届かない耳、発さない口




藤崎あいる













8/1 - 8/17







2002/08/01(木)
なんだか苦しくて夜中の2時に目が覚める。それからずっと起きていた。




2002/08/02(金)
気分が悪い。




2002/08/03(土)
お風呂に、いつもより長く入った。このマンションのいいところは、お風呂が大きい所だとはっきり言える。あたしはとりあえず、谷村に感謝する。今ハマっているのは、バスタブにつかりつつ音楽を聞く事(スピーカーがついている。まったく、豪華なマンションだ)。明日はSHOP INで、入浴剤をいくつか買ってくる予定だ。





2002/08/04(日)
シンヤに会う。
「綾香ちゃんは、何か哀しんでいるの?」
「それ、あたしもシンヤくんに聞きたい」





2002/08/05(月)
シンヤと会う。一緒に勉強する。といっても、あたしにはさっぱり理解できない。シンヤは頭がいい。
そういえば、シンヤにどうして悲しいのかを聞いてみた。あなたは、どうやって生きてきたの。シンヤはあたしと目があうとにっこりひかえめに笑った。少しふせられた睫が、どうしようもないくらいセクシーだと思った。
「今はそこまで悲しくない。だけど、昔の強い悲しさの匂いが、しみついちゃってるから、綾香ちゃんから見てそうなんだと思う」





2002/08/06(火)
ひとりで、朝から夜まで眠っていた。だらだらと過ごす。





2002/08/07(水)
持ってきた家族の写真(あたしは5歳。父がまだ家に居た時、そして写っている母はとても美しい)を、眺めていた。写真の中にはとてもシアワセに笑っている家族がいる。あたしはシアワセだった。だけど、このきりとられた瞬間には戻る事は出来ない。だけどあたしは諦めきれず、これを写真立てに飾る。これは遺影だ、とあたしは自分で自分を制する。それを聞かぬように耳にふたをする。あたしは、バカだと思う。





2002/08/08(木)
シンヤと会う。シンヤとは最近頻繁にあっているように思える。そしてそれを楽しみにしている自分に気付く。シンヤとは他愛無い会話ばかりをしている。あたしは長いこと、必要最低限の話しかしていなかった気がした。蜂谷さんといる時も、思い起こせばずっと無表情だ。蜂谷さんは好きだけれど。でもどうして、シンヤはあたしをここまで笑わせ、楽しませる事ができるのだろう。不思議。でもシンヤは、たのしませるとか言ってもうるさく話すわけじゃなく、もともと無口な性質で、ぽつりぽつりと発せられる低音のコエにのった言葉が、あたしの中にスルリと入り込み、どうしてああたしはそれにくすぐられて笑う。そしてそれは、きっと他人が聞いても笑えないことなんだろうと思う。





2002/08/09(金)
今日も、また。あたしとシンヤはいつものコンビニエンスストアで会い、そのまま話し込んだ。そして、あたしの家近いの、と言うとシンヤは笑って行きたいなと言い、だけど手ぶらじゃ申し訳ないと言ってお菓子を買った。シンヤは、大きなマンションだなと見上げた。驚いた様子だった。これはね、あたしは大会社の社長の愛人だから、その社長が借りてくれているのよ、いいマンションでしょう?あたしは、シンヤの驚嘆の言葉を無視した。そんな事言えるわけない。シンヤは、中央にある黄色のソファが気に入ったようで、そこに横になって、
「寝心地いいよなぁ、このソファ」
とつぶやくように言ったあと、そのままそこで昼寝を始めた。あたしはすることもないので、テーブルの上にミルクカルピスを置き、読みかけの本を読んでいた。





2002/08/10(土)
谷村が来て、1日中セックスをした。疲れた。明日も来るらしい。





2002/08/11(日)
シンヤとするセックスって、どんなものだろうと考えた。シンヤはそんな素振りも少しも見せない。それから谷村が来て、した。相変わらず、谷村とのセックスは疲れる。
大きく背伸びをすると、背中から腰にかけてぱりぱりと音がした。疲れているのかもしれないなと思った。





2002/08/12(月)
ハッチに行った。蜂谷さんに、シンヤの話をした。蜂谷さんはあたしにはちみつミルクを出してくれた。シンヤのことを話すと、彼はとても優しいヒトなのね、とつぶやくように言った。蜂谷さんは、「今度遊びに行きたいわ。綾香ちゃんの家に行ってもいいかしら」と(あの綺麗な高くもなく低くもないコエで)あたしに言った。蜂谷さんがきてくれるなんて嬉しい。美味しい紅茶を用意しますね、と返事をする。あたしのあの汚い住処に、あたしが好きだと思うヒトが来てくれる。あたしはそれに未だ強い罪悪感を覚えている。





2002/08/13(火)
美味しいイタリアンジェラートを食べる。ラム・レーズン。あたしはすっかりこのジェラートのファン。





2002/08/14(水)
谷村が来た。ぐちぐちと愚痴る谷村を初めてみた。このヒトは若くして経営者で、このヒトの肩にのっているものはとても重いんだということがわかった。谷村はあたしに色々話す。胸の内を。あたしが谷村に紅茶をだしてあげると、谷村はにっこり笑ってありがとうと言った。
ダメだ。あたしは。変に知り合っちゃうと、セックスも悲しいだけだ。ちょうど、モリチカのように。





2002/08/15(木)
あたしはただよって(海にいる、くらげみたいに)いるしかないのだ、ッて思う。そろそろここも潮時。だけどあたし、シンヤとは離れたくない。あたしはやっぱり、『1度きり』のつきあいがむいているのかもしれない。ただの援助交際に戻ろうか。





2002/08/16(金)
昨日、そうやって決めてから荷物をまとめた。少しの洋服と、少しの雑貨。あとはすべて谷村に返すものだ。シンヤと連絡をとろう。谷村が家に来てからあたしは言った。もうココにはいられない。谷村はゆっくりうなずいて、ちょうどしあさってで契約1ヶ月だから、あさって出て行きなさい。その時にお金をあげるから、とあたしに言った。仕事だ。あたしは谷村を満足させなくては。しあさってまで。