開けることにした。何が入っているのかがわかれば、何かを思い出すかもしれないからである。ダンボールの中には、ビニル袋に包まれた見慣れない物が入っていた。大小様々なかたまりは、ちょっと力をいれて触ると崩れてしまう。私は、慎重にダンボールから中身を取り出し、そのビニル袋を開けてみる。すると、ビニル袋の中から甘い香りが漂ってくるのである。どうやら食べ物であるようだった。私は、時間にして小一時間ほどだろうか、その中身を見ていた。そして、知らぬ間に私はその妖しい香りの虜となったのだ。
 気がつけば、私はそれをゆっくりとそしてじっくりと味を確かめながら食べていた。未知の国から送られてきた未知なる食べ物である。さすがに、初めは聞いたこともない所から送られてきた物を食べる気にはならなかったものの、それを見ているうちに不思議と食欲が湧いてきたのである。最早、本能だけの動物のように無性にその未知なる物を食べたくなった私は、我慢できなかった。そう、我慢できずにそれを手に取り、口に入れたのである。その食べ物はクッキーのような味がした。甘く、サクサクとした食感である。
 送ってきた未知の国は名前を「S共和国」と言った。私は何故か、その「S共和国」という語感が気に入り、何度も繰り返し口に出していた。「S共和国」という国にやはり私は聞き覚えがなかったが、何故か知っている気がするのである。時折、初めて訪ねた街でもいつか来たような感覚になることがある。そういう、「どこかで知っているかもしれない」という不思議な懐かしさが感じられるのである。
 私は、その未知なる食べ物を食べ終わった後に、ふと疑問に思うのだ。「何故、私の所に送られてきたのだろうか?」という普通の人ならば誰しもが思う疑問である。私はその疑問に対し、自分なりの解答を模索するのだが、一向に納得できるだけの答えを思いつかなかった。S共和国という聞きなれないながらもどこか知っているような国に昔訪れたのかもしれないが、生憎私は海外旅行の経験がなかった。思い出せないことをいつまでも悩んでいても仕方ないと私が諦めた時、左腕の二の腕辺りが痒くなった。痒くなった部分を私は何気なく掻いた。痒みはおさまったものの、いつまでもその左腕が気になって仕方ない。もしかしたら、未知なる物を私が食べたからだろうか?

 気に始めると、そのこと以外何も考えられなくなった。もしかしたら先程の感覚も、「痒み」ではないのかもしれない。私は左腕に目を移した。そこには、私の想像を超える現象が起こっていたのである。私は言葉を失った。腕は土の色のような錆びた鉄ような茶褐色を帯びているのである。その色が変化した左腕を指先で触ってみると、その腕はまるで乾いた泥のようにボロボロと崩れるのだ。――D・D作用――ふと、新聞の記事が頭をよぎった。人体が茶褐色に変色し、砂のように崩れる。まさに今朝読んだ新聞の学者が言っていた症状である。
「冗談じゃない! 俺の体は一体どうなってしまったんだ!」
 悲痛な叫びをあげたものの、事態が良くなるわけではない。私は途方に暮れたかのように、呆然としていた。悲しみでもなく、怒りでもなく、何か唖然とした感情があまりにも強すぎたためだろうか。私の思考は一切停止していて、まるで幼児のように目の前にある物の名前をそのまま口に出していた。  我に返り、自分の姿を見直すと左腕だけではなく、全身が茶褐色になっていることに気付いた。私は、先程まで、「おいしい」と食べていた未知なる物と同じ茶褐色の未知なる物になっていたのである。
 未知なる私は、果たしてこれからどのように生きていくのだろうか? このままでは、新聞記事のTのようにまるで神隠しにでもあったかのように綺麗に消えてしまうのだろう。塵となり、風に運ばれ水に溶け、私は自然という世界に帰っていくのだ。それは、私にとって凄まじい恐怖となって、この茶褐色の心の中で段々と大きくなっていくのである。「無」になるのだ。「無」となり、私の存在というのがこの世から消えてしまうのである。これほど恐ろしいことがあるのだろうか。私は、「無」を受け入れられるほど人間が出来ているわけではない。そんな私にとって、「無」は恐怖であった。果たして、「無」になった後にどのようなことが起きるのか、そこには世界が存在するのか、「無」になっても私は私であるのか。そういった漠然とした不安、脅えが私の中で芽生えている。私は最早、言葉を発することすら出来なくなっていた。声を出し、喉を振動させる度にサラサラと自分が崩れていくのではないだろうかという心配があるからだ。だから私は、その場にじっと座っている。
 私が食べた未知なる物というのは、私のようなD・D作用に襲われた人々の結晶なのかもしれない。私も食欲を満たすことで結晶になるのだ。